ルゥの朝

 

秋月 涼 


 おてんと様が山の後ろで目をさますころ、森の中は大いそがしです。水の精たちが、草や木の葉に〈つゆ〉をぬっているのです。
 ルゥも水の精の一人です。小さな左手で、小さな小さなバケツを持ち上げています。右手にはしっかりとハケをにぎっています。
 その日は、おてんと様がキラキラと笑い、草は青々と光っていました。いつもよりも早く〈つゆ〉をぬり終えたルゥは、スズメの歌を追いかけ、ふるさとの森を飛び出しました。
 見わたす限り、はてしない野原が広がっています。たくさんの赤や黄色の花が、そよ風にゆれています。さわやかな朝です。
 けれども、どこからか低い泣き声がひびいてきました。うすい青のつばさを羽ばたかせ、声のありかを求めて、ルゥは急ぎました。小川をこえ、草のトンネルをくぐり、そしてとうとう泣き声の主を見つけたのです。
 それは、野原の真ん中に立っている背の高い松の木でした。ふしぎに思ったルゥは、その木に近づいて、わけをたずねました。
「どうしたの。どうして泣いてるの?」
 のっぽの木は、少し落ち着いて答えました。
「ぼくがどんどん大きくなると、ぼくの足下にいる花や草が日影に入っちゃうんだ。花さん、草さん、ごめんね、ごめんね……」
 優しい松は、また泣いてしまいました。ルゥは、バケツとハケを松の葉っぱにおくと、幹をさかのぼって、根本に行きました。
 そこには、しおれた花や草がいました。ルゥはかわいそうに思って、声をかけました。
「花さん、草さん、おはよう。松の木の下にいると、おてんと様の光はとどかないの?」
 すると、一輪のやせた花が返事をしました。
「おはよう、水の精さん。わたしたち、みんな松さんが好きなの。だから平気だわ」
 それとは別の、か弱い花が言いました。
「大じょうぶよ。朝早くには東の空から、夕方は西の空から、ななめに光が降り注ぐの。わたしたちは、なんとか生きていけるわ」
 それを聞くと、ルゥはむねが痛みました。やがてルゥは、ふたたび風のごとく飛び上がり、木のてっぺんで松によびかけます。
「ねえ、松さん。足下の花や草は、大じょうぶだと言ってるよ。光は当たるそうだよ」
「たしかに光は当たるかも知れない」
 松の木は、つらそうにしゃべり続けました。
「でもね、それだけじゃないんだよ。ぼくが大きくなって、まわりの土から水をたくさん飲んでしまうから、ぼくの下にいる花や草はかれちゃいそうなんだ。ひからびちゃうんだ。花さん、草さん、ごめんね……」
 松の木は、低い声で泣き出しました。
 青空の高みを、わたあめのような雲が横切ります。ルゥは困ってしまいましたが、何か協力できないか、まじめに考えました。考えて、考えて、考えつかれたころ――ルゥの頭の中に、すてきな方法が思いうかびました。
「そうだ。ぼくが毎朝、花や草に〈つゆ〉をぬるよ。そうすれば、みんな水を飲めるよ」
「本当かい!」
 松の木はおどろき、
「ありがとう、ありがとう……」
 と、今度はうれし泣きをしました。そして、ルゥにひみつの場所を教えてくれました。
「野原のはずれに立っている、青りんごの木の下に、消えない〈つゆ〉がねむっているんだ。きみにあげるよ。行ってみてごらん」
「ありがとう。また、あした来るね」
 バケツとハケとを忘れずに持ち、松の木にさよならを言って、ルゥはゆっくり飛んで行きました。おてんと様は天の坂道を少しずつ登り、うさぎの子どもたちが起き出しました。
 野原のはずれは、きれいな畑になっていて、その向こうには静かな村がありました。
 美しい青りんごの木を見つけ、ルゥは地面に降り立ちました。木を一回りしたルゥは、ふと歩みを止め、緑の両目をまるくします。
 水のような、かがやき。
 雪のような、きらめき。
 ふしぎにかわいらしい、すき通る玉が、茶色の土に横たわっていました。持ってみると、大きさのわりには、おどろくほど軽いのです。ルゥはしばらく見とれていました。
 それは、村むすめが落としたガラスのビーズでした。青りんごを取ろうと背伸びしたとき、服が枝にひっかかり、かざりのビーズ玉が、ひとかけら落ちてしまったのです。
 その玉をバケツの中にていねいにしまって、ルゥは空へ羽ばたきました。広い野原と、もっと広い空にだかれて、今にも世界にとけてしまいそうな、晴れ晴れとした気持ちでした。
 ふるさとの森が見えてきました。あしたの朝にそなえて、そろそろ、おやすみの時間です。ルゥは、池をただよっている葉っぱのベッドに寝転がり、お父さんやお母さんといっしょに夢を見ました。とても楽しい夢でした。
 バケツの中の〈つゆ〉はとっくに消えていましたが、ガラスのビーズ玉は、いつまでもいつまでも優しく光っていました。

(了)



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