2002年 6月・あとがき

 
本文 幻想断片

2002年 6月の幻想断片のあとがきです。
自己満足の文章ですので、あらかじめご承知おき下さい。



 自己満足あとがき 


 今月は50KBを越え、非常に好調だった。小説のように気張るのではなく、良い意味で力まず、楽しんで書くことができた。久しぶりにキャラが自発的に動いてくれた(特にシェリアとか)。
 このキャラなら、こう考え、こう動く、と頭で考えるのではない(それをするのが小説家なのかも知れぬが)。ルデリアの人々は自分の意志で動き、生きているのであり、作者に操られる人形ではない。作者は神ではなく、作者の思い通りにはならぬ。
 ルデリアと作者の関係は何か。それは翻訳であり、写生である。物語やテーマという枠内に押し込めるのではない。キャラはごく自然に生きており、私の心へ働きかけてくる。作者は不思議な精神接触により心に浮かんできたイメージを書き取るだけであり、作者は小説力よりもむしろ翻訳力を鍛えねばならぬ。
 キャラはごく自然に、作者の心へ根を張っている。その自然さこそが私にとってルデリアの魅力の一つだと感じているし、あの世界の人々や出来事を伝えられることを誇りに思う。もちろん、まだまだ力不足だ。あのイメージを書き取るには語彙や表現が不足しているし、イメージが先行して書き取れないこともある。
 小説には向いていないかも知れぬ。常にルデリアありきで、小説は表現方法の一つに過ぎなかった。昨今、小説にこだわる必要は無いかも知れないとも思い始めてきた。息づかいを殺してしまう翻訳をするよりは、たとえレベルが低いと言われ続けても、ルデリアにふさわしいと思える表現方法を模索したい。それに対し批判も賞賛もあるだろう。あとは好みの問題である。
 いまは幻想断片という表現方法が合っていると感じる。今後、それは変わっていく可能性も充分に考えられるし、その時はその時の判断を大切にしたいが、とりあえず今はこの形式を採用している。毎日毎日、限られた時間内でルデリアに接触するのは一つの勝負であるとも言えるし、快い緊張感も伴う。精神的に安定していないと接触が失敗する場合だってあるのだから。
 これからも〈自然さ〉の原点を大切にし、ルデリアを多くの人に紹介し続けていきたいと願う。まずは幻想断片1000編だ。
 

 2002. 6.30. 秋月 涼
 






本文 幻想断片