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■ 主要駅 ■ |
※越美線・未成部分(九頭竜湖〜北濃)の正確な設置予定駅は不明です。 |
■ 歴史 ■ |
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■ 福井〜越前花堂〜一乗谷 ■ |
福井駅 |
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[2014/08/12 / 08:43] ムーンライトながら号から米原・敦賀と鈍行列車を乗り継ぎ、福井駅に到着した。北陸新幹線の準備工事の高架橋が途切れている。売店でおにぎりを求め、慌ただしく朝食を摂った。 これから越前国より美濃国を目指し、越美北線・越美線(未成部分)・越美南線(長良川鉄道)を乗り継ごうと思う。 福井市から岐阜市まで、8時間の旅が始まる。 |
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[2014/08/12 / 08:52] 越美北線は、愛称の「九頭竜線」で案内されている。当ページでは、当初の越美線の構想に敬意を表して「越美北線」と表記する。 明るいうちに全線を走行する列車は3往復しかないため、乗りつぶしのスケジュールに苦心する路線である。 (本数は昔から少なかったようで、宮脇俊三氏の『時刻表2万キロ』では、昭和50年の越美北線のダイヤが「難物」と記されていた) なお特急サンダーバード号の富山ゆきは、北陸新幹線の開業のため、今年度で見納めである。 |
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[2014/08/12 / 08:56] 越美北線は、基本的には福井駅を始発・終着としている。 専用ホームには、ラッピング車両の回送列車が停まっていた。8:30着の724Dと推察する。 |
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[2014/08/12 / 08:57] 回送列車が出た直後、2両編成の別の列車が入線した。これが次の九頭竜湖ゆきになる。 始発は途中の越前大野止まりのため、福井から九頭竜湖への本日最初の列車である。 |
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[2014/08/12 / 08:59] この2両も大野市のラッピング車両だった。先頭車両が九頭竜湖ゆき、後ろの車両は越前大野止まりとなる。 |
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[2014/08/12 / 09:10] 発車して数分後、南福井駅(貨物駅)を通過。 越美北線の線路はこの駅で北陸本線から分岐しており、国鉄時代は「正式」な起点駅とされていた。(南福井(貨)駅〜越前花堂駅=0.8km) 南福井駅の分岐駅の話題も、前述の宮脇俊三氏の著作『時刻表2万キロ』に記されている。 |
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JRに継承後の越美北線の起点、越前花堂駅である。 |
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[2014/08/12 / 09:11] 奥に見えるのが北陸本線のホームである。両者は、妙な連絡通路でつながっている。冬場、雪が降った時は大変であろう。 この三角形の敷地は、鶴見線の浅野駅を巨大化したような構造である。 |
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[2014/08/12 / 09:17] 沿線は、しばらく稲作地帯が続いた。 足羽(あすわ)駅の周辺も同様である。 越美北線は、しだいに足羽川に寄り添っていく。 |
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[2014/08/12 / 09:21] 越前東郷駅では、駅舎寄り(写真右側)の線路は使われていないようだった。 2004年7月の水害後は、最終的に越前東郷駅〜美山駅で列車代行バスが走った(2009年6月末までの約3年間)。 尚、2014年8月10日の台風11号により、九頭竜で269mmの降雨があった(中日新聞の記事)。その影響により、越美北線は10日〜11日にかけて運休や徐行が相次いだ。12日の旅が危ぶまれたが、当日はダイヤ通りに運行した。 |
■ 一乗谷〜美山 ■ |
一乗谷駅 |
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[2014/08/12 / 09:24] しだいに山深くなり、一乗谷駅に到着する。 2004年7月の水害後、福井駅から一乗谷駅までは同年9月に復活した。当駅はバスが入れないため、一つ前の越前東郷駅で列車とバスの接続が行われた。 戦国時代のファンには、朝倉氏の拠点として有名である。 |
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[2014/08/12] 2004年の水害で流出し、後に架け替えられた「第1足羽川橋梁」を渡る。(一乗谷〜越前高田) 水害の復旧では、40億円の費用の内、福井県が20億円を拠出したとの事である。赤字路線の復旧が危ぶまれたが、福井県の熱意で復活した。 |
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[2014/08/12] 水害時に流出を免れた「第2足羽川橋梁」は、右側への急カーブである。 |
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[2014/08/12] 架け替えられた「第3足羽川橋梁」。 この高さまで濁流が押し寄せたのは恐ろしい。 |
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[2014/08/12 / 09:30] 越前高田駅からは「第4足羽川橋梁」が見える。あの橋も流出し、架け替え工事が行われた。 越美北線の7つの「足羽川橋梁」のうち、2004年の水害時には、第2・第6を除く5つの橋が流出してしまった。 |
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[2014/08/12 / 09:31] 第4足羽川橋梁からの車窓。 こうして旅が出来る事に感謝したい。 |
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[2014/08/12 / 09:32] 市波駅より、再び足羽川の渓谷が深まる。 |
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[2014/08/12] 第5足羽川橋梁からの車窓。 水害で架け替えられた。 |
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[2014/08/12] 第6足羽川橋梁からの車窓。 この橋は水害に耐え、生き残った。 |
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[2014/08/12 / 09:36 ] 小和清水(こわしょうず)駅。 読み方が難しい。 |
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[2014/08/12] 第7足羽川橋梁に差しかかる。 この橋も流出し、架け替えられた。 第1・第5の足羽川橋梁と似たデザインだ。 |
■ 美山〜越前大野 ■ |
美山駅 |
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[2014/08/12 / 09:40] 美山駅に到着した。2004年の水害で被害の大きかった場所である。美山町には285ミリの降雨があり、下流の足羽川が氾濫した。 2004年の水害後、当駅でバス代行区間は終わり、九頭竜湖駅までは鉄道が走った。 2006年、美山町は福井市に編入合併。 2007年、一乗谷駅〜当駅間の鉄道が再開。 |
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[2014/08/12 / 10:00] この辺りで小さな峠を越え、日本の原風景のような美しい場所を通った。(越前薬師〜越前大宮) |
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[2014/08/12 / 10:00] 右手の山に「越前大野城」が見えると、まもなく沿線最大の町、越前大野に到着する。 町を見下ろす小高い山に立ち、観光資源として遠目にも分かりやすく、大野市のシンボルとなっている。昭和時代の再建天守である。 |
■ 越前大野〜勝原 ■ |
越前大野駅 |
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[2014/08/12 / 10:04] 大野市の代表駅、越前大野駅に到着した。 この駅止まりの列車も多く、越美北線の重要な拠点駅である。 |
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[2014/08/12 / 10:06] 越美北線で唯一の有人駅である。町の活気が感じられる。 立派な駅舎が建っており、2001年に「中部の駅百選」に認定されている。 |
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[2014/08/12 / 10:06] 駅舎内の様子。 国鉄時代からの「わたしの旅」スタンプ台が残っているのはうれしい。 |
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[2014/08/12] さっそく押してみた。良い記念になった。 名水は「篠座神社の御霊泉」等、多数存在するようだ。 |
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[2014/08/12 / 10:03] この駅で後ろの車両が切り離された。 折り返し10:14発の福井行き726Dとなる。 私は九頭竜湖ゆきの先頭車両に引き続き乗車する。 |
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[2014/08/12 / 10:04] ホームと駅舎をつなぐ連絡通路に、古い駅名標と鐘があった。 右奥の赤い車両は除雪車だろうか。 |
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[2014/08/12 / 10:13] ホームから見える場所に「JR金沢支社 最後の腕木式信号機」が保存されていた。発車直前に気づいたため、車内から見学するに留めた。 さて、これから向かう九頭竜湖駅の近くで営業しているタクシー会社「いずみタクシー」に電話し、11:00にタクシー1台の配車を依頼した。 |
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[2014/08/12 / 10:16] 真名川を渡る(越前大野〜越前田野)。 山際に、低い雲(霧?)が連なっている。 |
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[2014/08/12 / 10:26] いよいよ、路線の愛称となっている「九頭竜川」が登場する(下唯野〜柿ケ島)。 平野が尽き、渓谷の風景に変わってくる。 |
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[2014/08/12 / 10:29] 北陸電力・富田堰堤が右側の車窓に展開する。 気動車のエンジンがうなりを上げた。 並行する国道158号線は、写真左奥のきわどい所を走っている。 |
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[2014/08/12 / 10:31] 蒼い九頭竜川を渡る。(柿ケ島〜勝原) 民家は皆無である。 |
■ 勝原〜九頭竜湖 ■ |
勝原駅 |
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[2014/08/12 / 10:32] 1960年(昭和35年)に開業した勝原駅である。 一時期、越美北線の終着駅だった。 想像よりも小さな、山間部の集落だった。 |
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[2014/08/12 / 10:32] この先、九頭竜湖駅まで延伸したのは1972年(昭和47年)となっている。国鉄が赤字83線という取り組みを行い、越美北線も廃止候補の赤字線に挙げられていた一方で、延伸工事は進捗した。 |
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[2014/08/12 / 10:32] 勝原の駅舎には、 「ようこそ五箇へ 乗って残そう越美北線」 という言葉が掲げられている。 |
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[2014/08/12 / 10:40] 勝原駅から先は、突如として長いトンネルに入った。越美北線で最長の「荒島トンネル」(5,251m)等が続き、新幹線のような約7分の暗闇を抜けると、トンネルに挟まれた越前下山駅に到着する。 日本鉄道建設公団が構築した区間で、1972年12月に開業した。技術の進歩により直線的な線形になっている。 近い時期に開業した路線として、下記がある。 ・可部線(加計〜三段峡)1969年7月 ・高千穂線(日ノ影〜高千穂)1972年7月 ・白糠線(上茶路〜北進)1972年9月 |
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[2014/08/12 / 10:41] 越前下山駅を発車して「下山トンネル」に入る前に、九頭竜川と国道をまたぐ。かなりの山奥だ。 次は終点の九頭竜湖駅である。 |
■ 九頭竜湖駅 ■ |
九頭竜湖駅 |
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[2014/08/12 / 10:45] 最後の朝日トンネルを抜け、列車は減速した。右奥に見えるのは和泉(いずみ)中学校の校舎と思われる。トンネルが長かったため、窓ガラスが曇っていた。 この辺りは和泉村(現・大野市)の中心部だった。歴史を紐解くと、昭和の大合併の頃、1956年(昭和31)に下穴馬(しもあなま)村と上穴馬村とが合併して和泉村となったが、上穴馬地区はその後、九頭竜湖(九頭竜ダム)に沈む事となった。 |
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[2014/08/12 / 10:47] 九頭竜湖駅 奥の建物は「和泉ふれあい会館」 |
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[2014/08/12 / 10:47] 九頭竜湖駅と並んで建つ「道の駅 九頭竜」には、多数のお客さんがいて驚いた。 自家用車で来る方が圧倒的に多い。 |
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[2014/08/12 / 10:48] 恐竜ティラノサウルスの模型が、道の駅に設置されている。動くので、子供たちに人気だった。 和泉村(現・大野市)では、ティラノサウルスの歯の化石が国内で初めて見つかった事情により、観光資源として活用しているようだ。 |
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[2014/08/12 / 10:50] SL機関車もあるが、時間不足で行けなかった。 |
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[2014/08/12 / 10:52] 九頭竜湖駅の切符売場。 「青春18切符は完売致しました。」という案内が出ていた。 この駅を発車する列車は、1日に5本しかない。 06:05 福井ゆき 10:58 福井ゆき 14:34 福井ゆき 18:35 福井ゆき 21:19 越前大野ゆき |
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[2014/08/12] 九頭竜湖駅 到着証明書(無料) 窓口の係員に「青春18きっぷ」を示し、申し出ると発行して貰えた。終着駅でこのようなサービスを受けたのは初めての気がする。 私事ではあるが、今回の旅で北陸地方の未乗車のJR線は「城端線(高岡〜城端)」を残すのみとなった。北陸新幹線の金沢開業後に、新幹線と城端線をセットで乗りつぶす予定である。 |
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[2014/08/12 / 10:54] 九頭竜湖駅 発車シーン |
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[2014/08/12 / 10:58] 九頭竜湖駅(動画) |
■ (未成線)九頭竜湖〜前坂家族旅行村 ■ |
ここから先は、ついに完成することの無かった「越美線」の未成部分(未成線)に突入する。福井県から岐阜県への県境部分である。鉄道の予定線は石徹白(いとしろ)経由であった。 国鉄の連絡バス「大野線」は、九頭竜湖駅から油坂峠経由で美濃白鳥駅まで結んでいたが、2002年(平成14)に廃止となっている。 |
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[2014/08/12 / 11:00] 九頭竜湖駅で列車を見送った後、11時ジャストにタクシーに乗り込んだ(越前大野駅で予約済)。 これからタクシーと徒歩とバスを乗り継ぎ、長良川鉄道・越美南線の北濃駅へ向かう。 九頭竜湖駅から前坂家族旅行村までは、大野市営バス「前坂線」(約15分、運賃100円)が出ているが、スケジュール的に合わなかった。 その後の都合もあるため、九頭竜湖駅から前坂家族旅行村まではタクシーを利用する事にした。 この交差点を直進すれば九頭竜湖方面となる。私の乗ったタクシーは石徹白方面に左折する。 |
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[2014/08/12 / 11:02] 県道127号線を進む。九頭竜湖駅から前坂家族旅行村まで約6km、交通量の少ない快適な道路である。 途中、稲作をしている場所があった。 この付近には民家も存在している。 タクシーの運転手から「石徹白方面に歩くんですか?」と聞かれた。私と同様、越美北線と越美南線をつなぐ旅人は、たまに居るそうである。 |
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[2014/08/12 / 11:03] 石徹白川に沿って進むと「山原(やんばら)ダム」が見えてきた。電源開発社の発電用ダムである。 タクシー運転手によると、調整機能がないため、大雨の場合は水があふれ出すようだ。 今日は問題無いが、一昨日の台風襲来時は、相当の水量だった可能性がある。 ここは「後野(のちの)」という集落であり、かつて北陸電力の「後野ダム」が計画されていた。 奥越電源開発に関して、電源開発社との競争の末、この地のダム計画は中止となった。 |
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[2014/08/12 / 11:06] この辺りで民家が尽きた。ここから石徹白までの約8kmは、ほとんど無人地帯となっている。 車で日本一周したというタクシーの運転手と話が盛り上がった。「日本はまだまだ広く、見どころが尽きない」という意見で一致した。 この先、石徹白から北濃駅に抜ける「桧峠」は、日光のいろは坂のような、つづら折りの険しい山道だという。 |
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[2014/08/12 / 11:08] しだいに渓谷が深まる。 そして「前坂家族旅行村」のバス停に到着した。 参考までに、九頭竜湖駅からのタクシー料金は2,490円だった。 これより先、石徹白地区の下在所バス停まで、公共交通は途絶する。ちょっとした冒険の始まりである。 |
■ (未成線)前坂家族旅行村〜三面 ■ |
和泉前坂家族旅行村 |
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[2014/08/12 / 11:11] 来た道(九頭竜湖駅の方向)を振り返った。 右側に止まっている黒い車はタクシーである。 前坂家族旅行村のバス停が見える(写真左)。 左側に分岐する道を降りていくと、キャンプ場「前坂家族旅行村」がある。 さて、ここから「オレ鉄道 越美線」を始めよう。 レールは存在せず、動力は人力(徒歩)だ。 集落の名前から拝借し、ここには「朝日前坂」駅を設置する事としよう。 |
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[2014/08/12 / 11:13] 意気揚々と、石徹白(いとしろ)に向けて出発する。 道路情報には「前坂〜県境 通行注意」と出ていた。 |
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[2014/08/12 / 11:14] 振り返って、前坂家族旅行村を遠望する。 |
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[2014/08/12 / 11:20] 石徹白川に沿って進む。 九頭竜湖駅(標高430m程度)から石徹白地区・下在所バス停(標高650m程度)に向かって、全般的に緩やかな上り坂となる。 石徹白地区に入るまで民家は皆無で、交通量も非常に少ない。もし、この区間を歩こうとする場合は時間にゆとりを持ち、体調や天候が悪い場合は絶対に無理しないことを勧める。 |
■ (未成線)三面〜石徹白ダム〜小谷堂 ■ |
【本項目は、参考サイト@・参考サイトAを参考に記述しました】 現在は無人となっている三面(さつら)地区であるが、歴史を紐解くと、なかなか興味深いドラマがある。 いわゆる「昭和の大合併」で、上穴馬村(九頭竜湖に水没)・下穴馬村(九頭竜湖駅の周辺)・石徹白村の3村が合併する案が持ち上がった。 そのうち、石徹白村は福井県の道路整備の熱意が足りず、歴史的に結びつきの強かった岐阜県の白鳥町に編入される事を希望した。揉めたものの、自治省の裁定により、石徹白村の大部分は白鳥町に編入される事となった。残った2村(上穴馬村・下穴馬村)が合併し、和泉村(現・大野市の一部)が誕生した。 福井県の石徹白村が岐阜県の白鳥町と越県合併する時、三面・小谷堂の2地区は福井県に残り(石徹白川の水利権が絡んでいるようだ)、和泉村に編入された。 その後、電源開発社による「九頭竜ダム」(旧・上穴馬村)の建設計画、北陸電力社による「後野ダム」(三面・小谷堂)の建設計画が持ち上がる。両計画は競合して揉めた後、整理され、後野ダムは中止となった。九頭竜ダムの建設により、和泉村の旧・上穴馬村の地区は水没し、補償を受けて転居した。その際、後野ダム建設が中止されて《水没しない事になった》三面・小谷堂地区も補償を受け、集団離村した。 〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・ 1953年(昭和28) 町村合併促進法の成立後、福井県は上穴馬村・下穴馬村・石徹白村の3村合併を計画 1956年(昭和31)9月30日 福井県の上穴馬村・下穴馬村が合併して和泉村が発足 1957年(昭和32) 和泉村に奥越電源開発計画が伝達される 1958年(昭和33)10月14日 福井県・石徹白村の一部(三面・小谷堂)が福井県・和泉村に編入 1958年(昭和33)10月15日 残った石徹白村は、岐阜県・白鳥町に編入(越県合併) 1964年(昭和39) 九頭竜ダムが着工(当初は「長野ダム」という名称) 1964年(昭和39)〜1966年(昭和41) 九頭竜ダム建設により、和泉村のうち、水没地となる「旧・上穴馬村の全域」「旧・下穴馬村の長野・鷲地区」、非水没地の「旧・石徹白村の三面・小谷堂地区」が集団離村 1968年(昭和43) 九頭竜ダムが竣工 1972年(昭和47) 国鉄・越美北線が、九頭竜湖駅(和泉村の中心部)まで延伸開業 〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・ |
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[2014/08/12 / 11:24] 県道127号線「白山中居(はくさんちゅうきょ)神社朝日線」を進む。 地名が「三面(さつら)」に変わったが、民家は皆無であり、変だなと思った。 帰宅後にネットで調べた結果、この集落は集団離村していた。かつては石徹白村に属し、石徹白村の大部分が岐阜県に越県編入された際、三面・小谷堂の2地区だけは福井県の和泉村(当時)に編入された。 |
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[2014/08/12 / 11:25] 参考サイト@の「奥越電源開発 その6」によると、三面・小谷堂地区には北陸電力の「後野(のちの)ダム」の建設が予定されていた。最終的には小規模の「石徹白ダム」(電源開発社の九頭竜ダムに石徹白川の水を地下水路で送る)のみが建設され、後野ダムは中止となった。 その間、三面・小谷堂地区の住民は水没を予想して山林の手入れを行わなかったが、後野ダムが中止となったため、補償を求めた。最終的には住民は転出を希望したため、和泉村内の九頭竜ダムの水没地と同様の補償が行われ、1964〜66年頃に集団離村した模様である。 |
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[2014/08/12 / 11:27] 小屋の谷橋(1995年竣工) 三面は石徹白村の最奥の地区であった。1958年(昭和33)に、和泉村に編入されて福井県に残った際も、やはり和泉村の奥地であった。朝日地区(九頭竜湖駅周辺)も、石徹白地区も、両方とも7kmほど離れている僻地である。 前述の通り集団離村したが、水没しない地区がダム建設の補償を受けたのは異例のようだ。 |
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[2014/08/12 / 11:28] 石徹白川の支流、小屋谷川 |
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[2014/08/12 / 11:32] 石徹白ダム |
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[2014/08/12 / 11:34] 石徹白ダム |
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[2014/08/12 / 11:35] 石徹白ダム |
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[2014/08/12 / 11:35] 石徹白ダム ここで石徹白川の水を集め、7.4kmのトンネルで九頭竜ダムに送水している。なかなかダイナミックな事が行われている。 |
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[2014/08/12 / 11:36] 石徹白ダム |
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[2014/08/12 / 11:39] 石徹白ダムの先で、道路が一車線になる。 |
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[2014/08/12 / 11:41] この道で合っているのか不安になる、道路規格の極端な低下である。他に道はないから、合っているはずと信じて進む。 |
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[2014/08/12 / 11:41] 石徹白川は、はるか下の方に見える。 |
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[2014/08/12 / 11:43] 私はペーパードライバーである。 こんな道路を車で走るのは、御免被りたい。 幸い(?)今日は徒歩である。 歩行者は右側通行が原則であるが、正直なところ、崖側は歩きたくない。 |
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[2014/08/12 / 11:43] 左の山側からは落石の危険がある。 落石はどのように注意すればよいのだろうか。落ちてくるところに遭遇した場合は、回避するのが困難である。 考えた末、このメッセージは「路面上に落石がある場合には注意せよ」と捉えることにした。 |
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[2014/08/12 / 11:44] ガードレールのない崖を、見通しの悪い道が続いてゆく。車両の行き違いスペースも少ない。 これは、いわゆる「険道」であろうか。 この県道は冬季閉鎖となる。石徹白村は、この道路の改修が進まないことにより、岐阜県との越県合併の道を選んだ。1958年(昭和33)の事だ。 以後、半世紀が過ぎても、この状態である。これからもきっと、改修の見込みは薄いのだろう。 |
■ (未成線)小谷堂〜石徹白 ■ |
[2014/08/12 / 11:45] 森が終わり、眺望が開けた。 地名が「小谷堂」(こたんどう)に変わった。 前述の通り、三面地区と同時期に集団離村したため、民家や住人は皆無である。 |
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[2014/08/12 / 11:46] 上の写真と、ほぼ同地点。 福井県の大自然が広がる。 国鉄時代は、国鉄バス「石徹白北線」(朝日橋〜下在所)が、この道路を走っていたのだろうか? |
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[2014/08/12 / 11:46] 電柱のようなものが立っている。 久々に人工物を見た気がする。 ガードレールの代わりに「ガード石」が並ぶ。 ガード石は、どの程度の守備力があるのだろう。引き続き、右側を歩くのは怖い。 |
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[2014/08/12 / 11:47] ガード石さえ、なくなった。 |
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[2014/08/12 / 11:50] 再び、森へ。 この辺りでは、30分に1台くらいしか自動車に出会わなかった。 |
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[2014/08/12 / 11:52] しばらく進むと、景色が一変する。 急に平場が多くなったのだ。 集落が――存在した? |
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小谷堂の地名表記が現れた。やはり、ここには集落があった。 集落の中心部と考えて良いだろう。 もし越美線が戦前に全通していれば――。 小谷堂駅が当地に置かれた、かも知れない。 |
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[2014/08/12 / 11:53] 雑草に飲まれる地名表記 |
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[2014/08/12 / 11:54] 小谷堂の中心部を反対側から撮影。 かなりの僻地であるが、参考サイトBによると、小学校(分校)があったようだ。 石徹白村から、三面・小谷堂が切り離されて和泉村に編入された時は、和泉村の最奥の地区になってしまった。雪の多い地域と思われる。住民は大変苦労したのだろうと想像する。 写真に写っている建物は、北陸電力の待避所。 |
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[2014/08/12 / 11:55] 少し行くと「小谷堂 守護本尊堂跡」があった。 この土地の歴史を事前に知っていれば、もう少し詳しく見たかも知れないが、急に現れた廃集落は不気味であった。 遠くから撮影し、先を急いだ。 |
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[2014/08/12 / 11:56] 山側は水溜まり、川側は崖。 仕方なく道の真ん中を歩けば、そういう時に限って自動車が現れる。油断は禁物であった。 |
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[2014/08/12 / 11:59] 少し下り坂となり、川との高低差がなくなった。 そのまま川沿いを進む。 |
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[2014/08/12 / 12:01] 石徹白川(右側)に、左側から支流が合流。 右奥には橋が見える。 写真左側に謎の小屋が建っている。 |
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[2014/08/12 / 12:02] 支流の滝。 |
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[2014/08/12 / 12:05] 新しそうな電信柱が見えた。 |
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[2014/08/12 / 12:06] なんだこれ、格好良いではないか! ロープウェーのような物が現れた。 用途は不明だが、テンションは上がる。 |
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[2014/08/12 / 12:06] ロープウェーを反対側から。 小屋は電源開発社の所有で、目的には「河川流量調査」と記されていた。 |
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[2014/08/12 / 12:08] 石徹白川が、ごうごうと流れる。 |
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[2014/08/12 / 12:09] 小谷堂の看板。ここは福井県大野市である。 (石徹白村 →(1958年〜)和泉村 →(2005年〜)大野市 と変遷) |
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[2014/08/12 / 12:09] 少し進むと縦の看板が現れた。 「これより上流 石徹白漁業協同組合」 何となく違和感を覚えて撮影した。 |
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[2014/08/12 / 12:11] ちょっと進むと――岐阜県の看板。 あれっ、この辺が県境だったのか! 岐阜県・郡上市、石徹白地区に入った。 県境の看板は見当たらなかった。 |
■ (未成線)石徹白 ■ |
[2014/08/12 / 12:13] 川沿いの道が続く。 切り立った崖の道を歩くよりは安心する。 |
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[2014/08/12 / 12:15] おおお、人の姿が! この辺りからは、しばしば釣り人の姿を見かけるようになる。釣り人の車も走っているため、交通量は若干増える。(お盆なので、普段よりも多かった可能性はあるが) |
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[2014/08/12 / 12:15] 歩き始めてから初めてのトンネルが現れた。 景色に変化があって良い。 長いトンネルを歩くのは嫌だが、このような短いトンネルを日中通るのは、有りと思っている。 |
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[2014/08/12 / 12:19] 川の水がエメラルドグリーンだ。 これぞ清流、石徹白川である。 |
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[2014/08/12 / 12:21] 石徹白橋 久々に立派な橋を渡った。この先で石徹白川の本流と別れ、県道は支流の前川に沿って進む。 ちなみに県道127号線・白山中居神社朝日線は、福井県側も岐阜県側も127号線である。 |
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[2014/08/12 / 12:21] 石徹白橋より、石徹白川の上流方向 |
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[2014/08/12 / 12:23] 前川の左岸をゆく。 対岸の建物――あれは民家か? |
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[2014/08/12 / 12:25] 景色が広がり始めた。 山間部から、盆地の雰囲気になる。 あぁ、難関の地域は終わったのだ、という実感が湧いてきた。 時間には余裕が有りそうだ。ここからは歩く速さが若干ペースダウンした。 |
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[2014/08/12 / 12:27] 前川から離れ、集落らしくなってきた。 道路はまだ1車線である。 |
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[2014/08/12 / 12:30] 釣堀を過ぎると、前川を渡る。 |
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[2014/08/12 / 12:31] 人々の生活の営みを感じる。 参考サイトAの記事「白山中居神社」によると「江戸時代に(略)村人は、白山中居神社の社人、社家となり、無税、帯刀御免の身分とされていた」そうである。石徹白は白山信仰の中継点となり、白山中居神社は数多くの武将の信仰を集めた。 余談だが、神社を中心とした山奥の村、という点では、信州の戸隠を思い出した。(なお、同じ郡上市内の和良町にも「戸隠神社」があるようだ) 石徹白ダム以来、1車線が続いていたが、ようやく2車線に戻った。 |
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[2014/08/12 / 12:33] とうもろこしが名産のようだ。 |
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[2014/08/12 / 12:36] 再び前川に沿って進む。 右折すると「イトシロシャーロットタウンスキー場」(跡地)の方に出るようだ。 |
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[2014/08/12 / 12:39] 民家に貼られていた盆踊りの案内。 「石徹白民謡 盆踊り」 「石徹白の伝統を残すため お誘い合わせて踊りましょう」 等と記載されている。 |
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[2014/08/12 / 12:39] 前方に丁字路が現れた。 どちらに行くか迷うが――。 ↑ 白山中居神社 3km → 国道156号 13km |
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[2014/08/12 / 12:40] ここが県道の合流地点であるということは、すなわち「石徹白・下在所」地区であり、この1時間半に渡る徒歩連絡の終着点である。 左に行けば、石徹白市街地方面。 「岐阜県道127号線 白山中居神社朝日線」 右に行けば、桧峠・北濃駅方面。 「岐阜県道314号線 石徹白前谷線」 右の橋を渡ると、すぐにバス停がある。 |
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石徹白 |
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[2014/08/12 / 12:40] 石徹白地区の下在所バス停に到着した。 これで一安心だ。 |
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[2014/08/12 / 12:40] バス停のすぐ脇を、前川が流れている。 右側の道路は、これまで歩いてきた県道127号線である。 この辺に、越美線の「石徹白駅」を設置したいと思った。 |
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[2014/08/12 / 12:41] 白鳥交通「石徹白線」は平日・土曜運転で3往復。日祝日は運休である。 今回の、越美北線・九頭竜湖駅〜越美南線・北濃駅をつなぐ経路で最大の難所「桧峠」を越えるバスである。乗り継ぎ上、最大のキーポイントになる。 以前は「郡上市 自主運行バス」で、2014年4月から白鳥交通「石徹白線」に変わったようだ。 白鳥交通というのは補助金を受けていると思うが、それでも経営は成り立つのだろうか。自治体も出資している第三セクターなのか? 正直、部外者には良く分からない。 |
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[2014/08/12 / 12:42] 下在所バス停から、桧峠方面を見る。中央に「いとしろ旅館」、右奥にスキー場が見える。この時は知らなかったが「イトシロシャーロットタウンスキー場」は2011年のシーズンを最後に、運休状態とのこと。 |
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[2014/08/12 / 12:42] さて、もう少しだけ、石徹白の中心部まで歩いてみよう。県道の分岐点に戻って、127号線を「白山中居神社」方面に向かう。上り坂だ。 |
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[2014/08/12 / 12:44] 少し行くと道が二手に分かれる。その分岐点に「石徹白」バス停がある。(写真中央) バス停に待合室やベンチはない。 地図で見ると、保育園や小学校が近い。 |
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[2014/08/12 / 12:44] 石徹白バス停と、案内板。 |
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[2014/08/12 / 12:47] 石を重ねた塀に歴史を感じる。 |
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[2014/08/12 / 12:47] 郡上市立 石徹白小学校。 全校児童は10名前後のようだ。 中学校になるとバス通学だろうか。 この後、地元の小学生と道端で会った時、率先して挨拶をしてくれた。旅人としては嬉しく、集落の印象が非常に良い。 |
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[2014/08/12 / 12:48] 小学校の坂を登り切ると、空が大きく広がった。 |
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[2014/08/12 / 12:49] 石徹白の名産、とうもろこし畑。 |
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[2014/08/12 / 12:50] 短い「石徹白探険」を終え、坂を下りてゆく。 ゆうべの夜行列車ではあまり眠れず、約8kmの徒歩も終わり、さすがに少し疲れてきた。 |
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[2014/08/12 / 12:56] 待合所のある下在所バス停に戻ってきた。 |
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[2014/08/12 / 13:00] 上在所ゆきの白鳥交通のバスがやってきた。 反対方面なので見送ったが、元気があれば上在所まで乗り、白山中居(はくさんちゅうきょ)神社を見ても良かった。 |
■ (未成線)石徹白〜桧峠〜前谷〜北濃 ■ |
石徹白 |
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[2014/08/12 / 13:19] 白鳥交通・石徹白線のバスに乗車。 行き先は「鷲見病院前」だが、私は途中の北濃駅まで利用する。 |
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[2014/08/12 / 13:25] 乗客は私を含めて3名だった。 ここから先は地形が険しい。鉄道は勾配に弱いので、越美線を建設する場合は、長大トンネルを掘らざるを得なかっただろう。 |
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[2014/08/12 / 13:26] 「ウイングヒルズ白鳥リゾート」 バスの最後部座席より。 この後、九十九折りの坂道になるので、座席の選択は失敗であった……。 |
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[2014/08/12 / 13:31] 桧峠 983m (ひのきとうげ) かつての福井県と岐阜県の県境である。 |
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[2014/08/12 / 13:36] 九十九折りの険しい道が続くが、二車線道路であり、冬季も除雪されている。 かつての石徹白村は、この道路が整備される事で、岐阜県・白鳥町との越県合併に傾いた。 九頭竜湖のタクシー運転手から聞いたとおり、日光の「いろは坂」のような道だった。冬季は除雪されていると言っても、ドライバーは肝を冷やすだろう。地元の方は馴れているのだと思うが。 |
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[2014/08/12 / 13:36] 時折、眺望が広がる。 |
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[2014/08/12 / 13:39] 降りてきた山を見上げた。 険しい道のりである。 |
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[2014/08/12 / 13:41] 日本の滝百選に選ばれている「阿弥陀ヶ滝」への分岐点である。バス停から徒歩20分との事。 |
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前谷 |
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[2014/08/12 / 13:46] いよいよ町に降りてくると前谷地区だ。 バスが通ってきた岐阜県道314号線が、国道156号線に接続し、交通の要衝となっている。 越美線の延伸計画時、この地区に新駅の設置が検討された可能性はあるだろう。 |
■ 北濃〜美濃白鳥 ■ |
北濃駅 |
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[2014/08/12 / 13:50] 北濃駅まで310円だった。バスを見送る。 左側には長良川が流れている。 無事に越美北線と越美南線の未成部分を連絡する事ができた。 |
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[2014/08/12 / 13:51] 長良川鉄道・越美南線、北濃駅。 意外にも年季の入った駅舎だった。 国鉄の特定地方交通線を転換した第三セクターの鉄道は、発足時に駅舎を新築した所が多いが、ここには古くからの駅舎が残されていた。 開業当時は北濃村という自治体があった。北濃村は1956年(昭和31)、石徹白村は1958年(昭和33)年に白鳥町に編入されている。 |
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[2014/08/12 / 13:51] 開業は1934年(昭和9)である。 同じ年、岐阜県と富山県を結ぶ高山本線が全通している。富山県側の熱意で富山側の路線が早くに建設され、岐阜からの路線と結びついた。 一方、越美南線の〈婚約相手〉である越美北線は、1960年(昭和35)に一部開業と、戦争を挟んで実に26年も経過している。 余談だが、越美線と同様に最後まで〈結婚〉できなかった北海道の興浜線は、興浜南線が1935年(昭和10)、興浜北線が1936年(昭和11)の開業。越美南線とほぼ同時期である。 |
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[2014/08/12 / 13:--] この先、九頭竜湖駅の方面に線路が延長される事はなかった。 志半ばで終わった感じは、かつて旅した能登線の蛸島駅を思い出す。 1986年(昭和61)12月、国鉄・越美南線は、第三セクターの長良川鉄道に転換した。 |
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[2014/08/12 / 13:52] 終着駅、北濃駅のホーム全景。 乗る予定の列車が出発を待っている。 起点の美濃太田駅まで全線乗り通すつもりだ。所要時間は2時間を越える。 |
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[2014/08/12 / 13:52] ホーム側から駅舎を見る。 |
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[2014/08/12 / 13:53] 蒸気機関車の折り返し用の転車台(ターンテーブル)である。整備され、今でも使えるという。登録有形文化財であり、見てみたいと思っていた。 案内板によると、1902年(明治35)年に米国の会社で作られ、岐阜駅で使われた後、当地に移築された。1969年(昭和44)の列車の無煙化までSLの転回に使用されたという。地元の方が手入れしており、保存状態は良い。 |
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[2014/08/12 / 13:54] 別の角度から。 |
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[2014/08/12 / 13:54] 列車と駅舎、ホームと乗客。 |
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[2014/08/12 / 13:58] 美濃太田まで1,690円。 毎日、8本の列車がある。 |
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[2014/08/12 / 13:59] 駅舎から外を見た。 正面の道路の反対側、堤防の向こうは長良川である。 |
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[2014/08/12 / 14:02] この列車は「ゆら〜り眺めて清流列車2号」となっており、長良川の絶景ポイントで徐行する。 |
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[2014/08/12 / 14:02] いよいよ越美南線の旅が始まる。 |
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[2014/08/12 / 14:12] 定刻通りに出発した。 車窓の稲穂。沿線は稲作地帯のようだ。 |
■ 美濃白鳥〜郡上八幡 ■ |
美濃白鳥駅 |
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[2014/08/12 / 14:16] 美濃白鳥駅 |
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[2014/08/12 / 14:16] 美濃白鳥駅。スタフ閉塞式? |
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[2014/08/12 / 14:19] 高規格の「油坂(あぶらさか)峠道路」をくぐる。自家用車で越美北線・九頭竜湖駅と長良川鉄道を連絡する場合、九頭竜湖駅→国道158号線→油坂峠道路→美濃白鳥駅、と行くのが最も速いと思われる。 2002年まで越美線の未成区間を結んでいたJR東海バス大野線も、油坂峠を経由し、九頭竜湖駅と美濃白鳥駅を結んでいた。 |
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[2014/08/12 / 14:20] 大島駅から油坂峠道路を望む。 |
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[2014/08/12 / 14:23] 稲穂が実る。 疲れからか、やや眠気を感じた……。 |
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[2014/08/12 / 14:25] 上万場駅 |
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[2014/08/12 / 14:29] 長良川を渡る(万場〜郡上大和)。 |
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[2014/08/12 / 14:39] 長良川と併走する。 |
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[2014/08/12 / 14:42] ライバルである東海北陸自動車道の、郡上八幡ICへの分岐道路をくぐる(自然園前〜郡上八幡)。 |
■ 郡上八幡〜美濃市 ■ |
郡上八幡駅は長良川鉄道の重要な拠点駅となっている。 観光面では「郡上おどり」で有名な郡上市の代表駅でもある。 当駅から湯の洞温泉口駅までの間で幾度も長良川を渡る。「ゆら〜り眺めて清流列車」は、この区間の絶景ポイントで徐行運転する。 |
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[2014/08/12 / 14:45] 郡上八幡駅で美濃白鳥ゆきと列車交換。 |
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[2014/08/12 / 14:45] 沿線のゆるキャラたち? |
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[2014/08/12 / 14:48] 郡上八幡は、良い雰囲気の駅舎である。 |
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[2014/08/12 / 14:57] 長良川を徐行運転で渡った。 何度も鉄橋で川を渡る路線として、高千穂鉄道や可部線の加計駅付近を思い出した。 |
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[2014/08/12 / 14:59] 東海北陸自動車道と直交し、鉄道はトンネルに入る。(相生〜深戸) |
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[2014/08/12 / 15:00] ボートで川下りの人たちを発見した。 |
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[2014/08/12 / 15:05] 長良川(深戸〜赤池) |
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[2014/08/12 / 15:15] 大矢駅は立派な木造の駅舎だった。 |
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[2014/08/12 / 15:18] 長良川 |
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[2014/08/12 / 15:19] 2002年に開業した「みなみ子宝温泉駅」。 駅の中に温泉があるようだ。 この日は休業日だった。 |
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[2014/08/12 / 15:32] 長良川を渡る(洲原〜湯の洞温泉口)。おそらくここが「ゆら〜り眺めて清流列車」としての最後の徐行区間である。 |
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[2014/08/12 / 15:34] 湯の洞温泉口駅。1両の車内は、ほとんど席が埋まっている状態になっていた。 この駅を出ると、しだいに長良川と離れる。 |
■ 美濃市〜美濃太田 ■ |
美濃市駅 |
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[2014/08/12 / 15:41] 美濃市駅の近くには、かつて名鉄美濃町線の「美濃駅」があった。美濃市の中心駅のはずだが、利用者の姿は少なかった。 |
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[2014/08/12 / 15:44] 名鉄美濃町線廃止の代替で作られた「松森駅」は簡素なホームだった。 |
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[2014/08/12 / 15:50] 長良川鉄道の本社がある関駅に到着した。 |
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[2014/08/12 / 15:52] 関駅の留置線には、多数の車両が停まっていた。運転上、重要な駅となっている。 この駅も、かつて名鉄美濃町線と接続していた。 |
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美濃太田 |
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[2014/08/12 / 16:12] この列車の終点であり、長良川鉄道の起点駅である美濃太田駅に到着した。これにて、越美北線と越美南線を結ぶ旅は無事に終了である。 私はこの後、高山本線で岐阜駅に出て、東海道本線の電車を乗り継ぎながら、ひたすら東を目指した。幸いなことに列車遅延はなく、深夜、予定通り関東地方の自宅に帰り着いたのであった。 |
■ 全旅程 ■ |
[2014/08/12] ※青春18きっぷ 小田原 00:31 → 大垣 05:51(臨時快速ムーンライトながら) 大垣 05:56 → 米原 06:29(東海道本線) 米原 06:50 → 敦賀 07:36(北陸本線) 敦賀 07:42 → 福井 08:33(北陸本線) <朝食> 福井 09:07 → 九頭竜湖 10:46(越美北線(九頭竜線)) 九頭竜湖駅 11:00 → 和泉前坂家族旅行村 11:10(タクシー)※2,490円(参考値) 和泉前坂家族旅行村 11:13 → 下在所 12:40(徒歩) 下在所 13:21 → 北濃駅 13:50(白鳥交通・路線バス石徹白線)※310円/休日運休 北濃 14:07 → 美濃太田 16:12(長良川鉄道・越美南線/ゆら〜り眺めて清流列車2号)※1,690円 美濃太田 16:30 → 岐阜 17:04(高山本線) 岐阜 17:08 → 豊橋 18:27(東海道本線/新快速) 豊橋 18:31 → 浜松 19:07(東海道本線) <夕食・おみやげ購入> 浜松 19:29 → 静岡 20:28(東海道本線/ホームライナー静岡6号)※310円 静岡 20:39 → 三島 21:40(東海道本線) 三島 21:51 → 熱海 22:04(東海道本線) 熱海 22:08 → ... (東海道本線) |
■ 参考サイト ■ |
本記事の作成にあたり、下記サイトを参考に致しました。
・参考サイト@「雀の社会科見学帖」様 http://yosuzumex.daa.jp/ トップページ → メインメニュー → ダム → 奥越電源開発 ・参考サイトA「Wikipedia」様 越美北線、長良川鉄道、石徹白村、下穴馬村、九頭竜ダム の記事 ・参考サイトB「村影弥太郎の集落紀行」様 http://www.aikis.or.jp/~kage-kan/index.html 集落紀行 本篇 → 福井 → 和泉村 ≪旧石徹白村≫ 小谷堂 |