敵機来襲

 

秋月 涼 


 灼熱の太陽が容赦なく照りつけ、真夏の空はどこまでも白く輝いていた。
 あの日の暑さを、乾いた空気を、今でも良く憶えている。

 突如、静寂を破って、日焼けした戦友が鋭く叫んだ。
「いたぞ!」
 強い逆光の中に、敵の姿がくっきりと浮かび上がっていた。俺たち防衛部隊には即刻、鋭い緊張感が走った。隊員は迅速に配置につき、臨戦態勢を整えた。
 警戒の網を張り巡らしているのに、やつらは僅かな隙を突いて俺たちの領域に侵入してくる。いったん近くに身を潜めて機会をうかがい、夜更けに総攻撃を仕掛けてくる魂胆だ。
 飛び散る赤――血塗られた戦いの記憶が、まざまざと蘇る。
 季節はめぐり、再び暑い夏がやってきたのだ。

 右へ、左へ、すぐに右へ。集中力を極限まで高め、両目を見開いて敵の姿を追った。張り詰めた空気の中で、自分の心臓がバクバク鳴っているのが分かった。
 ――ここで倒さなければ、いずれ俺たちがやられるんだ。
 相手も馬鹿じゃない。急旋回、きりもみ飛行などを繰り返しながら上昇し、何とかして対空砲の射程範囲から逃れようとする。
「逃がすか!」
 素早く照準を合わせ、俺は猛然と攻撃を開始した。虚空に一発、二発と、立て続けに破裂音が響き渡った。無我夢中で、がむしゃらに、俺は戦った。
 パシュン、パシュン、パシュン。
 狙いを定める時間すら惜しくて、とにかく続けざまに対空砲を使用した。これだけやれば、一発くらいは当たり、仕留められると思っていた。防衛部隊の武器は、飛距離には難があるけれども威力は抜群で、当たりさえすれば敵は墜ちる。
「落ち着いて攻めるんだ!」
 戦友の忠告も耳に入らず、俺は戦いにのめり込んでいた。後から考えれば、その時の俺は自軍の武器と自分の能力を過信し、敵を見くびっていたのだろう。

 結局、渾身の迎撃は全くの徒労に終わってしまった。相手は見事なほど敏捷な動きで俺の連続攻撃を回避し、防衛部隊の手の届かない場所へ無事に撤退した。
 その上、激しい戦闘の末に、いつしか俺は敵の姿を見失っていた。本当にあっという間の出来事で、気がついたら全てが手遅れになっていた。
 愕然と立ちつくした俺は、もはや追撃を断念するほかなかった。額にはいつの間にか汗の粒が幾つも浮かび、こめかみを伝って両目に染みた。

 戦いの帰趨を決める重大な緒戦で、俺は手痛い敗北を喫してしまった。責任感がずっしりと心にのし掛かってきた。へまをした自分への怒りが膨らみ、情けなさと悔しさと恥ずかしさとが交錯し、沸騰していた。
 それらの重い感情をいなくなった敵にぶつけ、八つ当たりすることで、俺は何とか自己嫌悪に耐えようとしていたのかも知れない。
「野郎っ! 出てこい、この根性無しが。俺と戦え!」
 俺は吼えた――吼えることしかできなかった。そして乾いた唇をきつく噛んだ。

「慌てるな。じっとしていれば、絶対にあいつから来る」
 戦友の冷静な言葉で、はっと我に返った。
 度重なる敵の夜襲に、友軍は何度も悩まされていた。ここで逃がしたら――。
 戦いのさなか、俺は知らず知らずのうちに焦っていたのだろう。鼓動は速まり、身体も火照って熱くなっていた。
「……畜生っ」
 考えてみれば、きちんとした作戦を遂行したわけではなく、そもそも俺が独断で実行した無理のある攻撃だった。恨み言を呟きながらも、いったん引き下がり、体勢を立て直すことを選んだ。
「あいつ、どこへ行った?」
「あそこだ。待って、おびき寄せて、一気に叩こう」
 戦友が少し遠くを指差した。彼は相手の撤退経路を把握していた。

 示された方を凝視すると、憎らしい敵は確かにその付近を飛んでいた。遥かに高い場所で、今はまだ手を出せない。俺たちの対空砲では届かないのだ。
 折りしも通り過ぎた爽やかな空気の流れが、身体だけにとどまらず、心までをも冷やしてくれた。軽く溜め息をついて、肩の力を抜いてみる。
「ふぅ。あいつめ、命拾いしたな」
 苦々しい思いで、ゆがんだ笑みを浮かべた俺は、遠ざかる敵の姿を睨みつけた。そして次こそは絶対に仕留めてやると、気持ちを前向きに切り替えるのだった。

〜 ・ 〜 ・ 〜 ・ 〜 ・ 〜 ・ 〜

 太陽は燦々と、痛いほどの輝きで照りつけていた。
 敵はしばらく警戒をし、遠くの方をさまよっていた。俺たちはやつの姿を見失わないように偵察を続けた。一時的に、戦闘は表面上の小康状態となった。
 息をひそめて、俺たちは敵が近づいて来るのを待った。早く動きたいが、それよりも確実に勝ちたい思いが強くて、じっと我慢する。
 領域の平和を守るため、これ以上の失敗は許されない。唾を飲み込んで、こぶしに力を込めた。同じ過ちは繰り返さない。今度は相手に照準を合わせ、一発で撃ち落としてやるぞ。

 しばらくすると、状況に変化があった。
 抵抗が終わったと見たのだろう。やつは性懲りもなく、じわじわとこちらへ向かって移動を始めた。戦友が予想した通りの展開に、俺は少し身を乗り出した。
 罠にかかったな、飛んで火に入る夏の虫とはまさにお前のことだ。これを貴様の最後のフライトにしてやる――。あっという間に血が燃えたぎり、気持ちは高ぶっていたけれど、俺は何とか自らを律し、対空砲を準備して敵の動きを注視した。

 そのすぐ後だった、耳につく飛行の音が急激に近づいてきたのは。
 敵をギリギリまで欺くため、地上で迎え撃つ防衛部隊はいまだに息を潜めて微動だにせず、まずは首と目だけを動かして相手の飛行経路を分析した。
 俺は指先に力を込めた。いつの間にか、掌にはじっとりと汗をかいていた。

 あと少しで対空砲の射程範囲になると思った時、敵は異常を察知したのか、少し上に逸れた。こうなったら一喜一憂せず、辛抱強く機会を待つしかない。戦友も警戒しつつ、隙あらば自分から攻撃を仕掛けようと、俺のすぐ横で戦いのゆくえを見守っている。降り注ぐ陽の光は相変わらず強く、果てしない大空は明るかった。
 まもなく敵は再び下降してくる。忌まわしい飛行音が迫り来る。類い希な機動力と冷徹な判断力を併せ持つ敵は、何度か急旋回を繰り返しながら、こちらに向かって降りてくる。敵は俺たちを狙い、俺たちは敵を狙っている。渇いた喉が張り付く。息もできないほどの緊迫感の中で、真夏の太陽がきらりと輝く。
 敵の姿を逃さないように集中力を限界まで高め、対空砲が確実に命中する距離かどうかを判断し続ける。
 もうちょっと――そのまま来い。

 今だ。
 瞬時に手を伸ばす。
 対空砲が大地を発つ。
 相手の動きがゆっくりに見える。
 俺の武器が近付く。
 敵は速度を増す。
 互いの執念が燃える。
 追尾する。
 振り切ろうとする敵。
 慌てて急旋回。
 予想の範疇だ。
 さらに迫る。
 接近する。
 追いつく。
 肉薄。
 ゼロ。

 その刹那、付近を圧倒する強烈な破裂音が響き渡った!

 パシュッ!

〜 ・ 〜 ・ 〜 ・ 〜 ・ 〜 ・ 〜

 攻撃の時に発生した鋭い風が、だんだんと収束していった。
 その後は不気味なほどに空虚な静寂が支配した。
 とりあえず、やつの目障りな姿は見えないし、耳障りな音は聞こえなくなった。俺の迎撃は敵を捉えた――ように思えた。作戦は上手く行ったのだろうか。
 心臓は戦いの余韻を残し、いまだに激しく叫んでいたが、判断力の方は不思議と落ち着きを取り戻し始めていた。やつの残骸を発見するまでは糠喜びできないけれど、いやが上にも期待感は高まってゆく。

 戦友が半信半疑の様子で訊ねた。
「どうだ?」
「探してみるよ」
 はやる気持ちを抑えつつ、身を乗り出して眼下の世界を確認した。
 程なくして、俺の両目はある一点に吸い込まれていった。
「あっ」

 あいつだ――。
 ああ、間違いない。間違うはずがない。
 撃墜されて潰れた敵の姿が、そこにあった。
「やった、勝った! 大勝利だ!」
 思わずガッツポーズを取った。激戦の後遺症で掌がひどく痛んだが、それが大して気にならないほど、俺はほっとしていた。長い重圧から解放されたからだ。
「やったな」
 戦友である兄がねぎらってくれた。しかし、そう言った彼の表情は複雑だった。
 彼の顔を見ているうちに、勝ち戦の高揚感が不思議と冷めていった。
 もはや満面の笑みは浮かべられない。俺は考えた。いったい何故、血で血を洗い、命を賭してまで争わなければならないのだろう。これが互いの宿命と、頭では理解しているつもりだれど――戦いの後にはいつも、黒ずんだ迷いと虚しさとが、心の奥底をよぎる。俺は忘れていた疲れが急激にのしかかってくるのを感じた。

 ともあれ一つの戦いが終わった。当面、しつこい夜襲は落ち着くだろう。
 だが、真夏の死闘は始まったばかりだ。敵の数は多く、再び領域の平和を脅かすだろう。決して勲章の貰えることのない、辛く厳しい戦いは続いてゆくんだ。

 つぶれて血のにじんだ、ヤブ蚊の死骸。
 それを柔らかな白いティッシュでくるみながら、俺は思った。

 ――蚊取り線香、買おうかなぁ。

(了)



【この作品は"秋月 涼"の著作物です。無断転載・複製を禁じます】