2006年 3月の幻想断片です。
曜日 |
月 |
火 |
水 |
木 |
天 |
土 |
夢 |
気分 |
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× |
△ |
− |
○ |
◎ |
☆ |
3月31日− |
月の色した三角定規を
いくつも並べて
光を増して――
幾何学的な夜が訪れた
コンパスの針で
闇にぷすぷす穴開けて
星を作った
分度器の雲を浮かべた
定規で流れ星を引いた
その時の
私の目は菱形だった
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3月30日− |
この空の向こうに
知らない世界がある
あの空の向こうに
懐かしい世界がある
そして今ここに
空の向こうにはない
すべてがある
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3月29日− |
[海の森、森の海(1)]
「まさに、森と海の調和ですね……」
木々を仰いで、旅の男は感嘆のため息をついた。
聴覚は細波(さざなみ)と潮風の音を確かに捉えている。砂浜に沿った遠浅の海を、小舟はちゃぷちゃぷと独自の波を立てながら進んでいた。汐の香り、木々の匂いの混じり合ったものを、嗅覚はやや戸惑いながらも感じている。そして視覚は――。
「よーし、もっと進むぞ」
櫂を動かす毛むくじゃらの太い腕に力を込め、船頭が言う。
「はい」
旅の男は、感動覚めやらぬ様子で、辺りを改めて見渡した。
砂浜と遠浅の海に、数多(あまた)の針葉樹が生えている。それはまさに、水と山の出会い――共演、あるいは融合だった。光が斜めに降り注いで、塩水に木々の陰を写している。風が吹くと枝先の木の葉が揺れ、水面(みなも)に光が踊る。明るい青緑色の波はゆらめき、陽の輪がきらめき、木の葉がざわめく。
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3月28日− |
――雨上がりに、降ってくるのよ
彼女は言った。
「何が?」
――水蒸気が
「どこから?」
――大地から
「見えるの?」
――そちらには、見えないだろうけど
「水蒸気が?」
――そう、落ちてくるの
「落ちてくる?」
――あるいは、浮かんでくるのかな
「どういうこと?」
――雨上がりの、雨を吸った大地から
――水蒸気が帰って来るの
「あなたは、誰?」
――わたしは、空よ
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3月27日− |
星の河を
搾(しぼ)ってみれば
白銀(しろがね)の
み空の果ての
極上の酒
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3月25日− |
空が明るく晴れて
温かな風と冷たい風が交錯している
まもなく冬の扉は閉じて
新しい一日が
新しい季節が――
新しい人々の下で、はじまるだろう
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3月23日− |
[空色の霞(1)]
「ああ、そりゃ空色の霞(かすみ)さ」
この村の名物は何か、という問いに、男は答えた。
頬に無精髭を生やし、顔立ちは彫りが深く、表情は精悍としている。中年とまではいかないが、青年というにはやや年を食っている、大きな瞳が特徴的な若者だ。肩のいかつ い、抜け目なさそうな男から、そんな言葉が出てくるのは意外であった。
私は彼の言葉を吟味するかのように繰り返した。
「空色の、霞」
私の疑念の空気を読み取ったのだろう――彼は警戒を解いた〈ふり〉をし、ニヤリと微笑む。その口元は誇りに満ちていた。
「この村に、秋に来てみな」
「今は無……」
私の質問をすぐに制し、男は手で追っ払う仕草をした。
「無理だな。あれは、秋の朝の……澄み切った秋の朝にしか見らんねぇんだよな。良く晴れた、風のない、空気の冷たい朝な」
空から霞が落ちてくる。
雲よりも薄い、白っぽい霞が。
その中に入れば、まるで空を歩いているような――。
どうやら〈空色の霞〉とは、そういうものらしい。
私は、それを見たいと思った。
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3月22日− |
[時へ]
流れゆく時を
つなぎとめておきたい
できるだけ優雅に
手を差しのべて
水のように
砂のように
空のように
風のように
時は過ぎゆく
こぼれ落ちる
縛られた几帳面な自由人――
決して
かれを止められはしないけれど
時にはしがらみを解放して
一緒に戯れて
遥かな世界で
永遠の一秒を刻みたい
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3月20日− |
「う〜ん」
リンローナはそういって首をかしげた。
そして今とは違った今、異なる未来について想いを馳せた。
「どうだったんだろう、とは思うけどね……」
小さな木のテーブルに頬杖をつき、透き通った眼差しで窓の外を眺め、彼女はつぶやいた。窓からは柔らかな光が差し込んでいて、片側の頬を明るく、反対側を暗く浮かび上がらせる。
「でも、それは永久にわからないしね」
そう言った時の彼女の横顔は、十五歳という実際の年齢よりも格段に大人びて見えた。薄緑色の瞳を、ゆっくり瞬きさせる。
だが、次の瞬間には――軽く首を振って無駄な力を抜き、等身大の満足がいっぱいに詰まった素直な微笑みを浮かべた。
「後悔はしたくないし……しないように、努力しなくちゃね」
小鳥の唄声を運んで流れる優しく春風のように、彼女は和やかに、椅子に腰掛けて頬杖をついたまま、斜め上を見上げる。
「それに」
軽く息を吸ってから、彼女は穏やかに、力強く語るのだった。
「お父さんとの約束もあるんだ!」
「お待たせしました」
食事を運んできた給仕の声で我に返り、彼女は礼を言う。
「ありがとう」
夏の熱っぽさも、秋の豊かさも、冬の清らかさとも調和するけれど、今はやはり春の優しさが似合う、不思議な少女だった。
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3月17日− |
「あんなにたくさんの雪……どこいったの?」
そこかしこに地肌の顕(あらわ)れ始めた窓の外の大地を指さして、幼い娘が言った。どこまでも深かった雪の層はいつしか薄くなり、硬く黒っぽく汚れて、日陰に小さく身を寄せていた。
「そうね……」
母親はしばらく考えた。冷たい風が背中を叩き、通り過ぎる。
そして軽く明るい口調で、こう答えるのだった。
「春の神様が、使ってしまったのかしらね」
「何で?」
頬の赤い幼な子は、精いっぱい上を向いて訊ねる。
すると母親は、大空を仰ぎ、優しく説明するのだった。
「暖かくなってきたから、アイスティーを作るためにね」
〜 ・ 〜 ・ 〜 ・ 〜 ・ 〜 ・ 〜
あの雪たちは
いま、どこへ――
うまく
天に帰れたでしょうか
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3月16日− |
[機会]
「いらっしゃい」
眼鏡をかけた白髪の店主は、カウンターで本を読みながら、あまり興味なさそうに低く声をかけた。
客は店主を一瞥したあと、目の前にある、無造作に積み上げられた古びた分厚い本の表紙を眺めた。が、すぐに視線をずらした。何か面白そうなのがあるのかどうか、本の積み重なった埃っぽい狭い通路を、ゆっくりと次へ次へと横に移動してゆく。
――その若い客が俺かって?
いや、俺じゃない。
俺は見てるだけだ。
「けっこう堀出しもんもあるからね、ゆっくり見てってよ」
店主はようやく手元の本から目を上げ、呑気な口調で言う。
――俺はその店主かって?
あんたの予想通りさ。
そいつも俺じゃない。
――俺は、本だ。
しかも、そんじょそこらの屬(やから)とは、根底から格が違う。とびきり古くて、俺を書いたやつの思考がいつしか闇の生命を持つに至った、小昏い黒魔術の本だ。
俺はこうして〈機会〉を待っている。あの老いぼれ店主め、図書館の処分品になっちまった俺を貰ってきても、開きもしない。
手にしたやつが札を破って本を開けば、俺は封印を解かれて再びこの世に飛び出す。その時、世界は確実に滅亡する。
一体、何百年待っただろう。この積年のうらみつらみ――。
俺は、回りのちんけな本と比べて、ひときわ異彩を放つ。この潰れそうな古本屋のこれまでの客は、俺の表紙だけ見て恐れをなす老いぼれが多かったが、今日の若い客は俺をまじまじと見つめた。どうも心惹かれる、とでも言いたげに、な。いいぞ。
ついに待ち望んだ機会が来た。全ては闇に染まるだろう。俺は数々の破壊と悪事を想像し、嬉しさで身震いするのだった。
若造は俺を両手で持ち上げ、こう言った。
「大して貴重じゃないんだろう?」
やつは俺を買い、薪の代わりに暖炉にくべやがった。
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3月15日− |
[強く暖かな風の中で(1)]
「友達の船乗りから聞いたんだけど」
海の見える丘の、野原の岩にもたれかかって喋ったのはレフキルだ。その表情は強い意志と希望とに彩られて凛々しく、それでいてどこか人なつこく柔らかい。妖精族の血を引いているので両耳がやや長く、髪はほんのりと緑みを帯びた銀だった。
足下では南の国らしい鮮やかな桃色の花が咲き、見はるかす島の海岸線は入り組んで、寄せる波は穏やか――その色は紺碧で、遠浅の砂浜は白かった。日差しは波の上でちらちらと遊び、きらめく。所々に漁民がわかめを干している場所があり、それを丘の上から見れば、無数に並んでいるのが分かった。
まぶしい日差しに手をかざし、レフキルはごく軽く言った。
「冬が厳しいほど、美しく咲くんだって」
潮の香を含んだ、やや強い、暖かな風が流れた。
花は揺れ、草はさやさやと微かに音色を奏でる。
少し遅れて、眠たげな声がした。
「何が、ですの?」
隣にいたサンゴーンが、ほんの少しだけ首をかしげた。陽光を受けて、とろんと重たげな瞳で、今にも眠りそうな様子だった。
友のレフキルは微笑み、答えるのではなく逆に問うた。
「何だと思う?」
「……」
眠りに墜ちそうになったサンゴーンは、辛うじて瞳をこすり、起きようとする。遠ざかる聴覚の片隅にレフキルの声が届いた。
「それは、春だよ」
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3月14日− |
夕焼けは過ぎたけれど
まだ夜になるには明るい刻
昼と夜との最後の接点で――
藍色の空を背景に
つぼみを出した枝が浮かび
大きな望月が
ビルの合間に顔を出した
犬が人を連れて歩き
鳥たちは身を潜めて眠る
北風の吹き荒れた後で
町は限りなく静かであった
ひっそりと早足に
人々は一人ずつ歩く
誰かの口笛が聞こえる
安らぎの波に飲まれて
町は黒いカーテンに沈み――
そろそろ灯火の星座が点るだろう
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3月13日− |
ぐるぐるめぐる、あの唄は
あたしの楽譜に刻まれたわけ?
何度も何度も出てきては
その都度、音符を鳴らすもの
大らかに
高らかに
意思があるかのように
気持ち良さそうに
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3月12日− |
(休載)
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3月11日− |
[四則の季節]
加わる時がやってきた
夏にかけて
秋に割って
冬にはさらに引かれて
ほとんどゼロに近づいて
その次には
再び加わる春が来る
(梅の花の白を、桃色を、
冬の風に、河に溶いてゆくと――
水は温み、風は優しくなるんだなあ)
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3月10日− |
淡い緑色の粒子が洞窟に漂っている。それは砂のように細かく、辺り一面にうっすらと漂っていた。だからといって汚らしい訳ではなく、深海のプランクトンのようにとても神秘的であった。
手の平を差し出すと、粒子はゆっくりと積もり、時間をかけて明るさが増してゆく。その粒子から発せられる僅かな光を受けて、ここでは自らの膚(はだ)が薄緑と肌色の中間に見える。
「口に入っても大丈夫かしら」
「問題ないさ、藻のようなものだからね」
私は答え、そして付け加えた。
「それに口に入ったら溶けて消えるさ」
こんなに深い洞窟の奥でも、一筋の風はあるのだろう。あるいは私の吐息だろうか――薄緑の粒子たちは、確かに大きな渦を描き、夜空の星たちのように、ごくゆったりと動いていた。
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3月 9日− |
横断歩道が
雪の大地に刻まれる
木々は描く
まっすぐに斜めに
光を受けて
長い影を後ろに
まだらな大地を
一歩ずつ踏みしめて
歩いてゆこう
どこまでも遠く
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3月 8日− |
「うわぁ」
そこは展望台という名こそ無かったものの、峠を越えて下ってきた辺りの、木々が切れて遥か遠くまで見渡せる場所だった。
「すごいねー」
歓声をあげて、草の地面にそっと荷物を置いたリンローナは、坂道を登ってきた額の汗を布でぬぐい、ゆったりと腕を広げた。
「う〜ん、最高だねっ!」
風が通り抜けて、身体を撫で、汗を冷やしてゆく。
「ちょっと休もうか」
リンローナの周りで彼女の仲間たちも足を休める。広々とした芽吹きの森、長い年月を経て谷を刻み続ける河、さらにはゆうべ泊まった町を捜して、遠い視線を縦横無尽に運ぶのだった。
そのとき、仲間の一人であるタックがつぶやいた。
「さらに誰かが、僕たちを見下ろしているのでしょうね」
「えっ、誰?」
リンローナは尋ねて、すぐに斜め上を見た。
だが、今は鳥が飛んでいるということもない。
不思議に思った少女は、タックを見つめた。
相手は微笑みながら、何も言わず、まっすぐ空をあおいだ。
軟らかな綿をちぎったような、白い雲が浮かんでいた。
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3月 7日− |
日差しは暖かすぎるほどにこぼれ落ちていて、人々はうっすらと汗をかくのだろう。南国で盛りを迎えた、たわわに実る果物のように、光は休みなく降り注ぐはずだ。
黄緑色の草がいっぱいに芽吹き、淡い赤や橙の花が咲き誇る。甘い香りが流れて、白い蝶が舞っていることだろう。
近づけば、遅かれ早かれ《その時》に出会える――という予感がする。向こうが近づいてきているのか、こちらから歩いてゆくのか。今と向こうを隔てているのは薄皮一枚なのか、それともまだ幾つかドアがあるのか、はっきりとは分からないけれど。
「もうすぐだね」
かすかにつぶやいてみた。
すると、暖かな強い風が波のように通り過ぎて――。
私の前髪をふわっと持ち上げながら、通りすがりの《見えない誰かさん》が、私の耳元でこう言うのが確かに聞こえた。
「もうすぐだよ」
そんなちょっとした奇跡さえもが、ふさわしく思える。
そんな期待に満ちた空気が辺りにあふれている。
急がないで、慌てないで。
ただ感受性を強めてゆったりと待っていさえすれば、その時はすぐにやってくるはずだ。あるいは《あの声》が聞こえたということは、《その時》はもう既に始まっているのかも知れない――。
全てが新しく、あるいは古風に生まれ変わる、次の季節が。
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3月 6日− |
「ねー、お姉ちゃーん」
シルキアの声が裏庭のほうから聞こえた。
裏庭といっても、今は雪が積もっていて真っ白だ。
「何ですよん?」
ゆったりとした足取りで雪を踏み締め、姉のファルナが顔を出した。
「ね〜、これー」
白く染まった山並みを背景に、シルキアは声を張り上げ、地面を差し示した。
そこはなぜか、靴の形に雪が盛り上がっている。
「雪がへこんでるなら分かるけど、雪だけ膨らんで残ってるなんて……」
「行ってみるのだっ」
「う〜ん」
シルキアは一瞬ためらい、その足跡をの行く先を見つめた。それは村を縫って、ずっと先の方まで続いている。
「溶ける前に行くですよん」
ファルナが促すと、妹は心を決めてうなずくのだった。
「うん」
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3月 5日− |
風にも想いはあるのかな
空にも心があるのかな
次の瞬間にさえ
行き違ってもおかしくはない、
白い雲を集めて
風のクリップてつなぎ留めて
不思議な絵を描いていた
羽ばたき
クロス
あるいは文字
夕焼けの薄紅に彩られた
家路につづく空に
そして
あの日の空に
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3月 4日− |
月が満ち欠けをして
汐が満ち引きをして
人が満ち退きをして
時は満ち足りてゆく
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3月 3日− |
溜め込んできたものを
一気に吐き出して
その上の高みにのぼる
――59分59秒
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3月 2日− |
[風のリレー]
「無理よ、こんな場所からじゃ……」
彼女はこうべを垂れ、弱音を吐いた。
土は湿っぽく、急な坂道に囲まれた居心地の悪い空間だ。彼女は道から滑り落ち、足をくじいて動けなくなっていたのだ。
助けた老婆に渡された木の実を割ってみると、もやもやと渦巻いている風の精霊が現れた。彼女は必死に知恵を仰いだ。
「どうすればいいと思う?」
「声を出すんだ、しかも一度きりのチャンスにすべてを賭けて」
風の精霊は答えた。その反応が冒頭の彼女の言葉だった。
「両手を口に当てて、思いきり、叫ぶんだよ」
「でもきっと、風よりも声の方が圧倒的に速いと思うし……」
彼女はうなだれて、つぶやいた。もともと交通量の多いは言えない道だった。この場所では、誰にも気づかれないだろう。
「確かに早いけど、風には風の伝言がある。あんたの声より早く、次のやつに頼めば……。風は、どこにだっているんだぜ」
彼女は黙って聞いている。精霊は、ここぞとばかりに続ける。
「俺たちを信用しろよ、声を運んでやるから」
沈黙していた彼女の目は、真剣そのものに変わっていた。
やがて、彼女は下を向いたまま、くすっと笑った。
「面白いわ」
姿勢は同じに見えても、彼女の雰囲気は、先ほどまでとは全く違って見える。どこかほっとした口調で、風の精霊が言った。
「初めて笑ったな」
「どちらにせよ、このままじゃ駄目だもんね」
彼女は顔を上げて、自分に言い聞かせる。精霊も促した。
「そうだ。駄目かも知れないけど、とにかくやってみようぜ」
「どうせ、このままじゃ助からないし、いちかばちかよ」
痛めた苦痛に顔をゆがめ、足をかばいつつ、よろめきながらも、彼女は少しずつ立ち上がった。微かな風を背中に感じて。
彼女は手を口に当て、眼を閉じて大きく息を吸い込む。
突風が吹き、声をつつみこんだ――。
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3月 1日− |
硬質の雨
軟質の雨
降り方ではなく
屋根や樋(とい)からの
こぼれ落ち方に
違いがあるのだ
(そしていつか――
硬質の雨は[銀]に
軟質の雨は[金]となる)
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