[友情の壷(21)]
自分では決して認めたくないけど奇妙な交換日記がだいぶ板についてきたあたいは、相手の順番だよとの合図に、凍える木の床へ台帳と筆を置いた。予想通り、それはすぐに動き出す。
朝の光は焦げ茶の壁に阻まれて射し込まないだろうけど、部屋の中はさっきよりもほのかに明るさを増していた。ここが本当のあたいの居場所なら、旧市街の並木に住んでる小鳥たちが夜明けを告げ、ひそやかに高らかにさえずり始める頃だろう。
書き進められる文面に視線を下ろし――あたいは息を飲む。
「はっ!」
背筋を震えが駆け抜けた。悪寒じゃなく、予想外の出来事に対する純粋な驚きと、急に沸き起こるすさまじい期待の嵐だ。
あたいは今の状況を否定するつもりは毛頭ないのに、あまりに嬉しすぎたのか〈まだ夢の中なんだ〉と考えてしまった。まさかね、気のせいだろうと呟き、改めて慎重に心を身構える。
それが確信に変わるまで、さほどの時間を必要としなかった。気のせいでもなかったし、夢でもなく、残酷な冗談でもない。
ごめんね。夜に出歩くのは許してもらえなかった。
せめて朝一番に来たよ。おはよう。リュナン
最初の筆跡を見た時からあたいには分かってたんだ。同じだけど違う部屋の、違うけど同じ場所で、一枚の毛布を共有してるのは、紛れもなく親友の〈ねむ〉ことリュナンだって事実に。
「やっぱり、ねむの字だったんだな」
まずは安らぎと平穏とがあたいの中に湧き上がり、壷の色の大地に見事な花を咲かせていった。次には感謝の波が寄せては返してゆく。ねむは約束を忘れてた訳じゃなかったんだ。あたいの方はとっくに仕方ないと諦め、ほんの少しだけの希望を残し、他の大部分は頭の中からすっぽり抜け落ちていたのに。
第三段階には少し不安が入り混じった。どんな方法で、どうやってこんな明け方にやって来たんだろう。両親にも許してもらえなかった、と文面にある。決まり事を破って、大丈夫だろうか。
そもそも身体が弱いねむには、晩秋の朝はさぞかし痛いほどの寒さだったはず。この部屋に入ってきたとたん、毛布にくるまって暖を取るのも合点がいく。毛布を用意したり、食器を片づけてくれたのは、市に出かける前のおっかぁだろう。だけど、おっかぁに案内されて部屋に入ってきたのは、ねむだったんだ。
突然、あたいは両眼をしばたたく。毛布と、温もりの空洞が、何の前触れもなく一度だけ素早く前後に揺れたからだ。と同時に、霧のような水の粒の流れが吹き出した。もしかすると、ねむが咳をしたんじゃないかな、という推論が妥当なようだった。
うん、そうだ。姿は見えないけど、相手の様子は手に取るように分かる。呼吸や微妙な息づかいまでが毛布を通して直に伝わってくる。もっと知りたいけど、返事を書かかなきゃ、という必要性は感じなかった。むしろ最初が肝心で、今だけは紙に頼っちゃいけないという警告が自分の奥の方から昇ってきた。あたいは思わず瞳を閉じて、全部の神経を集中させ、耳を澄ます。
とくん、とくん、とくん――。
毛布を媒介とし、間近に響く微かな生命の軌跡。
きっと、ねむの方にもあたいの鼓動の伝言は届いているはずだ。ねむの丸い空洞に自分をうずめて、そのせつな、初めてあたいはねむの大きさを知ったんだと思う。むろん背丈やほっそりした体格という上辺(うわべ)だけじゃなく、もっと本質的にね。
沈黙の交流をひとまず終えて、決然とまぶたを開くと、足元に置かれている親友の簡潔な文章が真っ先に視界に入った。落ち着いて読み返し、あたいはねむに再び感謝の念を強くした。
ねむは、一緒に泊まって欲しいあたいと、どこにも行かせたくない両親との板挟みになり、両方の約束を半分ずつ破って半分ずつ守った。ここに至るまでは悩みも葛藤もあったんだろう。
機は熟した。あたいはいよいよ筆を取り、こう挨拶したんだ。
来てくれて、ありがとう。いい朝だね、おはよ! サホ
(続く)
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