「あたしに〈お願い〉ですか?」 「ええ」 メルファは優しく微笑んだ。 リンローナは首を傾げる。 「でも、メルファ族のあなたにさえ出来ないことが、 このあたしに出来るのかなぁ……?」 リンローナがまだ言い終わらないうちに、 「出来ます」 メルファは強く否定した。 同時に、憂いを秘めた緑色の美しい眼が妖しい光を放つ。 一方のリンローナはやはり心配そうに、顔を曇らせる。 「大丈夫かなあ……」 「なあに、簡単なことです」 「ほんと?」 「ええ」 メルファは立ち上がると、部屋の隅にあった水瓶を持ってきた。 形は細長く、側面には綺麗な彫刻が施されている。 「喉が渇いたので、これに水を汲んできてくれませんか?」 「え?」 リンローナは耳を疑った。 「それだけでいいんですか?」 「ええ。それだけでいいんですよ。 それが、私の願いでした。 やってくれますか?」 「……わかりました。 色々お世話になったから、恩返しをしたかった。 水汲みぐらいなら、あたしにもできます。 ぜひ、やらせて下さい!」 「ありがとう」 メルファはほっとした様子だ。 「家を出たら、左の方に進んで下さい。 ゆるやかな下り坂の先に、小川があります。 そこの水は、とっても美味しいんですよ」 「ふうん。そうなんですか」 「小川への行き帰り、足元には気をつけて下さい」 「はい。……じゃあ、行って来まーす」 リンローナは水瓶を抱え、メルファの一軒家を飛び出した。
森の中は相変わらず、深い霧に包まれている。 が、さっきと違い、どこかおかしい。 (夜だったはずだけど……。日の出なのかな?) ぼんやりと明るい。 妙になま暖かい。 なんとなく、こげ臭い。 (身体も心も疲れすぎて……。 幻覚? 頭が働かないなあ。 もう、どうでもいいや。 とにかく今は、この水瓶を満たせばいいんだ) リンローナはそう思い、先が見えない坂道を慎重に下る。 さらさら……静かな水のせせらぎが聞こえてきた。 しゃがんで、手を浸してみる。 「きゃっ!」 冷たさに、思わず手を引っ込める。 「もう一度……」 今度は両手にすくい、ちょっと味見。 「んっ! 本当に美味しい水だぁ」 ぼんやりしていた思考回路が、急に冴えてくる。 時を同じくして、さっきまで自分を取り囲んでいた霧も消え始める。 「ついでに顔も洗っちゃおっと」 二、三回、繰り返した後、リンローナは本来の目的を思い出した。 「あ、水汲みだった……」 水瓶の口を小川に入れ、少し待ってから持ち上げる。 「……よぉーし、完了! 帰ろう」 夜明けだった。 霧も完全に晴れあがり、東の空は黄金色に輝いている。 「えっ?」 リンローナは絶句した。 炭と化した巨木、焼け焦げた黒い草、土までもが……。 大火災のあとと言わんばかりの惨状だった。 「嘘……こんなの嘘だよ!」 リンローナはいつの間にか、駆け足になっていた。 もと来た坂道を、今度は登る。 「ない、ない、……ない! どうしてなの?」 メルファの一軒家があった辺りには、 何本かの丸太の燃えかすが、ただ積み重なっているだけだった。 リンローナは全身の力が抜け、片膝をついた。 その拍子に、さっきの水瓶が割れる。 飛び散った水は、さながら血吹雪のようだった。 【それが、私の願いでした】 心の底に響いてくる、あのメルファの声。 【最後の願いだったのです】 高度な魔法文化を持つメルファ族でさえ、 山火事を止めることは出来なかった? 【ありがとう……】 もう涙も出つくし、抜け殻のように呆然としているリンローナ。 だんだんと意識が遠のいていく……。 【森の、かなしみ……】 メルファが最後に言おうとしたことは、一体、何だったのだろう。 今となっては知る由もない。 枯れ草の間からわずかに顔を覗かせた 新芽の力強さだけが、 唯一の救いだった。
★STORYs-ルデリアの全体像

