天国の苺

 

秋月 涼 


 春の陽射しが降り注ぐ日曜の午後は、汗ばむくらいの陽気だった。散歩から戻る途中、お隣の田名部さんのご主人に会う。昨年の今ごろ、田名部さんは還暦を迎えて上場企業を退職したあと、マンションを売り払い、同年代の奥さんとともに郊外のこの町へ移ってきた。背は低く、眼鏡の奥に優しさを秘めた気さくな方だ。
 ご主人に誘われ、田名部さんの家の縁側でお茶を頂いた。どこにでもありそうな狭い庭には盆栽が並べられ、色々な植物が縦横無尽に蔓を伸ばしている。
 その中の一つに可憐な白い花が咲いていた。もしかして苺ですか、と指さすと、相手は嬉しそうに少しはにかみ、
「ええ、苺です。天国の苺なんですよ」
 と応えた。天国の苺って何ですか。好奇心を抑えられず質問すると、田名部さんは自らの思い出を静かに語り始めた。
 
 今年は何年でしたっけ? ……そうですか、あれからもう六年が経ったんですね。時間が経つのは本当に早いですなあ。
 六年前の春、異動の対象になりましてね。私は一応、世間では一流商社と呼ばれる企業で部長を務めていたんですけれど、業界全体の生き残り競争が激しくなって、我が社も効率化を図ることになりまして、部課が統廃合されたんです。気がついたら社史編集部長にされていました。いわゆる左遷というやつです。
 部長時代……いや、入社以来ずっと、私は特に大きな失敗をやらかさなかったのですが、その反面、特に大きな成果も上げなかったんですよ、ハハハ。そうした社員は、平和な時代なら重宝されますけど、いざ戦国時代になるとポイですね。私もそういう類の社員だったわけです。
 まあ、それでも、いくら閑職といっても首の皮一枚で繋がったので、胸をなで下ろしました。もちろん悔しさはありましたけど、仕方ありませんからね。
 しかし一年後、今度は社史編集部も廃止になったんです。もう真っ青でしたね。今度こそクビを切られると九割は覚悟しましたけど、残りの一割を信じて粘りに粘りましたよ、恥も外聞も捨ててね。石にかじりついてでも、再就職先を会社側に確保させようとしました。五十代で他の企業に再就職するのは、ほとんど不可能ですからね。業界全体の景気が良ければ、経験を生かせる同業他社に移れたかも知れませんけど、商社の時代が終焉を迎えた頃ですから、どう考えても無理なんですよ。あの頃は先の見えないトンネルに潜ったようで、本当に辛い日々でした……。
 最後は逆転サヨナラホームランでした。本社ビルの屋上庭園を下請け会社が管理していたんですが、担当者が三月いっぱいで退職することになりまして。私はその方の後がまとして、下請け会社への移籍という形で職を確保したんです。
 で、送別会を終えて、四月一日。今まではスーツだったのに、普段着です。今までと同じ電車に揺られ、今までと同じビルに通うわけですけど、まるで新入社員のような淡い期待と微かな不安とをかかえて通勤したんです。
 満員のエレベーターに乗って、Rを押す。最後はたった一人になって屋上へ上るわけです。エレベーターを降りて……。
 驚きましたね。明るいんですよ、見渡す限りの青空ですよ。雲なんかがフワフワ浮かんでいるんです。二十八階建ての本社ビルは、その界隈ではトップの高さを誇っていましたから、とにかく空が広かったですね。そして風が強い。髪の毛はすぐにクシャクシャです。
 前任者から引き継ぎを受けて、さっそく新しい仕事が始まったんですけど……最初は正直言って嫌でしたよ。ええ、それまでは曲がりなりにも部長で、役職も部下もありましたけど、今度はたった一人ですからね。朝来ると、小さなコンクリの管理人室に入って、ベージュの作業服に着替えます。そして、その日が晴れならば、如雨露を持って回ります。雨なら一日中、待機です。読書は自由でしたから、まさに晴耕雨読の生活をしていました。古代人みたいでしょう、ハハハハ。
 とにかく見晴らしがいいんですよ。地面は遙か遠くで、人や車は胡麻粒のように見えました……完全に胡麻粒です。あの仕事を辞めてから一年が経ちましたから、少しずつ記憶はあやふやになってきましたけど、頬にぶつかる風の感覚や、かぐわしい花の匂いや、あまりにも広すぎた青空は良く覚えていますよ。
 晴れた日は如雨露で水を撒くんですけど、ゆっくり、ゆっくりやりましたから、水を撒き終わる頃には陽が高く昇っていました。夏と冬はそこで管理人室に戻りますが、春と秋はそのまま〈ひなたぼっこ〉をしました。それから社員食堂です。
 食堂やエレベーターで、かつての同僚や部下に会っても、向こうは大体、無視するんですね……まるで浮浪者でも見るような目つきで。悲しかったですね。人間って、ここまで変わってしまうのかと。でも、ごく少数の方は昔と同じように声をかけてくれました。そういう方々とは、会社を辞めたあとも交流が続いています。彼らには頭が上がりません。終生、大切にしたいと思っています。
 とにかく、最初の一ヶ月は本当に暗い気持ちでしたな。虚しいというか、何というか……正直、厭世的になりましたよ。収入が減って、妻も不安がりましてね。
 しかし、幸いなことに息子と娘は独立していましたし、マンションのローンもあと僅かでしたから、切りつめれば、どうにか生活を続けて行くことはできました。
 嫌なことも色々ありましたけど、しだいに私の暗い気持ちは癒されました。何が支えてくれたと思います?
 何てことはない、ごく身近なものですよ。つまり、屋上自体が、私のささくれ立った気持ちを和らげてくれたんです。
 人間の子供なんかより遙かに純粋な草花は、世間のせわしなさに関わらず静かに根を張って枝を伸ばし、花を咲かせるんです。晴れた日も、曇りの日も、雨の日も、少しずつ伸びて、時期が来ると花を咲かせます。健気ですよ。
 そして私は、いつの間にか、他の社員に対して優越感を覚えるまでに至ったんです。これは体験した者でないと、なかなか分かりづらい感情だと思いますがね。
 理由は空です、空なんです。空の大きさ、空の青さを、社員の誰よりも知っているという自負です。普通のサラリーマンをやっている限り、平日にのんびり空を見上げるという余裕はありませんからね。私自身、数十年間、空の存在なんて、ほとんど眼中にありませんでしたよ。せいぜい雨が降って嫌だな、くらいです。
 あと四年で還暦という年になって初めて、私は何か大切なものを得た気がしましたね。いや、得たというよりも、取り戻したという感じでした。そういえば、あの年から妙に涙もろくなりましたなあ。
 あ、そうそう、社長室よりも高い場所で働くというのも一つの優越感でしたね……社員の誰よりも高い場所です。
 その頃からでしょうか、会社に行くのが楽しくなりましてね。妻にも、顔色が良くなったと言われて。我ながら、性格もだいぶ丸くなったと思いますよ。体の調子も良くなり、いいことずくめでした。
 それにしても皮肉なものです。都市の地面はコンクリートで覆いをされていますよね、土はその下に隠されているわけです。それなのに、地面から遠く隔たった二十八階建て高層ビルの屋上に土があって、花が咲き乱れているんですよ!
 そのうち、草花に仲間意識を感じるようになっちゃってね。私はその年の秋、屋上庭園に名前をつけたんです。
 
 天国、と。
 
 仕事中の時間帯は誰もいないんですよ。いるのは、神様である空と、天使である草花と、堕天使である私だけです。天国を邪魔するものは誰もいません。
 それでも昼休みになれば、若い男女が上ってきて、遠くを見ながら抱き合ったり、接吻したりしていました。最初は気恥ずかしかったので、ギリギリまで社員食堂にいて時間を潰し、誰もいなくなったのを見計らって屋上へ戻りましたけど、そのうち、そういう光景も見慣れてしまいまして。微笑みながら暖かく見守れる心の余裕も出てきましたな。
 それにしても、あそこはまさに天国でした。大都会・東京の中、あれだけ人が少ない場所は珍しいですよ。いるのは神と天使と堕天使だけですから。ハハッ。
 当然、残業もなくなりましてね。最初は何だかんだ言っていた妻も、私が早く帰るのを喜ぶようになりました。本当に楽しい四年間。私は幸せでしたよ、サラリーマン生活の最後の最後に、あんな素晴らしい日々を送れたのですから。
 言うまでもないことですけれど、自然は本当に美しく、力強いですよ。いちいち感動し、励まされました。特に、春先に白い花を咲かせる苺が私は一番好きでした。しばらく経つと真っ赤な実がなるんです。小さいけれど甘かったですよ。
 そうです、この庭に生えている苺、これは屋上の苺を植え替えたものなんです。だから、誰が何と言おうと、私にとっては天国の苺なんですよ……。
 
「いやいや、本当にお恥ずかしい話でした。私の話はこれで終わりですよ」
 田名部さんは口を休めて空を仰いだが、その横顔はどことなく寂しそうで、まだ話し足りなそうだった。私は田名部さんに対し、続きを話して欲しいと頼んだ。
 
 え、その後ですか?
 ……。
 あっけない幕切れですよ。お話ししますか? そうですね、ここまで話したからには最後まで話す義務があるかも知れませんね。分かりました、話しましょう。
 しょせん、あの場所は地上の天国でした。残念ながら永遠には続かなかった。
 一年前……本当に突然でした。
 取締役の一人になっていた、かつての部下が、会議を抜けて屋上へ上ってきましてね、管理人室のドアを叩いたんです。冷たい雨の降る二月の午前でした。
 ――田名部さん。ここは二月いっぱいで終わりになりました。取締役会で決まったんです。四年間、お疲れさまでした。月末までに荷物の整理をお願いします。
 ひどい話ですよね。あまりにも理不尽だったので、いくつか質問すると、かつての部下はしどろもどろに応えましたよ。なんでも、電気代のコストを少しでも下げるため、屋上庭園を壊して太陽電池パネルを設置するんだと。誰の提案かというと、そいつの提案だった。そいつの案が取締役会で通ったんです。
 正直、怒る気にもなれなかったですね。まずは呆然として、あっけにとられて、それから深い悲しみが襲ってきました。
 二月の最後の日、名残り雪が降りましてね。その日、私は鉢をたくさん持参しまして……できる限り植え替えようと努力しました。次の日からは工事が始まって、残った草花は全て撤去されますから。
 ダンボールに詰めて、宅配便で送る手はずを整えて……ふたを閉めた瞬間、涙がこぼれましてね。止まらなかった。止められなかったですよ、色々なことを思い出してね。天国での生活を振り返って。
 ……。
 最後は、かかえきれないほどの感謝の気持ちを胸に、高層ビルをあとにしました。その日で会社ともお別れです。還暦でしたしね、もう潮時だと観念しましたよ。天国で働いたあとには、もう別の所で働こうという気も失せていましたし。
 都心に近いマンションを売り払って、この一軒家に妻と越してきたのが昨年でした。それから夏、秋、冬と季節は一巡りし、再び春がやって来たわけです。
 植物は本当に偉大です。また、こうやって白い花を咲かせました。この庭は、さながらミニ天国でしょうかね。ハハハ。
 どうです、天国原産の苺、召し上がりませんか? 捜せば、気の早い真っ赤な実が出てくるかも知れませんよ……。
 
 田名部さんは話を中断して体を起こし、苺の蔓をかき分けたが、残念ながら手頃な実を発見することはできなかった。花が咲き出したばかりだから当然だろう。だいぶ陽が傾いてきたので、礼を言って田名部さんのお宅を去り、思いのほか長くなった散歩を終えて自宅に戻った。
 
 その後、幾日かが経過した。
 忘れた頃、田名部さんは天国の苺を新聞紙につつんで持ってきてくれた。天国の苺はみな小粒だったが、田名部さんの笑顔のように懐かしくて優しい味がした。
 苺をつつんでいた朝刊の一面には、とある巨大商社が会社更正法の適用を申請したことが述べられていた……それは田名部さんが勤めていた会社だった。
 苺の果汁が新聞紙に赤い染みを作った。

(了)



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