はじまりの雪

 〜森大陸(しんたいりく)ルデリア・幻想結晶〜

 

秋月 涼 


「雪、降らないかなぁ……」
 歩きながら曇った宵の空を見上げ、リンローナがつぶやいた。北国メラロールの夕刻には冷気が忍び寄り、通りに灯った淡い黄色の油ランプの光が照らす範囲の吐息は白く煙っていた。
「大雪になると大変なんだぜ。雪かきとか、よ」
 横で歩いていたのはケレンスだった。それぞれの手には食材を詰め込んだ麻袋を提げている。今日はこの町で世話になっている宿の、恒例行事である年末パーティーで、宿泊客であるケレンスとリンローナも好きな具材の買出しに出ていたのだった。
「そっかぁ……そうだよね、生活するとなると大変なんだよね。あたしはつい嬉しく思っちゃうけど。滅多に見たことないんだ」
 リンローナは穏やかな声で語り、手が空いている左の手袋を口元に近づけて思いきり息を吐き出した。老婆と二人の孫が楽しげに会話しながら歩いているのとすれ違い、煉瓦で舗装された通りの両側には商店が建ち並び、飲食店は活気を呈し始めていて、どの煙突からも緩やかに灰色の煙が立ち昇っている。
 袋の大きさに比べ、それほど重みはないようで、金の髪を短く刈ったケレンスは余裕のある口調で隣の少女に問いかけた。
「そういえば、リンの故郷は、あんま降らないんだろ?」
「うーん。降ることはあっても、たくさん積もるのは珍しいよ」
 ベージュのロングコートに身をつつんだ草色の髪のリンローナは、こっくりとうなずいた――瞼の裏に懐かしい故郷を映して。

 しだいに人並みが疎らとなり、二人の口数も減ってくる。彼らが連泊している感じの良い安価な宿はもう少しで見えてくる。
「ん?」
 ケレンスはすぐに気がついた――いつしか頬に触れる風の鋭さに、異なる冷たさが混じりだしたことを。一瞬だけ肌に貼り付き、すぐに水っぽく溶ける〈何か〉が、北風の中で舞っている。
「降ってきた……」
 リンローナも気づいて、頬を喜びで緩ませ、立ち止まった。
 少女の視界に広がる白い温かな吐息に、高貴な銀色の粉雪が重なる。それは優雅でもあり、けがれが無い。またその細かな雪の子の軽やかな動きは天使の会話か遊戯にさえ思える。

「よし。早いとこ、シェリアの姉御たちに知らせようぜ」
「うん!」
 二人は足取りも軽く、宿屋に向かって帰っていくのだった。
 しだいに色濃くなってゆく雪色のヴェールをくぐって――。

(了)



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