■ 広浜鉄道「今福線」(未成線) ■

  - 目次 -

 (1) 石見今福駅(予定地)

 (2) 新線と旧線の交錯

 (3) 旧線をたどる

 (4) 旧線のアーチ橋

 (5) 有福(宇野)〜上府地区

 (6) 下府駅〜浜田駅

 (7) おまけ
 

■広浜鉄道「今福線」 新線・旧線が両方とも開業した想定の「架空」時刻表■


 ■ (1) 石見今福駅(予定地) ■
いわみ いまふく
石見今福
IWAMI IMAFUKU
しもさの
SHIMOSANO
あさひちょう
ASAHICHO

[2020/03/20 / 12:29]
 広浜鉄道「今福線」・石見今福駅(予定地)
 今福公民館・JA金城支店 付近

↓下佐野  旭町↑

 陰陽連絡鉄道の計画として、広島市と島根県浜田市を結ぶ「広浜(こうひん)鉄道」構想は、戦前の「旧線」・戦後の「新線」と建設が進みましたが、ともに中断し、列車の走らない「未成線」に――。

 島根側では、まず浜田から金城(かなぎ)町今福までを目指したので「今福線」の名も残ります。

[2020/03/20 / 12:29]
 広浜鉄道「今福線」・石見今福駅(予定地)

←下佐野・浜田  旭町→

 今福公民館の辺りが、今福線の「石見今福駅」の予定地だったようです。今福旧線はこの写真を撮影した階層で、左から右に走る予定でした。

 今福新線は、写真のガードレールがある階層の、少し高い所を通る予定だったそうです。
 高架駅が予定されていたという話もあります。

[2020/03/20]
 広浜鉄道「今福線」浜田市内の概要図
 現地の案内看板より

 この先、旭町・三段峡方面(地図のC)にも今福新線の遺構がありますが、今回は時間の都合で割愛しています。

 今福旧線はクネクネと曲がって下府駅を、今福新線は直線的に浜田駅を目指しました。
 石見今福駅で二つの想いが一つに重なります。

 

■今福線工事起点〜おろち泣き橋■(現地の案内看板より)


 ■ (2) 新線と旧線の交錯 ■

[2020/03/20 / 12:32]
 広浜鉄道「今福線」新線・旧線

↓石見今福  浜田・下佐野↑

 道路は旧線の路盤を活用したようです。

 短い橋梁は新線の路盤で、高低差・直線の線形が特徴に感じます。

 地元の小学生に橋梁の長さを図ってもらうように課題を出すと、たいへん盛り上がるそうです。

[2020/03/20 / 12:33]
 J新線・今福橋梁

←石見今福  浜田→

 鉄道建設公団が作った昭和末期の橋です。

 この場所だけ切り取ると、列車が走ってこないのが不思議な位です。

[2020/03/20 / 12:34]
 J新線・今福橋梁

↑石見今福  浜田↓

 憂いを振り払い、まっすぐに迷いなく進んでゆく新線の路盤に憧れさえ感じます。

 向こう側の道路は、鉄道の路盤を転用した道と思われます。鉄道の痕跡が見え隠れします。

[2020/03/20 / 12:37]
 広浜鉄道「今福線」新線・旧線

↓石見今福  ←下佐野  浜田↑

 新線は直線的な路盤で「I下長屋トンネル」(1,633m)に突っ込みます。

 旧線は左に逸れ、川沿いに下府を目指します。

 このように旧線と新線が交錯するのは今福線の石見今福側の特徴となっています。未成線を2本同時に見られるのは、とても珍しいです。

[2020/03/20 / 12:38]
 広浜鉄道「今福線」旧線

↓石見今福  下佐野↑

 サイフォン(農業用水路)と交差した跡です。

 この先、旧線は車の通行不可のため、迂回。

[2020/03/20]
 I今福新線・下長屋トンネル(1,633m)

 トンネルの形(断面)が異なります。

・上の写真:石見今福側(馬蹄型)

・下の写真:浜田側(横が垂直)

 はっきりした理由は分かっていないようですが、一説には「もともとは2本のトンネルの予定だったが、設計変更によって1つにくっついたのでは」ということです。

 トンネルを歩くと、断面が変わっている場所が、はっきりと分かるそうです。

 この「下長屋トンネル」は今福新線で数少ない「完成した建造物」ですが、そこにも謎があるのは面白いと思いました。

[2020/03/20 / 12:59]
 I今福新線・下長屋トンネル(1,633m)

↑石見今福  浜田↓

 下長屋トンネルの浜田側に来ました。
 直線のトンネルですが、空気の澄んだ季節でないと、向こう側は見えないようです。
 この日は、はっきりと見えました。
 1,633mのトンネルは直線的に掘られています。

 普段は入れませんが、ウォーキングイベントや学術調査の際にゲートを開放するそうです。

[2020/03/20 / 13:06]
 H今福新線・第一下府川橋梁

↑石見今福  浜田↓ 下佐野→

 左側も右側も鉄道未成線、という全国でも稀有な場所です。近年、手すりの整備により、新線の橋梁の上までは立ち入りが解禁されました。
 左側の新線は第一下府川橋梁(私の立っている場所)を渡り、下長屋トンネル(1,633m)を抜けて、まっすぐに石見今福駅を目指しています。
 他方、右側の旧線(4連アーチ橋)は、川沿いに蛇行しながら石見今福駅を目指しました。

[2020/03/20 / 12:56]
 今福旧線・4連アーチ橋

←石見今福  下佐野→

 戦前の旧線の路盤はトンネルを避け、アーチ橋で川を跨ぎ、川沿いに石見今福駅を目指します。
 川の流れを削がぬように、橋台の足元は丸い形がスタンダードだったようですが、ここは四角形で謎となっているそうです。
 ここの旧線は立入禁止になっています。

[2020/03/20 / 12:54]
 H今福新線・第一下府川橋梁

↑石見今福  浜田↓ 下佐野→

 この写真で私が立っているのは、新線の「第一下府川橋梁」です。その先は「下長屋トンネル」に続きます。
 右に分かれていく路盤が旧線で、上記の写真の「4連アーチ橋」の箇所となります。

[2020/03/20 / 12:52]
 広浜鉄道「今福線」新線

↓石見今福  浜田↑

 振り返って、浜田方面を見た写真です。

 この辺りで新線と旧線が交わるのですが、戦後の新線で戦前の旧線が上書きされた状態です。

[2020/03/20 / 12:49]
 今福新線・第二下府川橋梁

↑石見今福  浜田↓

 今福新線の路盤に、左側から今福旧線の路盤が寄り添ってきます。

 この道の愛称は「鉄楽の道」です。
 遊び心があっていいですね。

[2020/03/20 / 13:11]
 広浜鉄道「今福線」新線

↓石見今福  浜田↑

 今福新線の工事はここで果てました。
 無念の場所です。

 この先、浜田方面への長大トンネルが掘削される予定でした。

 完成したら特急が駆け抜けていたと想像します。


 ■ (3) 旧線をたどる ■

[2020/03/20 / 13:12]
 広浜鉄道「今福線」旧線

↓石見今福  下佐野↑

 以後は、今福旧線の写真となります。

 こういう何気ない“車窓”が好きです。

 キハ120に乗っているような感覚――。

[2020/03/20 / 13:12]
 広浜鉄道「今福線」旧線

↓石見今福  下佐野↑

 森の中を駆け抜けてゆきます。

[2020/03/20 / 13:14]
 広浜鉄道「今福線」マップ

 近年は観光資源として見直され、このような案内看板が整備されていました。

 本サイトに記載している今福線の地図は、この看板のものをお借りしました。

[2020/03/20 / 13:19]
 F今福旧線「おろち泣き橋」

←石見今福  下佐野→

 今福線の建設が断念された以降、おろち(蛇)が泣いているという“伝説”があります。流れる川の音が違って聞こえるポイントがあるそうです。

 道路工事中のため、車の車窓より。

[2020/03/20 / 13:21]
 広浜鉄道「今福線」旧線

←石見今福  下佐野→

 工事中のため、ここまで入線不可でした。

 

■佐野地区〜今福第一トンネル■(現地の案内看板より)


 ■ (4) 旧線のアーチ橋 ■
しもさの
下佐野
SHIMOSANO
ありふく
ARIFUKU
いわみいまふく
IWAMI IMAFUKU

[2020/03/20 / 13:22]
 広浜鉄道「今福線」・下佐野駅(予定地)

←有福  石見今福→

 こちらの「つくし保育園」の敷地が、今福旧線の「下佐野駅」の予定地だったようです。

 金城町の主要駅として予定されていた石見今福と比べると、小さなローカル駅と推定します。
 

[2020/03/20 / 13:25]
 E今福旧線「今福第五トンネル」

↑下佐野  有福↓

 今福第五トンネルの下府側です。

 JR西日本の「立入禁止」の表示が出ています。この中にJRの「地震計」があるとお聞きしました。

[2020/03/20 / 13:30]
 今福旧線「今福第四トンネル」

↑下佐野  有福↓

 今福第四トンネルの下府側です。

 後述する「4連アーチ橋」のすぐ隣です。

[2020/03/20 / 13:30]
 D今福旧線「4連アーチ橋」

↓下佐野  有福↑

 SLの列車は煙を吐きながら「今福第四トンネル」を抜けて「4連アーチ橋」を渡り、続いて「今福第三トンネル」に入ってゆきます――。

 ここは一種の「物語」を感じる場所だと思いました。今福旧線の中で好きな場所の1つです。

[2020/03/20 / 13:35]
 D今福旧線「4連アーチ橋」

←下佐野  有福→

 年経ても、立派な状態で残っています。

 北海道「士幌線」のアーチ橋を思い出しました。
 どちらも同時期(昭和10年前後)の建設です。

[2020/03/20 / 13:28]
 D今福旧線「4連アーチ橋」

↑下佐野  有福↓

 土木学会推奨 土木遺産認定 2008年10月

 奥のトンネルは「今福第四トンネル」

[2020/03/20 / 13:27]
 D今福旧線「4連アーチ橋」

↑下佐野  有福↓

[2020/03/20 / 13:38]
 D今福旧線「4連アーチ橋」

←有福  下佐野→

 日光を受けて、一層、白さが際立ちます。
 美しい建造物です。

[2020/03/20 / 13:38]
 今福旧線「今福第三トンネル」
 車の通行は不可です。

(有福・下府方面)
  ↑  ↓
 5連アーチ橋
  ↑  ↓
 今福第三トンネル
  ↑  ↓ (★写真の撮影地点)
 4連アーチ橋
  ↑  ↓
 今福第四トンネル

[2020/03/20 / 13:41]
 C今福旧線「5連アーチ橋」

[2020/03/20 / 13:43]
 C今福旧線「5連アーチ橋」

 戦前に建設されたアーチ橋の左側に、現代土木技術でコンクリートの壁(擁壁)を作って、道路に生まれ変わったという驚きの“魔改造”です。

 この橋も、かなりの高さがあります。

[2020/03/20 / 13:45]
 C今福旧線「5連アーチ橋」

 県道として再利用されているのが嬉しいです。

[2020/03/20 / 13:46]
 C今福旧線「5連アーチ橋」

↓下佐野  有福↑

 この右側がアーチ橋の上側です。
 道路を走っていると分かりません。

 ここが鉄道予定地なんて不思議です。
 交通路として再生したことに感慨を覚えます。

[2020/03/20 / 13:50]
 B広浜鉄道「今福線」橋脚群展望台

↑下佐野  有福↓

 凛と立つ――。

 圧倒的な存在感でした。

[2020/03/20 / 13:53]
 B広浜鉄道「今福線」橋脚群展望台

↑下佐野  有福↓

 今福旧線を代表する景色の1つです。
 川を渡る箇所は橋脚が丸いのが特徴です。

 かなりの高さがあります。
 先人の苦労に思いを馳せました。

 手前側は今福第一トンネルとなります。

[2020/03/20 / 14:00]
 今福旧線「今福第一トンネル」

↓下佐野  有福↑

 上記の橋脚群のすぐ後ろにあります。

 石見今福側の様子です。
 きれいな馬蹄型をしています。

 

■今福第一トンネル〜下府駅■(現地の案内看板より)


 ■ (5) 有福(宇野)〜上府地区 ■

[2020/03/20 / 14:06]
 広浜鉄道「今福線」旧線

←下佐野  有福→

 下府川沿いに橋脚が残っています。

 当時は難工事だったのでは、と想像します。

[2020/03/20 / 14:08]
 広浜鉄道「今福線」旧線

←下佐野  有福→

 こちらは別の橋脚です。

 ずんぐりした形状となっています。

[2020/03/20 / 14:10]
 今福旧線「有福第三トンネルと橋脚」

←下佐野  有福→

[2020/03/20 / 14:10]
 今福旧線「有福第三トンネルと橋脚」

←下佐野  有福→

 ここには橋脚が2本あります。

[2020/03/20 / 14:11]
 宇野集落 付近

 この辺りで何度か発生した水害により今福旧線の路盤は崩壊したそうです。

 とはいえ、戦争で中断しなければ、石見今福までは開業できただろう――とのお話でした。

 川沿いの難工事がかなり出来上がっていただけに、地元の方や関係者は無念だった事でしょう。
ありふく
有福
ARIFUKU
かみこう
KAMIKO
しもさの
SHIMOSANO

[2020/03/20 / 14:11]
 宇野集落 付近

 有福駅予定地は今回未訪問です。

 集落の名前は「宇野町」ですが、予定の駅名は「有福」だったようです。

 地図で北東を見ると「浜田市下有福町」、そして市境を越えて「江津市有福温泉町」と続きます。
 昭和30年まで宇野は有福村の一部だったため、村の名を冠した仮称だったのかもしれません。

[2020/03/20 / 14:19]
 A今福旧線「上府第一トンネル」

←上府  有福→

 かつては生活道路として使われていましたが、その後、閉鎖されたようです。
かみこう
上府
KAMIKO
しもこう
SHIMOKO
ありふく
ARIFUKU

[2020/03/20 / 14:21]
 広浜鉄道「今福線」・上府駅(予定地)

↑下府  有福↓

 この辺りに今福線の最初の駅、上府(かみこう)が予定されていたそうです。鉄道の路盤跡が道路となって伸びています。

[2020/03/20 / 14:22]
 今福旧線・上府〜下府

↑下府  上府↓

 鉄道の敷地を活用した道路を快走しました。


 ■ (6) 下府駅〜浜田駅 ■
下 府
しもこう Shimoko
はまだ
Hamada
かみこう
Kamiko

[2020/03/20 / 14:26]
 山陰本線・下府(しもこう)駅

←久代・上府  浜田→

 今福旧線はこの駅で山陰本線と分岐する予定でした。写真の駅名版の裏側が“幻の3番線”です。

[2020/03/20 / 14:37]
 今福新線・分岐疑定地
 浜田市陸上競技場 兼 サッカー場 付近

←浜田  石見今福→

 ずっと旧線を追ってきましたが、最後に「新線」が登場します。写真の左側、オレンジ色の矢印は、JR山陰本線です。今福新線はこの辺りから分岐する予定だった可能性が高いようです。
 おそらく山の手前側、陸上競技場の裏側をかすめて、しばらく進んでから長大トンネルに突っ込む計画だったと思われます。

 
浜 田
はまだ Hamada
にしはまだ
Nishi-Hamada
いわみいまふく
Iwami-Imafuku

[2020/03/20 / 14:51]
 山陰本線・浜田駅


 ■ (7) おまけ ■
いわみ いまいち
石見今市
IWAMI IMAICHI
いわみいまふく
IWAMI IMAFUKU
いわみとくだ
IWAMI TOKUDA

[2020/03/20 / 15:26]
 浜田道・旭IC

 浜田市・旭自治区(旧・旭町)の玄関口となっている「浜田道・旭IC」です。(高速バスの車窓)

 旭町内には「旭町駅」を設置予定でした。なお、町の中心部のバス停の名は「石見今市」です。

 仮に駅名を命名できる権限があった場合、筆者としては「石見今市」が好みですが、「石見今福」が隣の駅のため、紛らわしい可能性があります。

 
三 段 峡
さんだんきょう Sandankyo
とごうち
Togouchi
はしやま
Hashiyama

[2002/05/04]
 可部線/今福線・三段峡駅

↓橋山(未成)  戸河内↑

 2003年11月末限りで廃線となった、JR可部線のかつての終着駅「三段峡駅」の現役時代です。

 2002年5月に一度だけ訪問しました。
 初めてデジカメを購入し、日が浅い頃でした。

[2002/05/04]
 可部線/今福線・三段峡駅

↑橋山(未成)  戸河内↓

 この先、芸北・浜田方面に建設される予定でしたが、レールは唐突に途切れていました――。

 今福線の夢の起点でもあり、終着駅でもあったこの場所を最後に紹介し、本章の結びとします。