2000年 5月


2000年 5月の幻想断片です。

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  5月31日− 

 少しずつ灰に侵食される青空をシルキアが見上げた。
 鼻に染み込む雨の匂いが、彼女に警戒を告げたのだ。
「洗濯物……しまわなきゃ!」
 


  5月30日− 

 町外れの丘に建つ古びた洋館の一番奥の部屋に、大きな三面鏡がある。誰もいない夜更けに覗くと、鏡は失われた時を鮮やかに甦らせる。
 


  5月29日○ 

 森大陸ルデリアの南方、熱海にぽっかり浮かぶ常夏のメフマ島は、お茶の産地として有名だ。収穫された茶葉は船でミザリア港に届けられ、そこから世界中に散らばってゆく。島の人々はみな穏やかなザーン族で、椰子の実をつまみながら、日々を思いきり楽しんでいる。
 


  5月28日− 

 パムは夜の妖精です。こぼれ落ちそうな星たちをながめつつ、まだ見ぬ〈お日様〉のことを考えています。
 


  5月27日○ 

「ん〜っ……」
 薫風にいざなわれ、リンローナは大きく伸びをした。どこまでも続く野原の緑と、果てしない青空に抱かれていると、全ての失敗はちっぽけなものに思えてくる。
「今日はまた、新しい〈今日〉の始まりなんだね!」
 自由な心を抑えつける悩み事や緊張感を森の妖精に預ければ、本当の自分らしさが取り戻せる。リンローナは勢いよく立ち上がり、もう一度、力強く歩き始める。
 


  5月26日○ 

 風を受けて進む雲の船団が、小さな池に映っている。安らぎと眠たさで満たされた穏やかな午後、ときどきファルナは家を飛び出し、大好きな池を眺めるのだ。
「空を映してくれる……不思議な鏡ですよん」
 


  5月25日− 

 古代魔法帝国時代、新大陸ルデリアの空気は魔源物質や精霊で満たされ、魔法文明が高度に発展していた。しかし、いつしか魔法は戦争の道具として利用されるようになり、豊かな大森林を死の砂漠へと変化させた。古代人の知識者たちは、その英知を結集し、魔源物質や精霊たちを別の世界へと隔離した。それによって誕生したのが魔源界と精霊界である。残った古代人は南国の小島に移り住み、ほそぼそとした生活を送るようになった。
 


  5月24日− 

 まぶたを閉じたナーディーは、一心に掌を合わせ、希望の女神アルミスに祈り続ける。すると真っ暗だった視界がほのかに明るくなるのだ。これがアルミスからの啓示なのかどうか、ナーディーには分からない。どちらにせよ、心の奥が癒される光であるのは確かだった。
 


  5月23日○ 


 架けられた。
 ふわりと、空から。
 雨粒の、螺旋階段。
 草の野原に。
 



  5月22日○ 

 おてんと様が山の後ろで目をさますころ、森の奥では水の妖精たちが大いそがしです。みんな、右手にハケをにぎり、左手でバケツを持っています。水の妖精たちは、草や葉っぱに朝露をぬっているのです。
 


  5月21日− 

 遙かな丘を七つ越え、日暮の谷を捜しましょう。
 失くした物が返る場所、亡くした者が還る場所。
 ゆっくり歩けば歩くほど、谷の姿は、鮮やかに。
 谷への道を踏み出せば、あなたの姿は朧ろ気に。
 


  5月20日○ 

 朝陽を浴びた一本道が、どこまでも遠く続いてる。地図なんか破り捨てちゃって、好きなところへ歩いて行こう。ついてくるのは影法師。足跡だって残っていくよ。
 


  5月19日◎ 

 夜の冷気が死竜となって、暗黒の山脈を疾走する。先の尖った氷のような、硝子の雹のような闇の刃に切り刻まれ、私の全機能は心地よさの中で崩れ落ちる。
 


  5月18日− 

 南の島のミザリア市。昼下がりの町を、二人の少女が歩いていく。お洒落で背が高いほうがルヴィル、眼鏡をかけているほうがレイナだ。そのレイナが呟く。
「話が盛り上がりませんね、ウピがいないと」
 ウピとは、レイナとルヴィルの共通の友達である。三人は学院魔術科時代の仲良しで、卒業してからも、ちょくちょく会っている。今日も三人で会う予定だったのだが、用事でウピが来られなくなってしまった。最近では、みんな忙しくて、なかなか全員そろわない。
「ウピって、あたしとレイナの架け橋なのよね……」
 空を仰いで、つまらなそうにルヴィルが言った。
 


  5月17日− 

 夕食を探しに森へ出かけたリンローナが語る。
「白に紫の斑点のある茸は、とっちゃ駄目だよ」
「毒でも入ってるのか?」
 というケレンスに、リンローナはすぐ応えた。
「あのね、その逆なの。すごく美味しくて、地元の貴重な産物になってるから……」
「ああ」
 二つ返事で了承し、ケレンスは別の茸を探す。
 


  5月16日− 

 今夜も、すずらん亭は明るさと暖かさで満ちている。昼間のうちに薪を作っておくのは父さんの役目で、それを暖炉にくべるのはファルナとシルキアの姉妹だ。また、それぞれのテーブルには姉妹が森で見つけた輝く液体が置いてあり、優しく仄かな光を投げかけている。
 


  5月15日− 

 うら若き少女を彷彿とさせる河原撫子の花びらや、貴婦人のように麗しい紫の藤の花も、けさは露の宝石を身につけ、光の中、優しく微笑んでいた。
 


  5月14日△ 

「なんで、おめーは、そういう訳の分かんねえ頼みばっかし聞いてくるんだよォ。ったく、やってらんねーぜ」
 頭を掻きむしり、ぶつくさ言いながら歩いているのは盗賊のディンツだ。その後ろ姿を少女メイカが追う。
「許して下さいよぉ。私、けっこう友達は多いんです」
 さらに、メイカの祖父であるラノ爺が少し離れてついていく。彼の視線はディンツに無言の圧力をかける。
「……」
 


  5月13日− 

 野原が、森が、そして湖が新しい命をはぐくむ初夏の午後。蜂の羽音は快く響き、葉が茂り、色とりどりの花が咲き、蝶は舞う。何も起こらないようでいて、何かの胎動が感じられる、穏やかな空間。ほっとする時間。
 大切なものって、案外、こういう所に隠れてるのかも知れないね……リンローナは心の中でそっと呟いた。
 


  5月12日△ 

 森の町リーゼンには一つの伝説がある。まるで牛乳をこぼしたような深い朝靄の底で、散らばった光の模様が鍵となり、一本の樹の根元に秘密の扉が開かれる。その樹の太い根っこは空洞になっていて、土の中を縦横無尽に走っている。美しい精霊たちが歌い、踊り、心から歓迎してくれる……そこは樹の国、樹の世界だ。
 


  5月11日△ 

 光に乗せた言伝は、風を受けて空へ舞い飛び。
 海の果てで精霊となり、地に依りて幸をもたらす。
 


  5月10日× 

「ゴホッゴホッ……」
 睡眠が足りなかったリュナンは、風邪をひいて熱を出し、ベッドに横たわっていた。体の芯が熱く、耳鳴りがする。足取りはふらつき、頭が働かない。
 


  5月 9日− 

「あっ!」
 小さな漁港へやってきたレフキルは、突然、立ち止まった。仕入れる商品をメモして、ある本に挟んでおいたのだが、その本を、さっき友達のサンゴーンに貸してしまったのだ。大慌てで、来た道を引き返す。
 


  5月 8日△ 

 いつもと変わらぬ朝、なんて存在しない。よくよく目を凝らしてごらん。陽の当たる角度は微妙に変わっているし、花の咲き方も違う。昨日と今日の間違い探しをしよう……そうすれば新しい物語が幕を開けるだろう。
 


  5月 7日△ 

 岩間を縫って清水が流れる。小魚の姿がはっきり見える。掌に掬ってみると、ひんやりして染みるけれども、実に気持ちがいい。顔を洗うと一気に眠気が吹き飛んだ。せせらぎは麗しく響き、河の果ては見えない。
 


  5月 6日△ 

 日の出の頃。盗賊団の少女が、まだ眠りから醒めぬ家々の屋根を飛び越えていく。その様子を、ベッドに横たわる病弱な女の子が見て、元気ね、と呟く。
 


  5月 5日− 

 おいらの自慢は光り輝く宝石さっ。色んな石を持ってます。ルビー、トパーズ、アメジスト。ダイヤ、サファイヤ、エメラルド。キャッツアイにクリスタル。どうです、おいらのコレクション。すごいでしょう? なんせ、おいらは夜空ですから。
 


  5月 4日− 

 簡素な広間に、老人の落ち着いた声が決然と響く。
「町のシンボルである〈半月の石〉が、我々の不手際から盗賊団に奪われてしまった。急いで取り返さないと、来月に行われる宗教的儀礼に支障をきたす。冒険者諸君への依頼は、ただ一つ。その〈半月の石〉の奪還じゃ。この仕事は、住民の不安感を煽らないよう、ぜひ内密にお願いしたい。礼は弾もう。やってくれるか?」
 ノーザリアン公国の都に屹立する石造りの塔の奥で、天空の神者を兼ねるヘンノオ公が真剣に呼びかけた。
 


  5月 3日△ 

「みんな、サンゴーンのことが好きなんだよ」
 レフキルが言った。事実、サンゴーンの周りではいつも色とりどりの蝶が舞い、かわいらしい虫たちが後ろからついてくる。また、彼女が育てた花は、どれもが驚くほど美しく咲くのだった。それは彼女が草木の神者を継いだからではない。神者になる前から……幼い頃から、草や木はサンゴーンのことが大好きだったのだ。
「はい、ですの」
 自信をなくしていたサンゴーンは少し元気になる。
 


  5月 2日− 

 酒場のドアが開け放たれると、皆の注目が集まる。二人の少年に挟まれた背の低い少女の姿を確かめると、酒を口に含みつつ気を揉んでいた姉が立ち上がった。
「!」
「ああ、無事で良かった……」
 泣きながら駆けだした十四歳の娘を抱きしめ、父が言う。途切れ途切れに、娘は闇の中での出来事を語った。
「怖い人にナイフを突きつけられたの……お金を出せって。でもケレンスさんとタックさんが助けてくれたの」
 ドアの辺りに立っていた二人の少年が微笑む。星のきれいな、一年ほど前のメラロール市の夜だった。
 


  5月 1日− 

 うぐいすの鳴き声を風で溶いた柔らかな絵の具が、森へ染み渡っていく。草を緑に塗りつぶし、赤や青や、白や黄色や、紫の花を咲かせる。どの色も美しいが、一つとして同じ色は無く、春の喜びに溢れている。