黄昏浪漫 〜
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秋月 涼 |
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「よっと」 石で固められた古い水路をひらりと飛び越えて、ユイランはきれいに着地した。後ろで束ねた黒い髪が遅れて飛び跳ねる。 一瞬だけ足が滑りかけたが、膝を素早く水平に広げて膝を軽く曲げ、得意の運動神経を発揮して即座にバランスを整えた。 「〈お嬢〉さぁん、早くー。間に合わないっすよ!」 ユイランは振り返りざま、手を口に当てて先輩のメイザに呼びかける。緩く曲がりつつ、階段状の段差を過ぎて勢いをつけ、マツケ町へと下ってゆく流れは、水があるのかないのか分からないほど、色のない微風のように透き通っていた。町を潤す水量は豊かで、その水路の幅は飛び越えられるギリギリの線だ。 メイザは駆けながら声を張り上げる。三つ年上で二十二歳の彼女も、ユイランと同じような動きやすい薄い黄土色のズボンと、汗を吸い取りやすい綿で編まれた白いシャツを着ていた。 「ユイちゃーん、もっとゆっくり!」 「待てませんよォ。お先、行ってます!」 水路には、近づいてくる夏の夕暮れを知らせる紅の光が映っている。この辺りでは一般的な木造の平屋の家々は、町外れになると減って、その代わりに畑が増え、空が拡がってくる。 この辺りの人々の気質に合っているかのように、無骨で頑丈で実質的な家屋が多い。使い込まれた感はあるが、彼らが〈もの〉を大切にしていると言うことが充分に伝わってくるようだ。 ユイランは水路沿いに、林へ分け入っていった。白樺の樹がまばらに生えたマツケ川沿いの林は、北国の町を守る防風林と防雪林を兼ねている。河の向こうは目立った集落が見られず、丈の低い木が生えた果てぬ原野が荒涼と続いているだけだ。 ここ数日の好天に土の表面は乾き、大地に張り巡らした樹の根は力強く空を支えている――この町に梅雨は存在しない。 起伏の多い川沿いの短い丘の頭上で、夕焼けの空は白樺の梢に散らばり、後に続く夜の星を連想させてまたたいていた。 短い夏を謳歌しようと、思いきり伸びをしているのは、北国の町に住む人々だけではなかった。草は伸び、樹が息づき。可憐な白い花が咲く。翼を広げた渡り鳥が深い啼き声で、地上にあるどんな青玉よりも美しい蒼の舞台を背景に空を滑ってゆく。 やがて突然、木々が途切れて視界が広がってゆき、大小の石を敷き詰めた河原に出た。男の無精ひげを思わせる不規則さで草が伸び、その向こうには蛇行するマツケ河が見渡せる。 ユイランは足取りを休めて、西の空を遠く仰ぎ見るのだった。 上流の果ての遠い山脈に雄大な夕陽が浮かんでいたが、今まさに、その後ろへ隠れようとしている。空は茜色から藍色の色調変化に染まり、綿のような筋雲が吹き流しになっていた。 翻って、河が注いでゆく東の海の方には夕闇が迫っている。日が沈み、夜のとばりが降りる前、一番星が現れるのだろう。 やがてメイザも追いつき、自然な感嘆の溜め息をつくのだ。 「ほぉ〜。これはいい天気」 空気はほんの微かな夕靄に紛れていたが、空も川も海も、町の風景も彼女たちの頬も――熱っぽく赤々と染められていた。 「一番いい時に間に合ったみたいっすね」 眩しさに目を細めて、夕陽の最後のきらめきが山に帰ってゆくのを一身に見つめながら、ユイランは満足そうにつぶやいた。 辺りの彩度がしだいに消えてゆく様子を眺めながら、二人はしばらく心地よい夕風を浴び、微かな風に黒い前髪を揺らし、その場に立ち尽くしていた。胃の時計が、空腹を知らせるまで。 | ||
(了) | ||
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