空の後ろで

 〜森大陸(しんたいりく)ルデリア〜

 

秋月 涼 

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第四章 いざ、空へ


 そろそろ西の空が黄色く染まってきた。
 二人は並んで上を向き、相変わらず一生懸命に天の切り絵をしている。さっきの鳥や鯨に比べると、いま作っているのは、かなり大きめ。何しろ二人がかりで切っているのだ。ずいぶん本格的である。
 しばらくすると、ジーナが面倒くさそうに言い放ち、作業を中断した。
「首が疲れちゃった。……もう、これくらいでいいよね」
「えっ? あとちょっとだからさぁ、ジーナちゃん、一緒に頑張ろうよ」
 リュアはなんとか当初の予定通りに仕上げようと励ますが、ジーナは聞く耳持たない。
「えー? もういいよ。これだけでも飛ぶのには問題ないし。平気だよ」
「でも……」
 リュアは顔を曇らせた。
 器用だけれど飽きっぽいジーナと、不器用だけれど生真面目なリュアの間には、しばしばこういった行き違いが起こる。この場合、妥協案を申し入れるのはいつもリュアの方だ。
「じゃあ、わかった。リュアがこっちを仕上げておくから、ジーナちゃんは細かい道具を作っておいてくれない?」
「はーい」
 こうして分業体制が出来た。リュアは空切り鋏を操り、何かの側板らしき部分に細かい模様を刻んでいる。
 気が済むと、
「出来たよ!」
 大声で相棒を呼ぶ。彼女が作っていたのは、二人が乗るのにちょうど良い、空色の小舟。とりあえず側板だけを切り取ったのだが、作業が終わると徐々に立体化し、可愛らしい小舟となって現れた。
「ジーナちゃん? あ……」
 リュアは、ジーナを見つけると絶句した。ジーナはたくさんの青いケーキに囲まれ、それをほおばっていたのだ。
 ジーナは口の中のケーキをごくんと飲み込んでから、言った。
「リュアも食べれば? おいしいよ」
「もう。ひどいなぁ。頼んでおいた道具は、ちゃんと作ってくれたの?」
 文句を言いながらも、青いおやつが気になっているリュア。ケーキが盛られた皿の近くには二枚の板が転がっていた。つまり小舟用のオールである。
「オールは作ったけど……もぐもぐ……浮き輪なんか、別になくったって……くちゃくちゃ……平気。落ちたりなんかしないよ」
 ケーキを手づかみで食べながら、ジーナは時々、唇のまわりを舌でなめる。一方のリュアは、わざわざ空からフォークを切り取り、それで食べるほどの慎重さ。
「ね? おいしいでしょう」
「テッテお兄さんの雲ケーキを見てから、ずっと食べたいなあと思ってたんだぁ」
 珍しくご機嫌斜めだったリュアも、ジーナの作ったケーキを食べているうちに、再び気分が楽しくなってくる。
 ところで、白い雲ケーキについて、テッテは〈味がない〉と言っていたが、いま二人が食べている青い空ケーキには、ちゃんと味があった。空と似て、さっぱりした味。糖分控えめ、虫歯予防だ。
 
 おやつを食べ終わると、二人はようやく重い腰を上げた。リュアとジーナは一本ずつオールを担ぎ、そろって小舟に乗り込む。
 コン、コン。リュアは側板を叩いたり、青いロープで小舟の左右にオールを結びつけたり(オールを流されないために)、出航前の最終点検をした。
 そして一言。
「大丈夫そう」
「よーし、空へ出発しまーっす!」
 ジーナは右手をまっすぐに挙げて、出航の合図をした。リュアも、ジーナを真似して腕を上げ、船員になった気分で指さし確認する。
「風向きはよし。天候もよし。いざ出航です」
 小舟は、前にジーナ、後ろにリュアが座った。体力に自信のあるジーナが最初の漕ぎ手となり、以後は疲れたら交代する取り決めを交わした。
 ジーナは緊張の面もちで、ゆっくりとオールを動かす。一度目は変化がなかったが、二度、三度と漕ぐうちに、小舟は少しずつ前進し、そして高度も上がっていった。
「頑張って」
 と、リュアが応援する。
 さて、船の進むべき方向を決める〈見張り〉兼〈舵取り〉担当は、リュアが作った、足の四本ある青い鳥だ。
「ピー、ピー」
 高い鳴き声で、二人を安全な旅へ導いてくれる。ジーナは鳥が案内する方を目指して、一生懸命にオールを漕いだ。小舟の後ろからは、ジーナの作品である青い鯨が追ってくる。
 しだいに遠くなる草原を見下ろしていた時、ようやく二人は〈空を飛んでいる〉という実感がわいてきた。こうなると、もう微笑みが止まらない。
 ジーナは思いきり叫んだ。
「大成功! すごーい」
 リュアも、うっとりと幸せそうな表情。
「青空に吸い込まれていくみたい……」
 だって、自分たちの力で空を飛んでいるのだ。こんなに素晴らしいことは、なかなか体験できないだろう。
「はぁはぁ……」
 しだいに小舟の進む速度が落ち、ジーナの呼吸が荒くなった。後ろのリュアは、適当なところで声をかける。
「ジーナちゃん、代わろうか?」
「うん。疲れちゃった。あとはお願い」
 さすがのジーナも弱音を吐いたところで、漕ぎ手は交代となる。リュアはまず、予想以上にオールが重くて驚いたが、
「リュア頑張る!」
 歯を食いしばり気合いを入れ、身体いっぱいに闘志を燃やして、友達を引き継ぎ、舟を漕ぎ始めた。
 見上げれば空色、遠くの海は濃い青色。西の空は黄色から橙へ。見下ろせば、草原の黄緑、森の緑。頬を撫でる透明な風。
「デリシ街……あんなに小さいなんて」
 ジーナが静かに言った。赤茶の屋根がたくさん見える。中央広場、港、静思堂、そして二人の通っている学舎。
 ジーナはこわごわ下を見ながら、冷やされていく汗と、落ち着いていく心とを感じていた。彼女は再びつぶやく。
「この大空に比べると、デリシ街って、本当にちっぽけなんだね」
 それを聞いたリュアは、オールを動かしたまま、苦しそうにうなずいた。途切れ途切れに単語をつないで返事する。
「そうだね。でも、あたしたち、あの街より、もっと、もっと、小さいよ……ふぅふぅ〜」
「リュア。もういいよ。あたし代わる」
 ジーナが振り向き、優しく手を差し出すと、リュアは一度、
「ふぅ〜!」
 と大きく息をついてから、前に座る友達に、二本のオールを手渡した。漕ぎ手がジーナに代わると、小舟は速度を増す。
「ピィー」
 青い鳥が鳴くと、その澄んだ声は上と下とに分かれて飛んでいき、それぞれ空と地面に吸収されて消えた。
 
「いいこと思いついちゃった」
 やっと動悸がおさまった頃、リュアはぽんと手を打った。そしてコートのポケットから、握りすぎて自分の汗でふやけてしまった青い葉っぱ……空切り鋏を取り出した。
「はぁはぁ」
 その間も、ジーナは一生懸命に漕いでいる。他方のリュアは空切り鋏を天にかざし、特に刃先を注視した。
「切れ味も悪くなってきたし、これで最後かな」
 リュアは舟の進行方向に対して並行に、つまりまっすぐ腕を伸ばすと、空切り鋏で縦長の大きな長方形を描いた。仕上げに、小さい円を描く。
「何それ?」
 漕ぐのに集中しているジーナが短く質問すると、
「丸いのは取っ手。さあ出来上がり!」
 と言って、リュアは笑った。
「ピョー!」
 青い鳥が警戒する。舟の目の前に、突如としてドアが浮かび上がったのだ。ジーナは急いでオールを反対方向に動かし、ブレーキをかけて、何とか衝突する直前で船を止めることが出来た。
「はぁはぁ……リュア、急に何するの! 危ないじゃない。ぶつかったら、あたしたち大変だよ!」
 ジーナが怒るのも無理はない。
「ごめんごめん……あのね、空のドアを作ってみようと思ったの」
 リュアは充分に反省した様子でジーナをなだめる。しかし彼女は疲れのせいもあって怒りがおさまらない。
「もう! ひどいよ。無謀なのは、リュアの方じゃない!」
「ごめんってば、ジーナちゃん。もうしないから、許してよぉ。今後は気をつけます」
 リュアは平謝りするものの、ジーナはまだふくれている。目をつぶってそっぽを向き、大声で怒鳴った。
「ほんとにもう!」
「ね。リュアさあ、漕ぐの代わるから、許してよ。お願い!」
 リュアにそう頼み込まれて、こんな所で喧嘩してもお互い困るだけだと素早く判断したジーナは、なんとか機嫌を取り戻す。
「じゃ、リュア。続きは漕いで」
「うん、うん」
 リュアは何度もうなずき、ジーナから喜んでオールを受け取ると、張り切って漕ぎだした。
「リュアいきまーす。ジーナちゃん、空のドアに舟が近づいたら、扉を上手く開けてね」
「いいよ」
 とジーナが応じる。
「そのままドアの向こうに進むからね」
 リュアの威勢は良かったが、それからが大変だった。舟が上手く進まない。その場で、ぐるぐる回ってしまう。
「あれ? おかしいな」
「駄目だよリュア。左右に同じだけの力を入れなきゃ。それじゃあ、ちっとも前に進まないってば」
 ジーナの指導も、ついつい熱を帯びてくる。
「ほら、また駄目だよ。もう一周!」
「うーん……」
 もともと運動の苦手なリュアは、漕ぎ方のコツをつかめないでいた。眉間にしわを寄せ、難しい顔で考え込む。
 その時、ジーナが叫んだ。
「今だっ! 漕いで」
「あ、あ、あ……」
 リュアはすぐに対応できず、困惑して半べそをかいている。そうこうするうちに、舟はまた回転を始めた。
 ジーナもお手上げ状態だ。
「鈍いなあ、リュアは。これじゃ、日が暮れちゃう。その前に、目が回っちゃうよ。気持ち悪い」
「出来ない。やって」
 諦めたリュアは、オールをジーナに手渡した。手渡すというよりは、乱暴に突きつけるような感じだ。
「わかった。あたし漕ぐから、ドア開けてよ」
 言ってから、ジーナは小さくため息をついた。その後ろで、リュアは下を向き、悔しさで身震いしている。
「ピー」
 二人を心配するような青い鳥の鳴き声。ジーナはゆっくりと、確実に漕ぎだした。舟がドアに近づいていく。
 ドアが手の届く距離になった時、ジーナは振り向いて、リュアの肩をつんつんと触った。
「ねえリュア」
「何よ?」
 むっとした表情のリュアは顔を上げる。すると目の前に、ジーナの手があった。手の平を大きく開いている。
 ジーナは言った。
「ね。この辺で、仲直りしようよ。じっとしてても寒いだけだし」
 高度が上がったせいか、夕方が近づいたせいか、あるいはその両方か。気温は確実に低下していた。
 リュアは静かに自分の右手を出した。そしてジーナの手に重ね、きつく握った。リュアの頬に、涙が一筋、流れた。
「ごめんね……」

(続)



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