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秋月 涼 


 そのころ俺は西の砂漠にある背の高い灰色の塔で国境警備の任に当たっていた。コンクリートで造られた塔の九階にある正方形の見張り台が俺の仕事場で、俺は決められた軍服を着用し、双眼鏡片手に相手国の動静を監視していた。質素な食事は一日に三度出され、夜には少量の酒と女が与えられた。明くる日も明くる日も俺は五時半に起床し朝飯を食い夜勤担当者から仕事を引き継ぎ朝の六時から夕方の六時まで働いた。勤務を終え交代の兵に双眼鏡を手渡すと、俺は見張り台の脇に用意された粗末で薄暗い一人部屋へ籠もり、まずい晩飯を食らうのだった。砂漠において水は貴重であり、風呂には一週間に一度入れれば良い方だった。俺は上の階も下の階も知らなかった、九階の見張り台と牢獄のような個室だけが俺の世界の全てだった。
 国境には長いこと何も起こらなかった、せいぜい巨大な砂嵐が通り過ぎるくらいだった。俺の目の前には非常階段が、まるで遺伝子のような気色悪い螺旋を描いて永遠とも思えるほど続いていた。もちろん非常階段の勝手な使用は許されない……よって俺の逃げ道は存在しなかった。
 そこでは他人との必要以上の接触も禁じられていた。会話といえば夜勤の見張り兵と引き継ぐとき、それと運搬兵から食事を受け取るときだけだった。慰み者の女ともまともな会話は成立せず、俺たちは沈黙の中で淡々と行為のみを繰り返した。俺はその塔に配属されたばかりのころ、しだいに言葉さえ忘れてしまうのではないかと危惧したが、そんな危惧の方こそ、いつの間にか忘れていった。俺は言葉を忘れる前に、全ての感情を忘れていったのだった。
 ある日、仕事を終えて何も考えずに個室のベッドで寝そべっていると、備え付けの黒電話が鳴った。受話器を取ると俺のかつての上官だった。奴はこう言った……君は再び本隊で働くこととなった、長きに渡る国境勤め御苦労だった……と。そうだ、思い返せばあいつのせいで俺はこの現場に左遷され、監禁され、未来を閉ざされたのだった。今さら怒る気も責める気もしなかったが、止まっていた感情が動き出したのは確かだった。
 そして異動の日が来た。俺は一丁の短銃を右ポケットにつっこみ、九階から一階までゆっくりと非常階段を降りていった。途中の階ではそれぞれの兵が、俺の知らないそれぞれの任務に就いていた。彼らの所有する二つずつの目は、みな腐った魚のように虚ろだった。
 食糧補給用のジープの帰途に同乗し、俺は偽善者たちの巣くうコンクリートの塔を去った、さらに多くの偽善者がはびこるこの国の首都へ向かって。だんだん砂漠のかなたに灰色がかすんでいくと、俺はジープの荷台で塔に最敬礼した。もう来ることもあるまい、あばよ……無心にそう思った。ジープはその間も果てしない砂漠を疾走した。
 その時、俺はとつぜん開放的な気分を味わい、どこぞの原住民が狩猟でもするかのように、ホオーイ、ホオーイと雄叫びをあげた。俺は右ポケットをまさぐって短銃を取りだし同じ荷台に乗っている補給隊の兵に向けた。
「今までずっと閉じこめられていたんだろう、これからはのんびり暮らせるぜ」
 同情混じりに語った奴の眉間を、俺は弾丸でブチ抜いた。うめき声、倒れる音。舞い上がる煙と血しぶきが妙に心地よかった、それは久しぶりに生きていると感じた瞬間だった。数人の同乗者はあっけにとられ、すぐに青ざめた。
「こいつ気違いだ!」
 そう言った別の男の鼻先に狙いを定め、俺は確実に黒い弾丸を撃ちこんだ。続けて三人目、四人目、五人、六人……気がつくと、荷台には七人の死体が転がっていた。助手席の男が俺を撃とうと身構える前に、先手必勝、俺は神の代わりに安らかな死をくれてやった。運転手は運転を放棄し、ドアを開けて逃げようとした……その背中を。鋭い咆哮、静寂。
 血の海となった荷台から飛び降り、俺は運転台を占拠した。アクセルを強く踏んで思う存分かっ飛ばし、砂漠の景色に飽きると一体ずつ骸を投げ捨てた。ジープには生々しい血の匂いだけが残った、そんな俺を優しく包みこむのは乾ききった砂漠だった。ふと銃の弾丸を確かめると、あと一発しか残っていなかった。
 夕方、夜の闇、気温はぐんぐん低下した。そして朝、食糧は全くない、町もオアシスも一向に見えない。突如ジープが停まった、ガソリンのメーターはEを指していた……全ては完了したのだ。俺はこれから銃をこめかみに当て、引き金に力を込めようとしている。
 暑い砂漠の真ん中で、俺はこの遺書を書いている。俺は間もなく死ぬだろう、悔いはない。全ては完了したのだから。

T.S.   

*     *     *

 私は砂漠の真ん中で半分砂に埋もれたジープを発見した。運転台には腐乱した死体と数枚の遺書が残されていた。私はそれを興味深く読んだ、なぜかというと私の前にも私と同じ道をたどった愚か者がいるということを知ったからだ。
 彼の遺書の末尾に私のイニシャルであるA.F.を加え、私は今、短銃の引き金に力を込めようとしている。

*     *     *

 僕は砂漠の真ん中で半分以上砂に埋もれた二台のジープを……。

(了)



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