その日。 リンローナは結局、早々にナミリアの家を辞した。 これ以上ワインを飲むのが怖かったのも理由の一つではあるが、 なにより、ナミリアの父が気の毒に思えたから。 あのワインはきっと、大切にしまっておいた宝物なのだろう。 内緒で飲んでしまうのは、忍びなかった。 ……暖かな日差しは、町中にこぼれている。 春の光は、雨のように降り注ぐこともあれば、 霧のように優しく染みわたる時もあった。 果てしなく繰り返される、変幻自在な光の歌。 通りの隅っこでは、まるまる太った猫が大あくびをしていた。 さて、暖まったモニモニ町の石畳をしばらく歩き、 いくつか角を曲がると、やがて立派な屋敷が現れた。 リンローナは迷わず門の方に進む。 この屋敷こそが、ラサラ家の自宅である。 庭の道をまっすぐ歩むと、玄関に着く。 ドアを開けると同時に、リンローナは帰宅を告げる。 「ただいまー」 その声は、さっきの酔いが残っているせいか、少し上擦っていた。 そしてドアがばたんと閉まる。 階段をトコトコ昇っていく。 二階の突き当たりがリンローナの部屋で、 その一つ手前が姉のシェリアの自室になっている。 辺りに漂う、ほのかな木の匂いが香ばしい。 木造二階建てで、かなり広い屋敷である。 姉の部屋の前を通りがかると、小さな物音を耳にした。 つまり、シェリアはすでに帰っているようだった。 「お姉ちゃん、ただいまー」 リンローナは何気なく声をかけた。 ……しかし、返事はない。 「変なの」 いつもはリンローナが挨拶すれば、 どうにか聞こえるくらいの囁き声ではあるものの、 姉は必ず「おかえり」と応えてくれる。 面倒くさがり屋の姉だが、最低限の礼儀はわきまえているのだ。 しかし今日に至っては、普段の小声の返事さえ、なかった。 全くの無視である。 これは、はっきりいって珍しい事態だった。 得体の知れない、何か嫌な予感が、不意にリンローナの脳裏をかすめる。 (もしかして、泥棒さん……?) 心の奥底で強い稲妻がきらめき、身体全体が一気に緊張する。 (どうしよう!) 姉の部屋の中からは、再び、かすかな物音が聞こえた。 姉だろうか、それとも悪い人だろうか? 「……お姉ちゃん?」 震える声で、もう一度たずねるリンローナ。 静寂。 やはり、返答はない。 (もしもお姉ちゃんが、泥棒さんに捕まっていたとしたら?) 想像は、悪い方へ悪い方へと傾いていく。 彼女はごくんと唾を飲み込み、覚悟を決めた。 (お姉ちゃんを助けなきゃ!) 窓から迷い込んだ風が、木の廊下を心地よく流れる。 風は、リンローナの背中の方から吹き込んでいた。 彼女は一瞬、振り返る。 すると、廊下の窓は完全に開け放たれていた。 それを確認すると、リンローナはすぐに姉の部屋へと向き直る。 目の前にはドアが立ちはだかっている。 後ろには、全開の窓。 (そうだ!) 状況を整理する。 姉の部屋から廊下に逃げ出したと仮定すると、 真正面に位置するのが、開け放たれた窓である。 (何かあったら、窓から助けを求めればいいんだね) リンローナはそこで一度、大きく深呼吸した。 そしてドアに近づき、恐る恐るノブを握る。 力を込め、ゆっくりと右へ回していく……。
★STORYs-ルデリアの全体像

