ララシャ王女の近況 〜計画〜

 〜森大陸(しんたいりく)ルデリア・幻想結晶〜

 

秋月 涼 


「なんであいつら、夏の間、一回も来なかったんだろ。秋になっちゃうじゃないの。ほんと頭くるわ、ふざけんじゃないわよっ!」
 おてんばで格闘好きなミザリア国第一王女のララシャ嬢は、ここのところ警戒が厳しく、思うように居城を脱出することが出来なかった。町の自由な空気と離れ、鬱屈した思いが募り、ごく最近王女の担当になった年増の侍女に不満をぶちまけた。
 立派な椅子に座ったまま唇を噛んで地団駄を踏む王女の襟元を整えつつ、三十路過ぎのベテランのマリージュは応える。
「あいつら、と言いますと……?」

 マリージュはもともと、ララシャ王女の母親であるミネアリス王妃付きの侍女であった。何の仕事でもじっくりと確認し、焦らず地道に取り組むマリージュは、テキパキとした働き方を望むミネアリス王妃から密かに敬遠されていた。王妃は表向き、そのような素振りはほとんど見せなかったし、陰口を叩いたりすることも滅多になかったのだが、二人の性格が残念ながら合わないのは確かであり――それは良くある不幸の一事例であった。
 それでも自分を信じ、働いてきたマリージュは、王宮入りから十年目の二十五歳になって遅めの結婚を果たす。それから七年間は子育て等に翻弄されたが、次々と辞めていくララシャ王女の侍女を補うため、経験のある彼女に白羽の矢が立った。
 料理人の夫ともども王宮内に宿舎を宛われていたが、仕事の日は子供たちを侍女棟の保育部屋に預け、マリージュは三十二歳で復職した。くすんだ金の髪を持ち、眼は垂れぎみで、容姿はパッとしない中肉中背の女性であるが、穏やかな表情と語り口が印象に残る。わがままがひどいと噂され、不人気なララシャ王女の担当でも、彼女自身は全く心配していなかった。
 他の若い侍女のように物怖じせず、しかも王女への敬意を忘れぬ。話を良く聞き、決して邪魔をしない。王女が無理難題を言っても決して嫌な顔をしないで、相づちを打つ。説教臭くない。
 ミネアリス王妃とは合わなかったマリージュは、王妃よりも扱いが難しいとされたララシャ王女から、即座に信頼を得ることに成功する。誰かを頼りたかったララシャ王女と、仕事は速くないが包容力のあるマリージュ――二人の相性は抜群であった。

 王女はむっつりと下を向いてしまい、マリージュはつぶやく。
「とても大切な、お友達なのでしょうかね……分かりませんが」
 決して回答を求めたり、自らの考えを押しつけようとしないのが彼女の話し方の特徴だ。ララシャ王女は無駄な肉のない肩をぴくりと動かし、きれいな青い瞳を瞬きさせたが――その直後、椅子に腰掛けたままうなだれ、恨めしげに悔しそうに語った。
「別に、友達っていうより……まあ、千歩譲って、そういうことにしといてやってもいいわよ。向こうは単なる庶民なんだけど!」
 声を低くして喋り始めたララシャ王女だったが、最後は興奮して捲し立てた。その様子から、経験を積んだマリージュはララシャ王女の友達への思いがとても深いことを察知するのだった。

 侍女は王女の髪型を器用に直しつつ、ごく自然に説明する。
「庶民の側から、王族を訊ねることは、なかなか難しいですよ」
「何でよ?」
 家庭教師のように高圧的に諭すのではなく、他の若い侍女のごとくビクビクしているわけでもない。人として対等の関係に立ち、相手をゆっくり理解していこうとするマリージュの言葉と態度と気持ちで、ララシャ王女は心の戸棚を一つずつ開いていった。マリージュにはもともと、そのような素地があったが、二人の息子と一人の娘の子育てを経ることで円熟味を増していたのだ。
 彼女は、ララシャ王女の豊かで健康的で素晴らしい花のような金の髪を両手で丁寧に結わえ、落ち着いて理由を述べる。
「残念ですけれど、連絡する手段がありませんし……私のような者は特別に、姫様のお側仕えを許されていますけれど、庶民はそうも行きません。たとえララシャ王女のお友達と主張しても、証拠がなければ、おそらく門番に止められてしまいますよ」
「じゃあ、じゃあ……どーすればいいのよ? 住所も、名字さえ分からないのよ。この大都市ミザリアで、見つかりっこないわ」
 ララシャ王女の口調はいつしか穏やかになっていたが、その中には哀しみや諦めと言った感情が確かに混じっていた。勝ち気な場面しか見たことのない者にとっては信じがたい光景だ。

 マリージュは、なおもゆったりとした語り口で話に踏み込む。
「お友達の年齢や学校名、職場は分かりませんでしょうか?」
「二人とも働いてる。一人は商人見習いで、もう一人は……」
 王女は知らず知らずのうち、とても素直に喋っていた。年増の侍女は指先だけを動かし、相手が語り終えるのをじっと待つ。
「……」
「何だっけ。そうだ、確か〈王立研究所〉って言ってたと思うわ」
 その言葉を聞いたマリージュは、情報を一度頭の中で整理し、しばらく懸命に考えた上で自分なりの助言をするのだった。
「そうですか。では視察に行かれるのはいかがでしょうか?」

 蜂蜜が舌の上でとろけ、頭までぼんやりするような――。
 マリージュの言葉が、ララシャ王女にはひどく甘美に響いた。
 だが、その幻想を振り払うように首を振り、王女はつぶやく。
「でも、あたしが行くなんて変よ。馬鹿にされるに決まってる」
「気にすることはありませんよ。姫様が国の研究機関を視察するのは自然ですし、馬鹿にする方が馬鹿なんだと思いますよ」
 マリージュは胸を張り、何の迷いもなく笑顔で返事をした。大地に根を下ろす説得力を感じて、ララシャ王女は目を見張る。
「ほんとに……そう思うの? マリージュ」
「ええ。会えずとも、きっと手がかりは掴めると思いますよ。いっそのこと、視察の際にお友達をお呼びになり、理由をつけて表彰し、王宮への通行手形を渡してしまうのはどうでしょうか?」
「それ、面白いわ!」
 ついつい乗ってしまった王女は我に返り、うつむく。それから口を開いたり、つぐんだり、何かを言おうと躊躇している様子が見受けられたが――やがて勇気を出し、ささやき声で言った。
「ありがと。考えとくわ」
 言い終えると、王女は顔を火照らし、小さな溜め息をついた。
「どういたしまして。きっと国王陛下もお悦びになりますわ」
 マリージュは手を休めて、目の前の鏡の中を覗き込んだ。他の侍女に比べると、ずいぶん作業時間はかかったが、ララシャ王女に良く似合う華やかな髪型が完成していた。黄金の前髪を今日は大胆なアップにし、頭上で力強く颯爽と結ばれている。

「あんたって変な侍女ね」
 ララシャ王女はくすっと笑った。こうしていると、どこにでもいるごく普通の十五歳の少女と何ら変わらない。マリージュは左右に顔を移動させて、鏡に押し込まれた〈飾られた王女〉の髪型を確認しながら、表情をほころばせて、わざと大げさに礼をする。
「光栄ですわ。……さあ、ご用意が出来ましたよ」
 コン、コン――。
 ちょうどドアがノックされ、別の侍女が呼びに来た。王女の気持ちをほぐしながら、出来るだけ丁寧に――とは言っても、必ず時間だけは厳守する。かつて十年間、侍女の経験があるマリージュの職人芸だ。ララシャ王女は機嫌を直して立ち上がる。
「次のくだらない会が終わったら、さっそくお父様に頼んでみるわ。あたしが視察したいなんて言ったら、お父様もお母様もどんな顔するかしら! でも、きっとお兄様は分かってくださるわ」
「ええ。では〈くだらない会〉とやらに参りましょうか」
 マリージュは小声で促し、いたずらっぽく片目をつぶった。

 ドレス姿のララシャ王女は廊下を大股で歩きながら、心の中で沸騰する期待を膨らませ、不敵な笑みを浮かべるのだった。
(レイナ! 王立研究所で、首を洗って待ってなさい!)

(了)



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