森の宝石箱 〜
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秋月 涼 |
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「う〜ん」 シルキアは立ち止まり、両手を組んで空に伸ばし、つま先立ちをして思いきり伸びをした。十四歳の若く艶やかな茶色の髪が、森の奥の方から吹いてくる清々しい朝の風になびいた。 近くの森の入口は、今はシルキアの貸し切りだったけれど、誰もいないからと言って辺りはひっそりしているわけではない。鳥たちの高らかにさえずる声が、あちらの枝からも、こちらの枝からも聞こえていたし、虫や蝶が飛んでいたり、何か小動物が茂みの向こうで動いたり、リスが幹を登っている姿が見えた。 蜘蛛の巣はだいたい破れていて、水の雫が光っていた。夜半過ぎに短い通り雨が降ったのだ。地面は湿っていて、場所によっては多少ぬかるんでいたが、気を付ければ問題なかった。 「森の匂い、大好き」 木々の梢と、その向こうに覗く青空を仰ぎ見ながら、後ろ手に組み、シルキアはつぶやいた。雨の後でしっとりと湿った森は、幹や枝、葉っぱや根っこ、草や花、大地の匂いに充ちていた。 涼しい風に吹かれ、幾つかの霧のかたまりが木々に見え隠れしながら地面の近くを流れてゆく。色の濃さや形や大きさには個性があり、森から生まれた不思議な生き物のようだった。 まばゆい太陽の光が東の空から投げかけられて、白樺の林の奥の方まで届いていた。木々の影は長く、複雑な模様を描いている。時々、速やかに流れる白い雲が気まぐれに太陽を隠すと、森は薄いカーテンを閉じたかのように一斉に薄暗くなった。 シルキアは顔を下ろし、周囲を見回して、こうつぶやいた。 「灰色の翼」 光と影が消えて、彩りが弱まり、森が全体的に控えめな灰色のヴェールをまとったような印象を受けたのだろう。その状態は長くは続かず、やがて少女がぱっと笑うかのごとくに太陽が再び顔を出すと、隅々まで朝の明るさが広がってゆくのだった。 「ふーっ」 村娘のシルキアは幸せそうに深呼吸をした。それから朝寝坊の姉について口を尖らせ、少しだけ寂しそうに顔を曇らせた。 「お姉ちゃんも起きて、一緒に来ればいいのになぁ……ふぅ」 小さい溜め息をつき、肩の力を抜いて穏やかな表情を取り戻したシルキアは、森につつまれたままうっすらと眼を閉じた。 少女はしばらくの間、その場に立ちつくしていた。重なり合う鳥のさえずりが、秋の花の淡い香りが、白樺の林を充たした。 〜 ・ 〜 ・ 〜 ・ 〜 ・ 〜 ・ 〜 やがて一瞬、鳥たちの歌声が鳴りやんだかと思うと――。 ひゅう、と強い風が吹いて、木の枝が大きく揺れ動いた。鳥たちが羽ばたき、森は騒がしく慌ただしい雰囲気につつまれた。 「ひゃっ」 無意識のうちにシルキアは右手を挙げ、頭を守るようにした。 次の刹那、木の枝や葉っぱが溜めていた夜の雨粒が、あちらこちらでこぼれ落ち始めた。地面に降りる前にひと休みしていた大粒の透き通った雨の群れが、ついに木々を巣立ったのだ。 「うわ〜っ」 もう一度、空を仰ぎ見た少女は、それきり言葉にならない。 葉っぱにぶつかり、パラパラと音を立てながら、たくさんの雫がシルキアの方に向かって降り注いでくる。それが森に射し込んだ光の帯をくぐり抜ける時、次から次へときらめくのだった。 水と光を掛け合わせ、朝の輝きで作られた星座が、刻々と変化しながら流れ星になって舞い降りてくる――確かにその風景は、夜空にひしめく星とどこか似通っていたのかも知れない。 細かく砕いた虹であるかのように、雫は光を受けるたびに色を塗り替えながら飛んできて、そのうちの幾つかがシルキアのもとへたどり着いた。髪の毛や、頭を守るために伸ばした右手の甲にぶつかると、その冷たさに少女は悲鳴をあげるのだった。 「ひゃあ」 思わず、ぎゅっと目を閉じる。森の小道を雨粒がノックする音がごく近くで雑然と響いたかと思うと、すぐに収まっていった。 次に瞳を開いた頃には、雨音はほとんど途絶え、一瞬だけの芸術――太陽と雨との共演――は幕を閉じようとしていた。 シルキアは我に返り、うっとりした口調でつぶやくのだった。 「光の雨だ……」 辺境の村に住むシルキアが決して目にすることのない、貴族の深窓の令嬢が持っている最高級の宝石箱は、赤や青、紫や黄色の美しく透き通った宝石たちで充たされていることだろう。 あの時の森は、僅かな間ではあるけれども、確かにそれよりも優雅に輝いた。森のすべてが、宝石箱になったのだった。 「よし、帰ろっ。お姉ちゃんに報告しなきゃ!」 森の奥に背を向けて元気に言うと、シルキアは村の家を目指して、大地を踏みしめながら元来た道を下ってゆくのだった。 | ||
(了) | ||
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