2000年 9月


2000年 9月の幻想断片です。

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  9月30日× 

 草たちが風になびいていた。陽の光は金糸のよう。
 大きな木の下で、俺はリンに質問をぶつけた。 
「お前、なんで故郷を離れたわけ? モニモニ町の聖術学院では、けっこう優秀な成績だったんだろ?」
 すると奴は空を見上げ、腕を組んで首をかしげた。肩のあたりで切りそろえた薄緑の髪が左右に揺れる。
「……うーん、なんでだろうね?」
 やつは少し悩み、やがて視線を俺に向け、微笑む。
「正直言うとね、あたしにも、よくわからないんだ」
「わからない?」
 俺はとまどわざるを得なかった。リンは将来のことを真剣に考え、自分にとって何が必要かを正確に判断し、行動できる人間だ。なのに、上手くいっていた学院生活を捨ててまで冒険者になった理由が判然としない。
 リンは言葉を紡ぎ続けた。
「なんかね、その……とっても大事なものに出会えるような気がしたんだ。〈気がしただけ〉じゃ、理由にならないかも知れないけど……でも、その時のあたしにとっては、それが真実だったの。だから、猛反対のお父さんを説得して、お父さんの船に乗って、お姉ちゃんとルーグと一緒にメラロール市を目指した。友達や先輩と別れるのは辛かったけど、そのぶん、一生懸命、頑張ろうと思った。それに、いつかは故郷の帰ろうと思ってる……とにかく、あの時はとりあえずメラロール王国に行こうとしていただけで、まさか冒険者になるとは思ってなかったけどね。だけど、あたし、今は今ですごく幸せだし、あの時の判断は少しも後悔してないんだよ」
「……ほぉ〜。へぇ〜」
 俺は、それしか言えなかった。
 


  9月29日− 

 木々の精霊の力が強まる。永いトンネルの先に、かすかな光が見える。旅の行商人は、ほんの少し歩みを速めた――広い草の野原を、新しい大地を夢見ながら。
 


  9月28日− 

「あっ……」
 侯都セラーヌの夜の出来事である。黒い空が一瞬、明るくなり、真っ白い尾が一筋の曲線を描いて消えた。
「魔法使いの箒だね」
 聖戦士のリックは足を休め、首をもたげ、流れ星の軌跡を幾度となく頭の中で繰り返した。
 


  9月27日○ 

 シェリアが唱えてくれた魔法の光球〈ライポール〉がふわふわと漂い、洞窟の闇を照らし出す。
「もうすぐですよ……」
 つきまとう湿り気をものともせず、盗賊のタックは手先に全神経を集中する。まばたきもしない。
 緊張の時が過ぎたのち、カチャリという希望の象徴のような音が響き、錆びた鉄のドアがゆっくり動いた。
 白い光があふれ、俺は思わず瞳を閉じる……。
 


  9月26日○ 

 歌を口ずさんで、
 登った坂道から、
 町が見下ろせる。
 志を胸にいだき、
 美しい森と戯れ、
 宇宙の屋根の下、
 丹念に時を紡ぐ。

 ――行ってみたい場所。
 


  9月25日− 

 冬は雪。春は花びら。梅雨は雨。夏はきらめき。
 そしてもうすぐ、落ち葉が舞う。
 


  9月24日△ 

「ごほっ……」
 季節の変わり目になると、リュナンはかなりの確率で風邪をひく。白いカーテンの向こう側では雨が淡々と降り続いていた。熱っぽい身体を布団に投げかけ、あお向けで天井を見上げていると、部屋が妙に広く感じた。
 机の上の花瓶には黄色い可憐な花が生けられている。親友のサホがお見舞いの時に贈ってくれたのだ。
「サホっち、また来てくれないかなぁ」
 トン、トン。
 ノックの音が響いたのは、ちょうどその時だった。リュナンは期待に瞳を輝かせ、ドアに注目する……。
 


  9月23日− 

 夕陽の色は、こころの色――。
 亡くなった祖母が遺してくれた言葉を、サンゴーンはふとした瞬間に思い起こし、大切に口ずさむ。
 今日の夕陽を見上げると、普段と同じ様でいて普段とは微妙に違う色をした、丸くて巨きな紅玉だった。
「私の心は、まだ大丈夫みたいですわ……」
 神者の印を握りしめ、彼女は安らかに呟いた。
 


  9月22日− 

 月のかけらを集めた地上の天使は、再び空へ羽ばたけると伝えられている。立ち昇る淡い光に抱かれ、雲を割って銀の星をかすめ、どこまでも、どこまでも。
 


  9月21日○ 

 軽やかな空気はひんやりと肌をなでた。食事の匂いが部屋の上の方を漂っていて、時折、その隙間をぬう樹の香りを感じる。きっと森は露でいっぱいだろう。
 さわやかな朝だ。
「お姉ちゃん、ごはんだよ。スープもあるよ〜」
 旅先の宿で味わう朝食のスープが、リンローナはたまらなく大好きだった。あったくて、やさしくて……。
「起きないと、先に食べちゃうよぉ?」
 リンローナが再び声をかけた瞬間、姉のシェリアは一気に上体を起こした。薄紫の髪はぐちゃくちゃ、瞳は完全に開ききっていない。明らかに不機嫌そうだ。
「何よ、せっかくいい夢見てたのに……」
 その一方、すっかり支度を整えたリンローナは、草色の髪を左右に揺らしながら部屋の出口へ歩いていく。
「おはよっ。やっと起きたぁ! じゃあ、なるべく早く来てね。あたしたち、下で待ってるから」
 妹はドアの取っ手をつかみ、半分だけ振り向く。
「そうそう、あたしも夢見たよ。お姉ちゃんとルーグの結婚式なの。夢の中なのに、すっごく嬉しかった!」
 そこで木目の美しいドアが閉まり、代わりに廊下から下手な鼻歌が聞こえだした。シェリアはベッドから降り立って下を向き、しばし呆然とたたずむ。それから、ゆっくりと丁寧に長い髪を掻き上げる。
「あの子……なんで私と同じ夢を見てるの?」
「いただきまーす!」
 ちょうど下の食堂から仲間たちの声が聞こえた。
「はぁ? あ!」
 シェリアは血相を変えて身支度を整え、慌てて部屋を飛び出し、螺旋階段を一段抜かしで駆け降りた。
 


  9月20日− 

 夏とは違う秋の風は、日に日に澄み渡る。真夜中、茂みの横を通るごと、立体的な虫たちの声が聞こえる。これから当分の間、晴れた夜はささやかな音楽会に立ち会えると思うと、溜まっていた疲れも吹き飛んだ。
 無視せずに……むしろ、ちゃんと聞きたい虫の声。
 


  9月19日− 

 今日も素敵な夕焼けだね。写真撮ろう。
 でも、カメラを持ってくるの忘れちゃった。
 まあいいや。
 フィルムの代わりに、心へ焼きつけておこう。
 


  9月18日− 

 こないだは、まるい目をしてたのに……。
 今夜は眠そうに、まぶたを半分閉じていたよ。
 お月さま。
 


  9月17日− 

 懐かしい場所に行って、
  懐かしい空気を吸い込む。
   懐かしい人にめぐり会い、
    懐かしい思い出を語る。

   心の小箱の宝石たちが、
    しばしの輝きを取り戻す。
 


  9月16日○ 

 星空を仰いだら、闇の中に丸い穴があき、昼が覗いていた。陽光を映す巨大な鏡……その名は望月。
 久しぶりに彼女を見た。僕がどこまで行っても、彼女は優しい光を投げかけ、見守ってくれていた。
 


  9月15日− 

「時間を売りますよ」
 すさんだ夜。大都市の道端に椅子を構えて通りすがりの人々を見上げる、占い師のような出で立ちをした年齢不詳の男に声をかけられた。
 時間を売る、だって?
 正直、馬鹿馬鹿しいと思った。時間が買えるなら、とっくに買ってるサ。ああ買ってるサ。馬鹿馬鹿しい。

 でも……。

 俺はぐるりと区画を回って再び男の前に立っていた。
 


  9月14日− 

 薄暗いランプに黄色の光が灯る。椅子も、テーブルにも、曲線を主体とした美しい飾りがつけられている。
 ここは男爵の館。旅先で、俺たちは地元の男爵からお誘いを受けた。なんでも俺たちの冒険譚を聞きたがっているらしい。冒険者としては良く頼まれることだし、貴重な収入源の一つだし、自分たちの冒険を面白おかしく話せるのは嫌いではない。むしろ楽しい。
 が、たった一つだけ困ることがある。俺にとっては大問題……それは〈晩餐会〉という代物だ。無論、夕食はどれもこれも地域の特産物で、味も申し分ない。
 食事の作法が、全く分からないんだ!
「ケレンス。あたしの真似をしてれば大丈夫だよ」
 すました表情を保ったまま、隣のリンが小声でつぶやいた。俺はふてくされ、何の返事もしなかった。
 リンやシェリアは、あれでも船長の娘たちで、それなりに教養がある。ルーグも礼儀作法に関しての基本知識は有している。タックは俺と同じ田舎町の出身なのに、器用だから、その場の雰囲気に合わせて適当に乗りきってしまう。結局、いつも失敗するのは俺だけだ。
 気を抜いた矢先だった。
「げっ!」
 スプーンが俺の指先を離れ、手を離れ、床に向かって真っ逆様に落ちていった。軽くて情けない音が響き、一瞬、隣の席のリンが顔をしかめる。
 給仕が新しいスプーンを持ってくるまで、俺は下を向き、頬と耳の熱っぽさを感じていた。男爵の話し声も頭に入らず、両耳を通り過ぎていった。
 


  9月13日− 

 天使が、空気に花の種を植えた。
 春に芽が出て、夏に背が伸びた。
 そして今は、つぼみが生まれた。

 それは秋という名の花。一年中で一番、麗しい時。
 


  9月12日− 

 終わらないものはない。
 終わりがあるから、今が大切。
 自分さえ終わりがくる。
 だけど何かを残したい。

 だから何かを残していきたい。
 


  9月11日○ 

 つらい日もあれば楽な日もあります。
 元気な日もあれば疲れた日もあります。
 すべては坂道の上り下りなんですね。
 


  9月10日△ 

「あの頃は良かったなぁ〜」
 ウピは南国の夕焼け空を見上げた。学院魔術科に通っていた頃がひどく懐かしい。講義が終わって、帰り道、親友のルヴィルやレイナと色んな場所へ出かけた。色んな物を食べ、色んな物を見た。色んな夢を描いた。
 今は三人、別の道に進み、あまり会えなくなった。
「でも、あの頃は良かったね、じゃなくて、あの頃も良かったね、と言えるようにならなくちゃ!」
 ウピの長い影はいつしか夕闇に溶けていった。
 


  9月 9日− 

 俺は疲れた身体を引きずるようにして、真夜中の小道を歩いていた。酒に酔ってる訳でもないのに、身体が妙にフラフラしやがる。坂道でネクタイを少し緩めた。
 登り切ったところに公園がある。公園の脇道のど真ん中に、ちっちゃなボールが転がっていた。
 ――子供が置き忘れたのかな。道端にどかそう。
 そう思って近づくと、やっこさんは振り向いた。

 猫だった。
 


  9月 8日− 

 しなやかに動く指先は、まるで風に揺れる草花……茶色の髪をなびかせて、シフィルは得意の横笛を吹く。
 高らかな音の流れは静寂の森の中をくまなく満たし、兎やリスや鳥など、辺りに住む小動物を呼び寄せた。
「ごめんね」
 シフィルは曲の途中に、ふとつぶやいた。
 優しい森の匂いが一瞬消える。風も凪いだ。
 優雅な仕草で、湿った唇から横笛を離し、それから彼女はわずかに身体を震わせながら視線を下げた。
「わたし……あなたたちのお母さんやお父さんを殺しているのかも知れないわ」
 小動物たちは綺麗な瞳でシフィルを見上げている。
「ごめんなさい」
 樹に立てかけてあった弓が、風に吹かれて倒れた。
 


  9月 7日− 

 センティアリア湖は〈静けさの森〉の奥に横たわる。夕暮れには少しだけ早い頃……今しがた、湖は空を映して凪ぎ、巨きな空色の窓ガラスになった。
 どこからか風に乗って流れてきた一人の小妖精が、右足を水面へ浸けると、円い波紋が広がって消えた。
 


  9月 6日− 

 久しぶりに雨が降り、渇いた夏の空気を、次の季節へと塗り替えてゆく。リュナンは窓の外を眺めていた。
「ねむぅい……」
 休みなく降り続き、土に染み込まれてゆく雨粒を見ながら、彼女はいつしか覚醒と夢との境界線を越えた。
 


  9月 5日− 

 本を閉じて顔を上げ、彼女は大きく伸びをした。
 ここは森の奥の一軒家、鳥の歌声が流れている。
 彼女は、魔法の研究に励む賢者のオーヴェルだ。
 一足早く舞い降りた秋が、涼しさを配って回る。

 オーヴェルはベッドに横たわり、物思いに耽る。
「私は、生きているから研究するのかしら?
 それとも、研究するから生きていけるの?」

 答えは未だ出ない。木洩れ日がきらりと光った。
 


  9月 4日− 

 山奥のサミス村に、一足早く秋風が吹く。
 透明さを秘めた空気が、木の葉の色を変えてゆく。
「いい季節がやってきたね……」
 シルキアは窓の外の秋草を見て、静かに呟いた。
 


  9月 3日○ 

 吹き抜ける風。行き過ぎる雲。流れ去る時。
 三日後の空模様は、天気予報士にも分からない。

〈いま〉は〈いま〉しか無いんだよね。
 今が数珠繋ぎになって、未来が産まれる。

 果てしない不安は秋の空に預けて、
〈いますぐ〉未来へと駆け出そう……。

 誰が笑おうとも、自分の夢を育てていきたい。
 いつか花咲く、その日まで。
 


  9月 2日− 

 しかられて帰った、夕暮れの小道。
 美幸は、さみしくて涙がこぼれた。

 でも彼女には大切な人たちがいる。
 両親、きょうだい、親友、祖父母。
 そういう人が彼女を支えてくれる。

 だから彼女は何とか生きていける。
 


  9月 1日− 

 せぷてんばぁは、夏と秋との渡し船。
 長い夏のあとで耳にする〈九月〉という言葉は、
 どこまでも広がる樹海を想起させる。

 ちょっとだけ天国に近づけそうな、秋の入口。