長崎県(概要執筆中)
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[2015/09/19 / 05:47]
羽田空港
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[2015/09/19 / 06:49]
ソラシド エア
BOEING737-800に搭乗
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[2015/09/19 / 07:17]
[動画] 羽田空港から離陸
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[2015/09/19 / 07:25]
東京都・日野市上空
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[2015/09/19 / 08:34]
海の中道・志賀島(福岡県)
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[2015/09/19 / 08:49]
[動画] 長崎空港に着陸
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[2015/09/19 / 09:11]
長崎空港
諫早ゆきのバスに乗車
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[2015/09/19 / 09:24]
大村線・大村駅
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[2015/09/19 / 09:57]
大村線の車窓
快速シーサイドライナー
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[2015/09/19 / 10:18]
大村線・南風崎(はえのさき)駅
信号待ちでしばらく停車。戦後の引き揚げ列車の始発駅であり、碑があった。
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[2015/09/19 / 10:21]
大村線・ハウステンボス駅
ハウステンボスには2006年5月に行った。帰りに大村線全線に乗っているが、ハウステンボス以南は夜間だったため、海は見えなかった。そのため今回が実質的な初乗車である。
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[2015/09/19 / 10:56]
JRグループで日本最西端に位置する佐世保駅に到着した。
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[2015/09/19 / 11:15]
松浦鉄道の佐世保駅
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[2015/09/19 / 11:17]
昼食は佐世保バーガー。
佐世保駅の中にあった「LOG KIT」にて購入。
スモールサイズ(\530)でもこの大きさ。
注文してから作り始める手作りのアツアツで、肉汁のしたたる牛肉、マヨネーズ、新鮮なレタス、厚いパンの食べ応えのあるバーガーに満足!
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[2015/09/19 / 11:33]
松浦鉄道・北佐世保駅
女学生以来、65年ぶりくらいに松浦鉄道に乗るというお婆さんと同じボックス席になった。当時は空襲警報が出て、一斉に窓を閉めたとか。新しい駅がたくさん出来たり、風景の変貌ぶりに驚いておられた。どうぞ、いつまでもお元気で。
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[2015/09/19 / 11:40]
松浦鉄道・左石駅
1967年まで柚木線が分岐していた。
指が写真に写り込んでしまった。
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[2015/09/19 / 12:07]
松浦鉄道・佐々(さざ)駅
周辺の市町村がことごとく佐世保市に編入されたが、単独で頑張っている町である。佐世保市のベッドタウンとして人口は増加傾向とのこと。
1971年まで臼ノ浦線が分岐していた。
写真のホームが使用されていた模様。
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[2015/09/19 / 12:15]
松浦鉄道・神田(こうだ)駅
昭和時代のふるさとを感じさせる希有な駅。
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[2015/09/19 / 12:18]
松浦鉄道・吉井駅
1971年まで世知原線が分岐していた。
吉井町・世知原町は2005年に佐世保市に編入され、自治体としては消滅した。佐々町に比べると、活気に乏しいように見えた吉井であった。
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[2015/09/19 / 12:29]
松浦鉄道・高岩駅
結構な頻度で、男女の高校生が乗り降りする路線である。祝日なので部活動だろうか。
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[2015/09/19 / 12:38]
何もないのだが、それがいい。
この先に、日本最西端の鉄道駅がある。
いつか来るべき所に、ついに来たのだ。
旅情は最高潮に達する。
(松浦鉄道・すえたちばな駅⇒西田平駅)
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[2015/09/19 / 12:44]
松浦鉄道・たびら平戸口駅。
日本で最西端の“鉄道”駅である。
(沖縄にあるのはモノレール)
東経129度35分。
日本は狭いかも知れないが“長い”と思った。
145度の東根室駅とは1時間の時差がある。
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[2015/09/19 / 12:47]
駅前に立つ「日本最西端の駅」の碑。
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[2015/09/19 / 12:47]
最西端といっても、駅である以上、利用されてこそ意味がある。乗降客が結構いるのは嬉しい。
赤字の続く松浦鉄道であるが、駅の追加と増発による利便性の向上で黒字の時期もあり“三セクの優等生”と呼ばれれていた。私の感覚だが、今でも他の第三セクター鉄道に比べると、地域住民が積極的に利用している雰囲気があった。
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[2015/09/19 / 13:03]
ここまで来て観光しないのは勿体ない。
一生のうち、もう一度来られるか分からない。
私はタクシーで平戸島へ渡った。
まずは平戸城に向かった。
1962年に再建された模擬天守である。
このような国土の西の果てでのみ、オランダ貿易を許可したという江戸の鎖国政策の厳しさに、初めてリアリティを感じたように思う。
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[2015/09/19 / 13:07]
平戸城の天守閣から、平戸港
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[2015/09/19 / 13:08]
天守閣より北東方向は絶景だった。
風が強かったが、気持ち良かった。
右奥に見えた島影は、たぶん壱岐!
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[2015/09/19 / 13:28]
続いて「ザビエル記念聖堂」を見学。
中も公開されており、指定の区画で見学した。
タクシー運転手から諸々の話を伺った。
・平戸や生月には教会も多いが、寺も多い
・平戸市街地は埋め立て地が多い
・平戸大橋が出来るまでは、島を目の前にしても夜間に帰島できなかったのが不便だった
・田平町の田平教会の方が“ザビエルさん”(ザビエル記念聖堂)よりも古く煉瓦造りだが、宣伝下手で浸透していない
タクシー代は駅からの往復で3,710円、想定内。
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[2015/09/19 / 13:08]
フェリーを置き換えた平戸大橋。
以後、フェリー乗り場周辺は寂れたという。
こうして平戸島を後にした。
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[2015/09/19 / 13:43]
たびら平戸口駅には鉄道博物館があった。
松浦鉄道の歴史等が説明されていた。
沿線はかつて北松炭田で栄えた。
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[2015/09/19 / 13:47]
さらば、日本最西端の鉄道駅。
この地から、私は東に舵を切る。
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[2015/09/19 / 13:57]
松浦鉄道・東田平駅
今日は5連休の初日である。この駅に、娘さんとお孫さんを迎えに来た壮年の男性が立っていた。
緊張した表情の男性だったが、娘さんを見つけ、お孫さんの頭を撫でたときの、その表情――。
それは心からの歓びだ。人は齢を重ねても、こんな純真な笑顔ができるのだと、感銘を受けた。
東京から遠く、もう二度と来られない可能性のある松浦鉄道は、私の記憶に刻まれた路線だった。
元気でいれば、いつか再訪できるだろう。
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[2015/09/19 / 14:11]
松浦鉄道・松浦発電所前駅⇒松浦駅
松浦鉄道の拠点の一つ、松浦駅に向かう。
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[2015/09/19 / 14:23]
松浦市調川町にある前浜駅前には、炭鉱住宅風の古い平屋の市営住宅が並んでいた。
この奥には「中興化成工業」という会社の工場があるようだ。その元々の親会社は「中興鉱業」であり、隣駅の調川(つきのかわ)付近で江口炭鉱を営んでいた。
写真の市営住宅は、炭鉱とは無関係と思うが、何らか関係がある可能性も否定できない。
何の知識もなく、初めてこの地を訪れた者としては、往時の繁栄を遠く想像するばかりである。
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[2015/09/19 / 14:27]
松浦鉄道・前浜駅⇒鷹島口駅
車窓には美しい海と古い家並みが続いた。
全般的に昭和の雰囲気が残る沿線だった。
左に見える小さな島は「飛島」で、炭鉱の島だったようだ。人口は激減している模様。「鷹島」ゆきのフェリーが立ち寄るとのこと。
飛島の右奥は「福島」という島のようだ。地図と照合しないと、どこが岬でどこが島か分からない。
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[2015/09/19 / 14:30]
松浦鉄道・今福(いまぶく)駅。
長崎県最後の駅であり、佐賀県に入る。
青い海と空――いきなり旅のハイライトのような長崎県の旅であった。
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福岡県(1)(概要執筆中)
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[2015/09/19 / 18:13]
筑肥線・筑前深江駅
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[2015/09/19 / 19:39]
博多南線・博多南駅
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[2015/09/20 / 06:50]
日豊本線・小倉駅(北九州市)
日田彦山線経由の日田ゆきに乗車した。
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[2015/09/20 / 07:12]
日豊本線/日田彦山線・城野駅
城野駅から、未乗の日田彦山線に乗り入れる。
ちょうど行き違いの気動車がやってきた。
ポイントをいくつも渡って日田彦山線に入線。
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[2015/09/20 / 07:18]
日田彦山線・石田駅⇒志井公園駅
北九州市・小倉南区。のんびりした風景になったと思ったら、突如、モノレールの車両基地が現れた。「銀河鉄道999」の車両が見えた時、北海道の「ふるさと銀河線」を思い出した。
モノレールの終点「企救丘(きくがおか)駅」は、JR志井公園駅の近くにあるようだ。時刻表の巻頭の地図からは読み取れなかった。
この辺りは宅地化が進んでいる。
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[2015/09/20 / 07:28]
日田彦山線・石原町駅
昭和の風景が残っている石原町駅。
日田彦山線で印象に残った駅の一つである。
その昔は急行停車駅であり、利用者が多かったと思われるが、2015年春に無人化されている。
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[2015/09/20 / 07:33]
日田彦山線・呼野駅
今となっては珍しい鉱山の町、呼野。
石原町を過ぎると線路は山に向かった。かつてスイッチバック式だった山間部の呼野駅である。
三菱マテリアル社が石灰石の東谷鉱山を経営している。三菱のスリーダイヤの紋が入る社宅に、北海道の炭鉱町「大夕張」の全盛期を想った。
休日の朝、町はひっそりと静かだった。
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[2015/09/20 / 07:40]
日田彦山線・採銅所駅
どんな場所か気になっていた採銅所駅。
山に囲まれた小さな盆地の駅だった。
かつては「採銅所村」という自治体だったようだ。
現在は香春町に属する。
まず各駅停車と列車交換した。
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[2015/09/20 / 07:41]
日田彦山線・採銅所駅
極めて良い雰囲気である。
おそらく国鉄時代から変わらない風景だ。
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[2015/09/20 / 07:43]
日田彦山線・採銅所駅
サイクリングに行く方が用意をしていた。
駅舎は瀟洒な雰囲気だった。
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[2015/09/20 / 07:45]
日田彦山線・採銅所駅
向こうにはトンネルが見える。
一番好きなアングルだ。
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[2015/09/20 / 07:46]
日田彦山線・採銅所駅
印象に残った山間の駅を出発する。
この後、快速列車と行き違った。
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[2015/09/20 / 07:55]
日田彦山線・香春(かわら)駅
かつての添田線の分岐駅・香春では、香春岳(一ノ岳)が見えた。石灰石を削られて、高さは半分程度になっているという。工場も見えた。
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[2015/09/20 / 07:56]
日田彦山線・香春駅⇒一本松駅
立派な“日本セメント香春工場”
長い間、地域の経済を支えてきたと思われるが、セメントの生産は終了しているようだ。
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[2015/09/20 / 07:56]
日田彦山線・一本松駅⇒田川伊田駅
かつての炭鉱都市の中心地、田川伊田駅が近づくと住宅が密集したが、廃屋も多いようだ。
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[2015/09/20 / 07:56]
日田彦山線・田川伊田駅
広い構内に、JRと平成筑豊鉄道の列車が並んだ。2003年1月以来、12年ぶりの再訪である。
左から、日田彦山線の日田行き(乗車中/8:07発)、日田彦山線・彦山発の小倉行き(8:10発)、平成筑豊鉄道の直方発行橋行き(8:07発)。
愛称は「MrMax(ミスターマックス)田川伊田駅」
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[2015/09/20 / 08:14]
日田彦山線・田川後藤寺駅
この駅も12年ぶりの訪問である。
前回は後藤寺線で来て、糸田線に乗り換えた。
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[2015/09/20 / 08:16]
日田彦山線・田川後藤寺駅
向こうに見えるのは後藤寺線。
跨線橋が古めかしい。
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[2015/09/20 / 08:21]
日田彦山線・田川後藤寺駅⇒池尻駅
朝もやの都・田川
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[2015/09/20 / 08:22]
日田彦山線・池尻駅
池尻駅でも列車交換。
今日は祝日だが、平日と同じダイヤである。
北海道の旧産炭地(石狩炭田=夕張市・赤平市・芦別市・歌志内市、留萌炭田=羽幌町等)は人口激減だが、田川市は未だに5万近い。
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[2015/09/20 / 08:26]
日田彦山線・豊前川崎駅
上山田線、油須原線(未成)との分岐駅だった豊前川崎駅には、かつての構内跡に駐車場が出来ていた。駅周辺に活気は感じられなかった。
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[2015/09/20 / 08:33]
日田彦山線・添田駅
添田線が分岐した添田駅にて、また列車交換(日田発、田川後藤寺ゆき)。ここまでが田川市の通勤圏内だろう。区間列車も多い。
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[2015/09/20 / 08:46]
日田彦山線・彦山駅
急に山の中に分け入り、しばらく走ると彦山駅に着いた。赤い屋根の立派な駅舎があった。
かつて英彦山信仰で賑わったのだろう。
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[2015/09/20 / 08:54]
日田彦山線・筑前岩屋駅
峠の長いトンネルを抜けて、筑前岩屋駅に到着した。「朝倉郡」東峰村に位置しており、朝倉市(甘木や秋月)の、山を挟んだ反対側にあたる。
駅舎は新しい木造駅舎だった。
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[2015/09/20 / 08:59]
日田彦山線・筑前岩屋駅⇒大行司駅
福岡県東峰村。
山と空の美しいところである。
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[2015/09/20 / 09:03]
日田彦山線・大行司駅
大行司の集落より、かなり高い位置にある。
列車交換が可能な駅であった。
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鹿児島県(概要執筆中)
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[2015/09/20 / 14:24]
ついに鹿児島県に入った。
海に県境はなく、車窓には蒼い海が続いた。
右奥の遠い島影は、おそらく天草である。
天草は30年前の1985年8月に家族で行った。
日航ジャンボ機墜落を、私は天草で知った。
その後、再訪する機会に恵まれていない。
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[2015/09/20 / 14:29]
鹿児島県最初の駅である米ノ津を発車すると、九州新幹線の高架が寄り添ってきた。
空も大地も広く、開放的な気分だった。
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[2015/09/20 / 14:31]
肥薩おれんじ鉄道・出水(いずみ)駅
すれ違ったのは「葦北鉄砲隊」のラッピング列車。
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[2015/09/20 / 14:36]
肥薩おれんじ鉄道の重要な拠点、出水駅。
ここで車両交換となり、乗り換えた。
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[2015/09/20 / 15:02]
赤瀬川信号所で列車交換をした。
今時、信号所の存在自体が珍しい。
崖の隙間から、蒼い海と砂浜が覗いた。
かつて鹿児島本線が重要な幹線であり、あまたの特急が行き交った時代を想像した。この辺りは単線であり、ダイヤ構成上のネックだったようだ。
紀行作家の宮脇俊三さんが、 「鹿児島本線の度重なる非協力ぶり」 に憤慨していた事を思い出した。
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[2015/09/20 / 15:10]
九州新幹線の開業によって在来線の特急列車が失われ、阿久根駅は不便になったと聞く。
起死回生を狙ったのだろうか。駅舎は水戸岡鋭治氏のデザインでリニューアル化され、駅前にはブルートレイン(ライダーハウス)が並んでいた。
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[2015/09/20 / 15:16]
肥薩おれんじ鉄道・牛ノ浜駅
高台から望む海が抜群の開放感だ。
印象的なオーシャンビューの駅だった。
なお、阿久根市内の各駅には、同市出身の漫画家・はまさきちい氏の画による可愛らしい駅名標が設置され、イメージアップに貢献していた。
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[2015/09/20 / 15:18]
牛ノ浜駅⇒薩摩大川駅
この区間は海に尽きる。
おれんじ鉄道の、一つのハイライトであった。
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[2015/09/20 / 15:26]
薩摩大川駅⇒西方駅
視界のほとんどが、海と空だ。
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[2015/09/20 / 15:27]
薩摩大川駅⇒西方駅
列車の後方を展望。
紺碧の海原に沿って一筋の鉄路が走る。
旅客列車は全て気動車だが、貨物列車のために電化設備が残してある。
この後、次の西方駅で特別列車「おれんじ食堂」とすれ違った。
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[2015/09/20 / 15:31]
西方駅⇒薩摩高城(さつまたき)駅
白い砂浜と椰子の木が南国ムードを高めた。
日本の鉄道で屈指の車窓だろう。
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[2015/09/20 / 15:32]
肥薩おれんじ鉄道・薩摩高城駅
この駅では普通列車と行き違った。
海から至近であるが、路線はここから内陸に分け入っていく。すでに薩摩川内市内である。
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[2015/09/20 / 15:51]
川内(せんだい)駅に到着した。
肥薩おれんじ鉄道を完乗し、JRに乗り換えた。
朝から乗り続けて、ついに鹿児島中央ゆきだ。
かつては国鉄・宮之城線が分岐していた。
新幹線なら鹿児島中央までわずか12分だ。
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[2015/09/20 / 16:50]
鹿児島本線・広木駅⇒鹿児島中央駅
車窓から鹿児島城が見えた。
次は終着の鹿児島中央駅である。
山が多く、薩摩の地形の険しさを感じた。
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[2015/09/20 / 16:59]
鹿児島本線・鹿児島中央駅
ここでの最大のミッションは夕食を買い込むことだったが、人が多くて右往左往してしまった。
次回、この駅を訪れる時があれば、きっとJR線の完乗が迫っているはずだ。
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[2015/09/20 / 17:29]
本日、最後の路線となる指宿枕崎線。
途中で、雲に霞む桜島が見えた。
指宿(いぶすき)ゆきに乗車した。列車はとても混雑しており、1時間半、ずっと座れなかった。
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[2015/09/20 / 17:43]
指宿枕崎線・平川駅付近
途中から海沿いを走る。指宿枕崎線は、一つの旅の終わりにふさわしい路線だ。
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[2015/09/20 / 17:47]
指宿枕崎線・瀬々串駅
列車交換のため停車。日が傾いてきた。
あとで知ったことだが、この日、14:09頃に東開聞駅〜開聞駅の間で踏切事故があり、列車遅延が発生していた模様だ。私の乗った時間には、運休などの致命的な事態は起きず、幸いであった。
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[2015/09/20 / 17:51]
指宿枕崎線・瀬々串駅⇒中名駅
鹿児島県や宮崎県の海沿いでは、椰子の木を良く見かけた。
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[2015/09/20 / 17:59]
指宿枕崎線・喜入(きいれ)駅
鹿児島中央から喜入までは列車の本数が多く、余裕で通勤通学圏内である。(およそ50分)
まとまった数の乗客が下車したが、同じくらいの客が乗ってきた。
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[2015/09/20 / 18:19]
指宿枕崎線・宮ヶ浜駅
指宿市民の憩いの場だろうか。
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[2015/09/20 / 18:27]
指宿枕崎線・指宿駅
有名温泉地、指宿(いぶすき)に到着。
5連休の2日目であり、多数の客が下車した。
いずれ機会があれば指宿温泉に入りたい。
私は右側の列車に乗り継いだが、定刻は18:26発である。混雑のためか、列車は数分の遅延で発車した。曇り空で日没を迎え、最南端の西大山駅に着く前に暗くならないか懸念した。
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[2015/09/20 / 18:36]
指宿枕崎線・指宿駅⇒山川駅
対岸に見えるのは〈山川港〉で、明日の朝、根占ゆきのフェリーに乗船する。だいぶ暗くなってきたが、ひとまず、ここまでは景色が見えて良かった。
(山川駅から先は明日も乗るので)
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[2015/09/20 / 18:46]
指宿枕崎線・大山駅
約6分の遅延。写真は明るく写っているが、実際には窓に顔を近づけないと外の景色が見えないレベルである。
次の西大山駅で下車し、写真や動画を撮影した後で夕食を摂る案も考えていたが、曇り空と予想以上の暗さにより、今回は断念した。
その分、枕崎駅の到着が一時間半ほど早まるので、宿でゆっくりできた(21:05着⇒19:42着)。
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[2015/09/20 / 18:50]
指宿枕崎線・西大山駅(JR日本最南端の駅)
運転手に一声掛け、写真だけ撮らせてもらった。
北緯31度11分。最北端の稚内駅とは15度近い差がある。来るべき場所に来て、いよいよJR完乗が近づいてきたことを実感した。
▲のシルエットは「開聞(かいもん)岳」である。
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[2015/09/20 / 18:53]
指宿枕崎線・薩摩川尻駅
この写真が、実際見た明るさに近い。
既に夜であり、列車は夜汽車だった。
わずかな乗客を乗せて、列車は走った。
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[2015/09/20 / 18:54]
指宿枕崎線・薩摩川尻駅⇒東開聞駅
開聞岳を撮影したが、ブレブレだった。
見た目には、もっと暗かった。
車窓を撮影するのは限界であった。
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[2015/09/20 / 19:20]
指宿枕崎線・水成川駅
旧・頴娃町(現・南九州市)に入った。
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[2015/09/20 / 19:48]
指宿枕崎線・枕崎駅
最南端の鉄道終着駅である。
ほぼ定刻に着いた。
今夜は枕崎市内に投宿する。
列車に乗り続けた、長い一日が終わった。
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[2015/09/20 / 20:06]
夕食は、鹿児島中央駅で購入した駅弁。
「桜島鶏のから揚げ御膳」
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[2015/09/20 / 22:05]
まさか指宿枕崎線で事故とは驚きであった。
予定の成功失敗は、まさに紙一重である。
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[2015/09/21 / 05:35]
旅の最終日は早起きだった。5時半に出発。
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[2015/09/21 / 05:46]
指宿枕崎線・枕崎駅
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[2015/09/21 / 05:47]
スーパーの建っている辺りに、以前(移転前)の枕崎駅があったようだ。駅舎は解体され、2006年に移転。2013年に新駅舎が完成したという。
かつては鹿児島交通(南薩鉄道)の加世田方面に乗り換えることができた。
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[2015/09/21 / 05:47]
観光案内所は〈最南端終着駅〉
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[2015/09/21 / 05:49]
指宿枕崎線・枕崎駅
明るくなってきた。
これなら車窓も楽しめそうだ。
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[2015/09/21 / 05:50]
指宿枕崎線・枕崎駅
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[2015/09/21 / 05:53]
指宿枕崎線・枕崎駅
最北端の終着駅がある稚内市と、2012年4月に友好都市になったようだ。
赤字ローカル線が縁で、北海道美深町と福岡県添田町が友好都市になった件を思い出した。
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[2015/09/21 / 05:53]
指宿枕崎線・枕崎駅
一日6往復と、本数は少ない。
廃線という懸念がつきまとう。
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[2015/09/21 / 05:54]
指宿枕崎線・枕崎駅
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[2015/09/21 / 05:55]
指宿枕崎線・枕崎駅
この駅舎は市民の寄付で作られたという。
コンセプトは『来てよかった、レトロ感あふれる癒しとパワーを感じる最南端の終着駅』
駅舎内には、巨きな〈山幸彦像〉があった。
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[2015/09/21 / 05:57]
指宿枕崎線・枕崎駅
6:10発の始発列車に乗車した。
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[2015/09/21 / 06:14]
指宿枕崎線・枕崎駅⇒薩摩板敷駅
あかね色の空に、開聞岳の姿がくっきり。
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[2015/09/21 / 06:21]
指宿枕崎線・白沢駅⇒薩摩塩屋駅
シラス台地をゆく。独特の景色だった。
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[2015/09/21 / 06:32]
指宿枕崎線・水成川駅⇒石垣駅
開聞(かいもん)岳を遠望。
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[2015/09/21 / 06:44]
指宿枕崎線・西頴娃(にしえい)駅
西頴娃駅は、山川駅と枕崎駅の間で唯一、列車交換可能である。ここで枕崎ゆきを待った。
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[2015/09/21 / 06:49]
指宿枕崎線・頴娃(えい)駅
ローマ字表記が短い。「EI」
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[2015/09/21 / 07:02]
指宿枕崎線・東開聞駅⇒薩摩川尻駅
開聞岳が車窓いっぱいに拡がった。
富士山のように美しい山容である。
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[2015/09/21 / 07:06]
指宿枕崎線・西大山駅
最南端の西大山駅、ふたたび。
今朝は駅の全景を見ることができた。
駐車場が整備されている。
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[2015/09/21 / 07:06]
指宿枕崎線・西大山駅
地図つきの案内板が設置されていた。
私の達成年月は以下の通り。
・最北端:稚内駅(1994年7月)
・最東端:東根室駅(1994年7月)
・JR最西端:佐世保駅(2006年5月)
・最西端:たびら平戸口駅(2015年9月)
・最南端:西大山駅(2015年9月)
※沖縄県の「ゆいレール」は未訪問。
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[2015/09/21 / 07:08]
指宿枕崎線・西大山駅⇒大山駅
開聞岳が後方に見えた。
しだいに遠ざかってゆく。
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[2015/09/21 / 07:12]
指宿枕崎線・大山駅⇒山川駅
妙な山が見えた。竹山という名前のようだ。
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[2015/09/21 / 07:17]
指宿枕崎線・山川駅
日本最南端の有人駅である。指宿枕崎線の旅はここで終わり、山川港まで歩く。女性の駅員さんによると、徒歩25分くらいかかるとの事。
(※翌春、2016年3月に無人化)
8:00発のフェリーに乗りたい。全力で歩いた。
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[2015/09/21 / 07:20]
山川駅から山川港へ
右に指宿枕崎線、左に海を見ながら歩いた。
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[2015/09/21 / 07:31]
山川駅から山川港へ
なかなか地形が険しい。
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[2015/09/21 / 07:34]
山川駅から山川港へ
何となく離島に来たような雰囲気だ。
子供たちは朝っぱらから元気だった。
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[2015/09/21 / 07:36]
山川駅から山川港へ
道の駅「山川港 活お街道」があったが、今回は完全にスルーした。
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[2015/09/21 / 07:39]
山川駅から山川港へ
無事、山川港に到着した。
すでにお見送りの皆様方がスタンバイ。
写真左奥が、乗船するフェリーである。
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[2015/09/21 / 07:39]
山川港「フェリーなんきゅう」の乗船券の発売所に向かった。薩摩半島から大隅半島に渡る。
700円/約50分。
この航路は何度か廃止の危機があったが、運営会社が変わりつつ存続されている。
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[2015/09/21 / 07:46]
根占ゆきフェリーの船室。
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[2015/09/21 / 08:02]
定刻に出港。山川港を離れた。
対岸には指宿枕崎線の山川駅が見えた。
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[2015/09/21 / 08:05]
「フェリーなんきゅう」から開聞岳を望む
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[2015/09/21 / 08:19]
九州最南端、大隅半島の「佐多岬」を遠望。
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[2015/09/21 / 08:47]
大隅半島・根占港に接岸する。
小さな港だった。
南大隅町(旧・根占町)
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[2015/09/21 / 08:53]
根占港のフェリー乗船券発売所
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[2015/09/21 / 08:54]
三州自動車のバスが港に入ってきた。
9:00発で乗り継ぎは良い。
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[2015/09/21 / 09:53]
大隅線・古江駅跡
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[2015/09/21 / 10:55]
鹿屋市鉄道記念館
国鉄・大隅線が通っていた。
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[2015/09/21 / 13:09]
日南線・志布志駅
かつては大隅線と志布志線が分岐した。
志布志市志布志町志布志二丁目にある
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[2015/09/21 / 13:22]
志布志鉄道記念公園
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[2015/09/21 / 13:50]
日南線・大隅夏井駅
これで鹿児島県とお別れである。
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