2010年 4月

 
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2010年 4月の幻想断片です。

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  4月30日− 


[森の入り口で]
 
「わっ、涼しっ」
 港町デリシを背に、緩やかな丘の一本道を登りきって森に入ると、ジーナは歓声をあげた。ルデリア大陸の東に位置する〈魅惑の島〉シャムル島――そこに降り注ぐ白い陽の光は木々の屋根に受け止められて和らぎ、辺りはひんやりとした。
「ふぅ〜」
 リュアは大きく息をつき、額に浮かぶ汗の珠を布で拭った。
 その間も、ジーナは峠を越えてわずかな下り坂に差し掛かった森の細道を足早に歩いていく。名前も知らない鳥たちの、不規則で高らかな唄が交錯し、辺りを不思議に満たしている。
「ジーナちゃん、待ってよぉ〜」
 リュアが後を追って小走りに駆け、何とか友に追いついた。
「これ、ミディアの花?」
 ジーナは待ってましたとばかりに、立ち止まって道端の黄色い花を指差した。木々の根本に、夏の太陽のかけらを思わせる鮮やかな色彩を、強く丸く掲げている。
 少し息を落ち着けて、花を確かめてから、リュアはうなずく。
「そっか」
 ジーナはいつも、丘を登りきるまではやんちゃだが、森の中に分け入ると、ほんのちょっと静かになる。澄んだ青空に照り映える新緑が輝かしい、シャムル島の春の日の午後だった。

ジーナ リュア
 


  4月29日− 


[緑の葉の羽ばたく頃]
 
 緩い曲線を描く煉瓦の道にはガレシアの花の街路樹が整備され、薄い黄色や桃色の花が咲いている。香りが春を告げる。
「気持ちいいですね」
 タックが隣のシェリアを心持ち見上げて喋った。タックは男性としてはやや背丈が低く、シェリアは女性の平均よりも高い。
「まあ、そうね」
 麗しい宝石を思わせる紫の髪を強い風になびかせて、シェリアは応えた。言葉こそ素っ気なかったが、その若い女魔術師の表情が咲く花のように綻んでいたことを、諜報ギルドに属するタックは見逃さなかった。
 時折、花びらが町を流れてゆく――空から運ばれてきた浪に乗って。その中を縫って、商人や学生、子供や老人たちがそれぞれの速さで歩いてゆく。馬車が通り過ぎると、馬の蹄鉄と車輪のきしみが町に明確なリズムを与える。
 空から降ってくる日差しは強いが、風は涼やかだ。街路樹の影、家々の蔭が色濃く映し出されている。
「平和ねェ……」
 頭の後ろでほっそりした指先を絡め、シェリアが呟いた。
「この大陸に冒険者なんて必要なのかしらって気がしてくるわ」

 タックは視線をやや下げて考えにふけり、すぐには魔術師の言葉に応えなかった。会話を埋めるかのように、ひときわ強い次の春風がやって来て、シェリアは前髪を抑えた。
「そうかも知れませんねぇ」
 目を細め、タックは風の中で返事をした。
 二人の目の前をかすめて、一枚の緑の葉が舞い上がった。木の枝を越え、家々を越え、遠い世界へと羽ばたいていった。
 シェリアは肩の力を抜き、さっぱりした口調で語り出した。
「そしたら、新しい仕事を探さなきゃいけないわね」
「お店でもやりましょうかね」
 タックは即座に冗談めかして言い、姉御も調子を合わせた。
「いいわね、それ! 何の店がいいかしらねぇ」
 そのくせ二人は、目線の片隅でやり取りをする。
 取るに足らない用件から、国を揺るがす大事件まで、旅する冒険者を求める人々はいなくならないんだ、ってことを――。

「よお、楽しそうじゃねえか」
 待ち合わせていた仲間のケレンスたちが後ろからが現れた。シェリアはすました顔で、タックは微笑みで、彼らを出迎えた。
 飛んで行った緑の葉の幸運を、タックは心の奥で祈った。

タック・パルミア シェリア・ラサラ
 


  4月28日△ 


[ドゥール茶の午後]
 
 雨の午後、喫茶店の木の匂いが僅かに強まる。暖炉では炎がはぜていた。
 窓際の席に腰掛けた若き〈月光の神者〉ムーナメイズ・トルディンは、時折濃い黄色のドゥール茶を口に含みながら、古びた厚い本の頁をめくっていた。眼鏡の奥の両目が細まり、動き、字面を追っている。
 冷えた午後、カップのドゥール茶から出る湯気は時のうつろいとともに失われていった。
 喫茶店の中の話し声も耳に入らず、集中していたムーナメイズは、区切りの良い所まで読み切ると顔を上げて伸びをした。
「うーん」
 その時、視線の片隅を白い欠片が横切り、彼ははっとした。
(花びら? いや、あれは……)
 ムーナメイズが曇った硝子をじっと見ていると、再び白い何かが舞い降りた。後ろから近づいた店主が小さく声をかけた。
「雪が、戻ってまいりましたな」
 銀色の髪の老いた店主は、ドゥール茶のおかわりを丁寧についだ。快い音を立てて、月の光の涙を掬い取ったかのような黄色の茶が注がれてゆく。カップは再び盛んに湯気を立て始め、歩みを緩めていたムーナメイズの時が動き出した。
「ありがとうございます」
 座ったままムーナメイズが上を見て答えると、店主は口元を緩め、陶器のポットを盆に載せて静かに去った。外からは膨らんだ冷気が窓を押し、冬の精霊たちが中を覗き込んでいた。
 
 ノーザリアン公国のヘンノオ町は、王都メラロール市よりもさらに北に位置する北辺の集落である。かすかな雪が舞った後、町の空高く淡い虹がかかったのは、その日の夕方だった。
 


  4月27日− 


[早春の森]
 
 曲がりくねる細い道は森の中を掘割で進み、いくつもの木の根本が目線の高さにやってくる。風が吹くと光がきらきらと揺れ、ずっと遠ざかった秋の落ち葉の名残が乾いた音を鳴らす。
 オーヴェルは長いスカートの裾を揺らして歩いていった。雪解け水で潤い、軽やかで爽やかな音を立てる小川が近くを流れているが、木々に姿を遮られている。緑の芽が顔を出している。
「近くて遠い季節……」
 山奥の村の若き賢者は呟いて立ち止まると、通りすがりの潤んだ春風をそっと柔らかく受け止めて、深い蒼の瞳を閉じた。
 高らかな鳥の歌が耳の奥まで、直に心地よく届いてくる。落ち着いた静けさに充たされた、サミス村の東の森の早春だった。

オーヴェル・ナルセン
 


  4月26日− 


[おぼろな宵]
 
「春の宵は、曖昧な感じだね」
 十五歳の少年、シャン・クリオスが言った。波音が微かに聞こえてくる、エスティア伯爵領ミラス町の夜である。既に日は落ちて久しいが、西の空には最後の明るさの断片が残っている。
「月も……」
 彼の妹のレイヴァが視線の行く先を遙か遠く投げかけた。銀色の望月には霧がかかり、海にはわずかに霞が漂っていた。温かく穏やかな風が、少女の前髪をかすめて通り過ぎてゆく。
「海も、おぼろげ」
 そう呟いた十三歳の妹の横顔が、淡い月の光を受けて白く幻想的に浮かび上がり、兄のシャンは思わず息を飲むのだった。

シャン レイヴァ
 


  4月24日− 


[想い遙かに]

 新しい空の声 ずっと続いてゆく未来
 手をつないで 駆けてゆこう あの丘の向こうへ
 
 果てしない海の歌 波の鼓動 届けたいな
 この世界の 果てを夢見て 遙かに心飛ばそう

【歌】
 


  4月23日− 


[花びらの行方(ゆくえ)]

 ひらひらと、リンローナの目の前を白い花びらが横切った。
「あっ」
 少女は立ち止まり、その行方を目で追った。
 一度レンガの道に近づいた花びらは、折からの強い風に煽られて、再び空の高みへ昇っていった。輝かしい新緑を思わせる翠の瞳を陽の光に細めて、リンローナは思いきり天を仰いだ。
「ずっと遠い場所に届くといいな……花びらの歌!」

リンローナ・ラサラ
 


  4月22日− 


 雨が降り
  露となって
   緑はより鮮やかに――

 木々をすり抜ける光の網に、
  紫の花がはっきりと浮かび上がる。
 


  4月21日△ 


 気まぐれに吹き抜ける海上の風は白く染まっている。
 空からは明るい輝きが降り注いでいるが、その光以上に明るく、そしてぼやけていた。
「今日は見えねえな」
 波に揺られる小船の上で、壮年の漁師が呟いた。無精髭と、白髪混じりの短い髪――強い眼光と無駄のない厳しい動きが長年の経験を示している。
 小船に打ち寄せる海流はタップタップと鷹揚に笑っていた。
 
 大陸の南東、エルヴィール町に春霞の精霊たちが舞い降りていた。対岸のシャワラットの島影は――今日は見えない。
 


  4月20日− 


[安らぎの場所]

「待って〜」
 魔女の卵のナンナが追いかけていくと、彼女の〈使い魔〉である白いインコの〈ピロ〉は、飛びながら手前に向きを変えた。
「ぴゅい〜」
 高らかに鳴くと、翼をはためかせ、素早くナンナの頭にとまった。小さな主人が手を差し出すと、ピロはその手の甲に移る。
「春がきて、嬉しいの?」
「ぴっ」
 ナンナが尋ねると、白いインコは黒い瞳を瞬いて、短く同意の返事をした。安らかな日だまりの中、花たちのほのかな甘い香りが漂っている、限りなく空の広いナルダ村の出来事だった。

ナンナ・リルロー
 


  4月19日− 


[芽吹きの丘]

 陽が雲間から顔を出すと、光の束が芽吹きの丘を一斉に駆け登っていった。灰色の世界が淡くまばゆい銀に染まってゆく。
「よっしゃ、行くか〜」
 森の側、小川のほとりの平たい岩に腰を下ろしていたドルケン少年は自分に言い聞かすと、帽子をかぶって立ち上がった。
 そして傍らに置いてあった山菜入りの籠を背負い、サミス村に下りていく急な坂道をしっかりとした足止りで歩いていった。

ドルケン・フォーノア
 


  4月18日− 


 水はささやかに強く流れて、鮮やかな花たちが町を彩る。
 幾度となく繰り返された春が、今年もまた舞い降りる――。

森の小径で(2010/04/18)
 


  4月17日− 


[忘れ雪]

 母が語った。
「〈残り雪〉の後に〈忘れ雪〉が来る事もあるの」
 幼いアルスはベッドの中で青い瞳をとろんとさせている。
 雨よりも柔らかな音を立てて、水を多く含んだ雪の群れが窓を叩いている。薄暗い夕方、空からこぼれ落ちたひとひらの白い実が告げた〈四月の雪〉は、夜も更けてくると勢いを増した。
「すぐに溶けるけれど……しばらく日陰に足跡を残すでしょう」
 母がその時に捉えたのは、息子の微かな寝息だった。
「眠ったのね」
 布団を少し直してから母は穏やかな顔で語りかけた。
「おやすみ」
 冬と春の行ったり来たりの季節――外は冷たいけれど、家の中は優しく温かな、草原の町〈セラーヌ〉の出来事だった。

忘れ雪(2010/04/17)
 


  4月16日− 


「あれっ、雪だ」
 玄関を開けて、シルキアが空を仰いだ。あまたの星たちの競演の代わりに、小さな白く冷たい天使たちが舞い降りてきた。
 サミス村にたどり着いた、この春、何度目の戻り雪だろう。
 外はすでに真っ白に染まっていた――。

 最近は若干緩んでいた夜が、ぴんと張りつめている。冷気が家の中に吹き込み、十四歳の瑞々しい頬を冷たさが打った。
「閉めよっと」
 少女は体を震わせ、独りごちて玄関のドアを静かに閉じた。一つ吐息をつくと、玄関の内側なのに白く高く立ちのぼった。

シルキア
 


  4月15日△ 


[春の雨]
 
 旧市街の家々の窓辺を彩る黄色や橙、桃色や紫色の花が、しっとりと降り続く温かな雨の滴たちに麗しく濡れていた。
「鮮やかだねぇ……灰色の世界の中で」
 雨音が微かに続いている朝、リュナンが静かに語った。その吐息は冬の名残のような白いもやとなって曖昧に昇ってゆく。彼女がさしている新しい小さな黒い傘を雨が優しくノックした。
「花の周りだけ色が残されたみたいだね」
「明日晴れれば、滴がたくさんの宝石になるサぁ」
 春の花よりも目立つ赤みを帯びた髪を無防備なまま雨にさらして、あっけらかんとサホが言った。二人はズィートオーブ市の旧市街を学院の方に向かってゆったりと並んで歩いていった。

リュナンサホ
 


  4月14日− 


[紫の河]

「紫の河が見えますよ!」
 小さな土手を登りきったタックがまぶしそうに振り向いた。顔が白く照らし出されている。その横では、幼なじみのケレンスが対照的に背中を向け、自信ありげに右手を腰に当てている。
「えっ、何かなぁ?」
 後からやって来たリンローナの表情が、清らかに健やかに、強く優しく――素朴な春の野の花のようにほころんでいった。

タックケレンスリンローナ

 ゆったり流れる河の両側にはプラナの樹が並んでいる。降り注ぐ日の光は、風とともに草たちと影遊びを繰り返していた。
「あっ、ほんとだ!」
 少女の声と笑顔がはじけた。樹に咲いた数えきれないほどの薄紫の優雅な花びらが散って、川面を流れていたのだった。
 タックが鼻から軽く息を吸い込み、リンローナに語りかけた。
「かすかに、いい香りもしますね」
「素敵だねっ!」
 リンローナは額の汗を小さな布で拭い、碧の瞳を見開いた。
「ふぁ〜あ、眠くなってくるぜ」
 ケレンスは生あくびをしてから筋肉質の腕を組んだ。その口元は、つまらなそうな口調とは裏腹に、楽しそうに緩んでいた。
「薄紫の花びらさん、海を越えて、遠くまで届けばいいなぁ」
 流れゆく水に夢を注いで、リンローナは未来を描いていた。

2010/04/08
 


  4月13日○ 


[春風のゆくえ(3)]

(前回)

 ナルダ村のレイベルの部屋から旅立った紙片は、春の強い風の波に乗って遠く運ばれていった。上下左右に揺れ動く紙は白い鳥を思わせた。ナンナは飛ぶ速度を風に合わせつつ、右手でしっかりと箒を握っただまま、少しずつ左手を離していった。
「ちょっと、返してね!」
 小さな魔女は一気に高度を増し、腕を伸ばしていった。そして羽ばたく翼――友達の紙片を無事に取り戻したのだった。
「やったぁ☆」
 黄金の髪の毛が逆立っている。目的を果たして、その空間と時間にとどまったナンナの周りを、春風の流れが駆け抜ける。

 大きく手を振るレイベルを目指して故郷のナルダ村に着地したナンナは、空を旅して皺の寄った紙片をすぐに差し出した。
「はい、レイっち!」
 素直な笑顔のナンナに、レイベルは紙を渡し直した。
「ありがとう。これ、よかったらナンナちゃんにあげるわ!」
 レイベルが紙を裏返した。そこには彼女自身とナンナ、ナンナの使い魔のピロ、そして祖母のカサラ婆さんが描かれていた。みんなが春風の中で笑っている、レイベルの渾身の力作だ。
 ナンナの青い瞳が見開かれ、レイベルは微笑んだ。強い光のかけらたちが、二人と新しい季節をいつまでも祝福していた。

(おわり)
ナンナレイベル
 


  4月12日− 


[春風のゆくえ(2)]

(前回)

 気まぐれな春風の一人となって、ナンナは身軽に浮遊した。
「あったかい風だな〜」
 今日はレイベルを乗せていないから、ナンナは箒を握る手に力を込め、精神を集中させた。空を駆ける速さがぐんと増した。
 ナルダ村が小さく見える。雪が溶けて、森の緑は鮮やかだ。
 狙いを定めれば、あっという間にレイベルの紙片が近づく。
「ずいぶん高く運んでいったね☆」
 十二歳の小さな魔女が上空の春風に話しかけると、彼らの返事だろうか、ひときわ大きな風の波がナンナを箒ごと洗った。
「きもちいぃ〜な」
 降り注ぐ強い光に笑顔で応え、小さな魔女は青空を滑った。


  4月11日− 


[春風のゆくえ(1)]

「えーっ? どこどこ?」
 ナンナが驚いて尋ねると、友達のレイベルは少しうつむいた。少女はすぐに意を決して顔を上げ、東の空の高みを指さした。
「向こう……だと思う」
 レイベルの部屋の窓をかすめたいたずらな春の風が、白い紙を天高くさらって行ってしまったのだった。青空の懐の中で、ナルダ村を照らす太陽の光に、確かに小さな紙片がきらめいた。
「待っててね。取ってくるから☆」
 都からやってきた〈魔女の卵〉のナンナは元気な声で引き受けると、手にしていた箒に素早くまたがり、呪文を唱え始めた。
「……と流れゆく空の大河よ、今こそ我が元に集いたまえ!」
 淡い金色の髪をなびかせて、ナンナは大きく瞳を見開いた。
「フォーレル、ロワンナァ!」
 ナンナの一番得意な、箒とともに空を飛翔する魔法が発動した。草が揺れて、箒が浮かび、ナンナの足は地面を離れた。
「ナンナちゃん、気をつけてね」
 レイベルは地上に残り、ほっそりした両手を組んで親友の無事を祈った。そのレイベルに向かって左手を三回振り、右手で箒の柄を握りしめたまま、ナンナは高らかに出発を宣言した。
「行ってきま〜す☆」


  4月 9日− 


 フクロウが低い不思議な声で宵の始まりを告げていた。
 昼間の陽射しは強いが、去ったあとの冷え込みは急激だ。
 ぼんやりした月が浮かんで、森におぼろな影を投げかけた。
 風が流れると、映し出された淡い影たちは左右にゆらめく。
 木々の幹はどっしりと構えているのに――。
 やがて影たちは風がやんでも奇妙にうごめきを続け、しだいに素早くなって踊りとなり、ついには立ち上がっていった。
 


  4月 8日− 


 喫茶店の中は蒸し暑く、窓は全て開いていた。
「で、その時にゼア婆さんが掲げて見せたもんだから、みんな爆笑しちゃって……」
 ルヴィルの話にウピはつられて笑い、レイナも楽しげに微笑んでいた。ちょうどその時、ひときわ鮮やかな黄色の花びらが外から流れ落ちてきて、三人の目は釘付けになった――。

ウピ ルヴィル レイナ
 


  4月 7日− 


 あまたの星に彩られた闇の幕は西のかなたに上がってゆき、東の空は明るかった。早朝の澄んだ風には鳥たちの歌声が混じっている。
「う〜んっ」
 厚い上着の前ボタンをはずし、後ろ手に組んで爪先立ちし、オーヴェルは家の前で大きく伸びをした。
 山奥のサミス村では、青空は冬の深さを保っている。白い雲はゆったりと空に地図を形作っている。
 白く細長い瓶を右手に提げ、井戸に向かって歩き始めた若き賢者は、目を細めて優雅に立ち止まった。
 その場にしゃがみ込んで、何かを見つめる。
 ちょうど差し込んできた朝の最初の陽射しが、生まれたての緑の新芽を映し出した――。

オーヴェル・ナルセン
 


  4月 2日− 


 夜空の星は
 いつまでも飽きがこない
 どんなに上手く並べても
 空ほど素敵に並べられないだろうな
 


  4月 1日− 


[曖昧な空]

 長い弧を描いて橋のように伸びる雲が途切れて、虹色のふわふわしたものが空を漂っている。
「おっと。雲と虹の入れ違い、か……」
 闇色のマントをはためかせ、濃い黒の眼鏡をかけている背の高い男が呟いた。
 空は薄く雲のかかった、曖昧な天気であった。
 生暖かい風が大地を撫で、草を揺らしていった。
 




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