空の海 〜
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秋月 涼 |
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なだらかな丘に、目印であるかのように一本の樹が立っている。丈の低い草は日暮れ前の涼しい風に揺れていた。家路をたどる鳥たちの声が響き、地面に翼を広げた影を映している。 「海、懐かしいなぁ」 軽く膝をかかえて草の原っぱに座っているリンローナが目を細め、つぶやいた。艶やかな頬は夕日の色に染まっている。 彼女が優しい薄緑色の瞳で捉えているのは、山の上にかかる雲の群れだった。それは幾重にも重なり、まるで海の波を思わせた。 「そうだな……」 その横で、樹の幹に伸ばした右手を当てて立っているのは、リンローナの仲間のケレンスだ。彼の金色の髪が夕日を浴びて、ますます光り輝いていた。 この森に囲まれた小さな村で、山の端に沈みゆく夕日の速さを感じながら、ケレンスは北国のミグリ町の蒼く澄んだ海を、リンローナは温暖なモニモニ半島の翠の海を思い出していた。 「こんな山の中なのに、ミザリア海の潮の香りが、ほんの少しだけ蘇る感じがするよ……不思議だね」 ケレンスはゆっくりと目を閉じた。風を捉らえる聴覚が、匂いを求める嗅覚が、やや強まる。何も見えなくても、夕日は暖かく明るい。 再び目を開いたケレンスは、ふーっと長い鼻息を出して、表情を緩めた。 「ああ。そうかも知んねぇなあー」 夕日は間もなく西の山に触れるところだった。白波のような雲はますます赤くなっていた。そして海原を彷彿とさせる黄昏の空は、大きな一輪の花となって、地上の出来事を遙かな高みから見守っていた。 | ||
(了) | ||
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