2005年 9月

 
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2005年 9月の幻想断片です。

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  9月30日− 


[雲の意志]

 あの雲に
 意志がないなんて思えないよ

 草原の羊
 海原の鯨

 拡がる大地は
 何を示しているのだろう

 そして雲間から差し込む夕日――

 この都会のビルの合間にも
 確かに夕暮れは訪れるのだ

 どんなに町が変わっても
 決して、夕景の消えることはないんだ
 


  9月29日− 


[朝のグラス(3)]

(前回)

「まあ、本物も偽物も、同じようなもんだがね」
 今や、魔法使いらしい黒の装いに身をつつんだ老人は、少女を見下ろして軽く笑った。
「?」
 少しだけうろんそうに首をかしげ、少女は困惑気味のはにかんだ笑みを浮かべる。そして何度か目をしばたたき、乱れた髪に手を伸ばし、おもむろに触れて、整える仕草をするのだった。
「ほっ」
 その間に、白髪と黒いローブの老いた男は、握り締めた杖を床に付くことなく、やや早足に部屋を横切った。髪と髭の、まるで雪のような白さと異なり、腰はそれほど曲がっておらず、その歩みは優雅で軽やかな――まるで、実った黄金の稲穂を揺らして湖面を渡る透き通った風を思わせた。

「よいしょ」
 男が腕を伸ばした時、男はもう少女のすぐそばにいた。
「え」
 少女は目を見張り、その視線は老いた魔法使いの手の動作に吸い込まれ、その動きとともに好奇心と一抹の畏怖、懸念を込めた目を――顔をあげてゆく。

「よいしょ」
 黒い袖を伸ばし、白髪の男は身軽にグラスを握った。
 ひょいと持ち上げると、確かに驚いて逃げる小魚の陰がよぎり、光の中には鮮やかな七色の彩りの虹がきらめいた。
 彼はあっという間にそれを飲み干し、喉を鳴らすと、空になったグラスを無造作に置く。少女は目を見張っている。

 グラスには、すぐにどこからか水が流れ込み、溜まってゆく。水面が左右に揺れ、揺れながらしだいに水かさを増してゆく。
 この不思議な出来事の種はなんだろうという様子で、目を細め、少女は光と水の繊細な模様の変化を見つめていた。

(続く?)
 


  9月28日− 


[朝のグラス(2)]

(前回)

「これって……」
 好奇心旺盛そうな強い輝きを秘めた瞳を輝かせ、少女が自信に満ちた表情で軽くうなずいたのと、ほぼ同時に――。
「おお、起きとったか」
 しわがれてこそいるものの、生命力の強さを宿した老人の深い声色が部屋に響いた。

「あっ」
 少女はいても立ってもいられない様子で顔を上げると、老いた男のもとに風のように駆け寄った。古びた杖を握り締め、ゆったりしたガウンをまとってお茶目な帽子をかぶり、白髪と白いあごひげの目立つ老人の背丈は低く見えたが、それでも彼は少女を見下ろす角度になった。

「ねえ、おじいちゃん。川の音がする」
 朝の挨拶をするよりも早く、子供は独特の甲高い声で呼びかけ、すがるような目で、老いた男のやや垂れ下がった優しい目を見つめた。
「そうなの? あのグラス、川の水が入ってるの?」
 返事がないと、少女はさらに問うた。その背後では、件のグラスが夜空の星のごとくに瞬いている。
「ああ」
 追及には折れたのか、男は相好を崩し、大きくゆっくりとうなずいた。ほのかに川の匂いのするグラスが朝の光で返事をするかのように、二人の背後できらりと輝いた。
「なんで?」
 畳み掛ける少女の顔のほうにに手を伸ばし、老人は低い声で優しく語る。
「おはよう」
 刹那、きょとんとした表情になった子供であったが、忘れ物を思い出したかのように、どこか茫然とした口調で言うのだった。
「おはよー」

 言葉の途切れた隙間には、澄んだ透明な秋の朝の風と、グラスの水音がする。跳ねる光も音楽を奏でているように見える。
「その謎は、おいおい解いてゆこうではないか」
 そう言って振り向いた老人は、その振り向く間に黒くなった――ように思われた。彼の服は、一瞬にして寝間着のガウンから、漆黒のローブへと驚くべき変化を遂げていた。少女はまた目を見張り、ごくりと唾を飲み込んでから、呟くように言った。
「やっぱり、じいちゃん、本物の魔法使いなんだね……」


  9月27日− 


[朝のグラス(1)]

 グラスの水は心無しか、表面にかすかな緩やかな波が立っているように見えた。そこは家の中で薄暗いのだが、グラスの水はまるで明け方の輝きを受けたかのように、ちらちらと、きらびかに小さくて複雑で繊細な〈光の布〉を織っているのだった。

「うーん」
 その前で頬杖をつき、グラスの水面(みなも)を眺めているのは、十歳になるならずの少女であった。寝起きのままの黄金の髪はやや乱れていたが、その太陽を思わせる鮮やかな色が、時折、グラスに映るきらめきのかけらに照らされて、若い生命の存在を躍動的に、そして何より印象的に示した。
 窓の外では木漏れ日が軽やかに踊っていて、それは部屋にいても分かる。青空が澄み渡り、淀みない蒼に近づく、艶やかで新鮮で、いささか予想よりも涼しい、秋の早朝である。

 鳥の歌、風の声が近くで聞こえる。そして、その中には、確かにそれらとは異なる、すがすがしい音が混じっていた。
 少女は大きな青い瞳を、まるで揚羽蝶の羽のようにゆっくりと、ニ、三回まばたきをして――それから少し首をかしげ、今度は目の焦点をぼやかして、真剣に耳をすませた。


  9月26日− 


『これまで出会ったたどんな魔法や奇跡が偉大だったか?』

 その問いに、老いた魔法使いは少し首をかしげ、雪のような真っ白な髭を撫でながら、嗄れた声でこう答えたのであった。

「わしがこうして生きてること……それ以上の奇跡はないのう」
 


  9月25日− 


 稲穂がみのる
 たわわに実る生命(いのち)の穂

 いくつもの生命力が、あの一粒に
 宿っているのだろう

実り(2005/09/23)
 


  9月24日− 


 どこでも捕まる魔法の手が届かなくても
 僕はずっといたんだよ

 山の奥の川の上流の、そのまた果てに
 確かに、そこに――

旧・士幌線「幌加」駅跡(2005/09/16)
 


  9月23日− 


 何気なく郵便受けをを覗けば
 切手に消印の押された、秋の招待状

 もう来ていたんだね
 気付いていなかっただけで
 


  9月22日− 


[樹の鼓動]

 その樹には歴史を感じさせる古びたドアと、いくつかの小さな窓、上の方には明り取りの小窓の列が並んでいた。時折曲がりくねり、細くなりつつも天に伸びゆく幹は、いつしか枝の煙突となり――あまたの枝先から湯気と、独特の薬じみた苦い匂いが立ちのぼっている。
 時の流れはあまりに豊かで、そして残酷だ。偉大なる魔術師が束になっても、止めるどころか、流れに棹差す程度である。
 静寂を求めた森の魔術師たちは、時を得る代償として人付き合いを断った。彼らは樹の鼓動を識り、悠久に身を委ね――。
 


  9月21日− 


[秋の朝]

「おはよう」
 軽く、何かの歌をでも口ずさむようにつぶやいたリンローナは、草色の美しい瞳をゆっくりと閉じていった。穏やかな安らぎが満ちあふれ、心臓の鼓動が、呼吸が落ち着いてゆく――。
 木々の幹や葉の匂いはとても近くに感じられる。波のように流れ来(きた)る微かな風は、驚くほどに澄みきっていて涼しい。

 光は優しい斜めの角度に降り注いで、東の空は黄金色だ。その反対の方は懐かしさと新しさを兼ね備えた明るい青である。
 草にはたっぷりと露のおりた涼しい秋の朝には、静けさの中に響いている小鳥たちの声がふさわしい。夜を彩った虫たちも、今や長い休息の深い眠りにおちている。
 秋本番にはまだ早いけれど、夏は過ぎ去ったこの季節は、ひときわ落ち着いた様子で、豊饒に向かって緩やかに速やかに、秘やかに麗しく時をつむいでゆく。
「……」
 鼻から息を吸い込めば、心まで豊かになるような気がする。
 目を閉じても朝の光の動きは感じられる。虫の音、羽音、風――淀みない空気の中で、夏よりも五感は研ぎ澄まされる。

 背中の方から、草を踏み分け、仲間の足音が聞こえてきた。
 リンローナは自然と目を開け、かすかに薄桃色の艶やかな唇を開いて、もう一度微笑み、暖かな声色でつぶやくのだった。
「おはよう」
 


  9月20日− 


[あの雲を]

 あの雲を透き通らせて
 秋の夜空を見渡したい

 闇の海原には
 色とりどりの
 あまたの宝石が輝いているだろう
 


 9/14〜9/19 


(北の大地紀行のため休載)

利尻富士(2005/09/15)
 


  9月12日− 


[夕陽]

 夕陽は明日の輝きを
 月は昨日の思い出を

 垣間見させて
 ちりばめて

 そして――
 今宵も夜がやってくる
 


  9月 7日− 


[回り道(2)]

(前回)

「えー、この道?」
 知らない道に妹が不満を洩らす。その二人の後ろを、荷馬車が車輪をきしませてゆっくりと通り過ぎ、姉妹とは反対の方に進んでいった。それを見送ってから、少女らは再び前を向いた。

 河が流れ、せせらぎが心地よく響く。街路樹の遙か上の方で小鳥たちが飛び回り、木洩れ日がきらめく。空は切り開かれて視界は広く、通りへ描かれる木々の影は少しだけ斜めだった。
「ま、いいけどー」
 妹はわざと軽く口を尖らせて言う。姉は道の先を指さした。
「じゃあ、行きましょ」

(続く?)
 


  9月 6日− 


[藍色と青(2)]

(前回)

 秋の精霊たちは、夜の終わりと朝の始まりの中、草の葉の上で水を編み、朝露として残してゆく。いくつもの球体の澄んだ鏡は、蒼い空を映していた。雨の降った後の空は磨かれて、ミザリア島のほぼ中央に位置する山の頂までがはっきり見える。
 朝の情景を思い出しながら、サンゴーンは昼下がりの家の庭にレフキルと並んで立っていた。まだ暑い日もあるけれど、一雨ごとに夏のヴェールは溶けて、確実に季節は移ろい、深まってゆくのだ。南国の稲や麦の穂は実りに近づき、芋は土の中で豊かに肥えてゆく。ミザリア島にも、間もなく実りの時が訪れる。

 微かに潮の香りを含んだ清々しい風が、耳元をよぎる。
 レフキルは大きく息を吸い込み、吐き出してから、とても穏やかな口調で語るのだった。
「時が、ゆっくり流れていくね」
 その友の言葉を心の奥で噛みしめ、サンゴーンはうなずく。
「ハイですの」

(続く?)
 


  9月 3日− 


[回り道(1)]

「回り道、してみよっか」
 妹の捜していたアレニアの花が見つからず、姉は別の通りを指差した。そこは緩やかな川の曲線沿いに道が伸び、植えられた広葉樹は大きく育ち、赤や橙の屋根瓦が色褪せた木枠の家が立ち並ぶ歴史ある通りだ。春は花、秋は紅葉の名所となる。


  9月 2日− 


[藍色と青(1)]

「あ、咲いてる」
 レフキルがそう言うと、サンゴーンはぱっと顔をあげた。
「えっ? いま行きますの」
 立ち上がり、彼女は銀色の前髪を軽く揺らして嬉しそうに歩いてくる。それは春の弾むような感じとも夏の躍動的な感じとも、冬の重厚な感じとも異なる、優雅で品のある歩き方だった。

「きれい、ですの」
 藍色の花はたたずまいも色合いもしっとりと静かに、鮮やかさを次第に失ってゆく景色の中で、一見すると埋没しているかのように見える。だが、変化に気づく人は確実にいるのだった。

 花を堪能した少女らは立ち上がって大きく伸びをする。その二人の友達同士を風がつつみ、遙か上に母なる空、足元にはミザリア島の土がある。少し歩けば蒼い海と岬も見えるだろう。
「もう秋の空だね」
「日差しが柔らかくなりましたの」
 レフキルとサンゴーンは向き合い、まなざしで思いを交わす。


  9月 1日− 


 歌声は秋の扉

 表通りから
 裏道に入れば
 涼しい空気とともに――

 青空と
 虫の声に抱かれて
 




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