■ 北の大地紀行2017 ■

  - 目次 -

 ・旅の概要

 ・JR函館本線@ (白石⇒岩見沢⇒深川)

 ・JR留萌本線 (深川⇒恵比島⇒深川)

 ・JR函館本線A (深川⇒岩見沢)

 ・[廃線] 国鉄・南美唄支線 (南美唄駅、三井美唄小学校跡)

 ・[廃線] 三菱鉱業 美唄鉄道 (東明駅、三菱美唄記念館、我路、常盤台)

 ・[廃線] 国鉄(JR)・上砂川支線 (鶉駅、上砂川駅(悲別駅))

 ・[廃線] 国鉄(JR)・歌志内線 (歌志内駅(ゆめつむぎ))

 ・歌志内市・上歌地区 (悲別ロマン座)

 ・赤平市 (住友赤平立坑「TANtanまつり」、坑口浴場、赤平駅)

 ・芦別市@ (芦別駅)

 ・[廃線] 三井芦別鉄道 (三井芦別駅、緑泉駅、芦の湯駅、頼城仲町商店街)

 ・三段滝 (芦別市)

 ・[廃線] 国鉄(JR)・幌内線 (幾春別駅、住友奔別炭鉱立坑櫓、唐松駅)

 ・[廃線] 三菱鉱業 大夕張鉄道 (鹿島小学校跡、旭沢橋梁)

 ・汽車フェスタ2017@ (南大夕張駅跡)

 ・[廃線] 下夕張森林鉄道・夕張岳線 (三弦橋、シューパロ湖)

 ・汽車フェスタ2017A (南大夕張駅跡)

 ・JR石勝線・夕張支線 (鹿ノ谷駅)

 ・[廃線] 夕張鉄道 (新二岐駅、継立駅)

 ・[廃線] 国鉄・万字線 (上志文駅)

 ・そらち炭鉱の記憶マネジメントセンター (岩見沢)

 ・JR函館本線B (岩見沢⇒滝川)

 ・JR根室本線@ (芦別⇒富良野⇒東鹿越⇒幾寅)

 ・JR幾寅駅 (幌舞駅)

 ・JR東鹿越駅 (幾寅⇒東鹿越)

 ・JR根室本線A (東鹿越⇒富良野⇒滝川)

 ・JR石北本線@ (旭川⇒上川⇒遠軽⇒留辺蘂)

 ・金華信号場 (旧・金華駅)

 ・JR石北本線A (西留辺蘂⇒北見⇒網走)

 ・網走市 (網走駅)

 ・JR釧網本線 (網走⇒釧路)

 ・太平洋石炭販売輸送・臨港線 (春採駅)

 ・JR釧路駅

 ・JR花咲線(根室本線) (釧路⇒根室⇒釧路)

 ・[廃線] 雄別炭礦鉄道 (釧路駅、8700形蒸気機関車・8722号、雄鉄線通)

 ・釧路市〜釧路空港

 ・旅程
 


 ■ 旅の概要 ■

 通算16回目となる北海道の訪問は、大きく分けて【前半】(9/2〜3)と【後半】(9/4〜5)に分かれます。

 まず【前半】は、北海道の一人旅としては初めて《レンタカーを利用》して、廃線跡・炭鉱町をめぐりました。
 これまで友人や妻との北海道旅行でレンタカーを利用したことはありますが、一人旅では初めてです。
 その結果、機動力を最大限に活用して行きたい場所へ自由に行き、存分に時間を割くことが出来ました。
 しかしながらペーパードライバーの私は7年ぶりの自動車の運転となり、運転することが精一杯で終始緊張が絶えず、移動中に景色を楽しむ余裕は全くありませんでした。

 レンタカーを返却して鉄道旅となった【後半】は、列車の移動がメインで、割と「ゆるい」旅程となりました。
 JR北海道のローカル線の先行きを懸念し《乗れるうちに乗っておこう》という目的でした。北海道に関しては、廃線跡めぐりの機会は多かったものの、現役のローカル線に乗る機会が少なかったことが気になっていました。石北本線や花咲線(根室本線)を明るい時間に乗ったのは、1994年以来、実に23年ぶりとなりました。

 【前半】(9/2〜9/3) レンタカーによる、空知の炭鉱鉄道・炭鉱町めぐり
 (9/2:岩見沢⇒美唄⇒赤平⇒芦別9/3:芦別⇒幾春別⇒南大夕張⇒継立⇒岩見沢


 ■ JR函館本線@ ■ (白石⇒岩見沢⇒深川)

 白石⇒岩見沢⇒深川

[2017/09/01 / 21:48]
 函館本線・岩見沢駅

 東京で仕事を終え、羽田から新千歳へ。
 この日は岩見沢に投宿しました。

[2017/09/02 / 06:15]
 そらち炭鉱の記憶マネジメントセンター

 早朝なので、まだ開いていません。
 3年前に立ち寄った記憶が蘇りました。

翌日の夕方、再び立ち寄りました。

 朝食を買いにホテルの外へ出た時の事です。

[2017/09/02 / 06:59]
 岩見沢駅・特急ライラック

 7:00発の特急ライラック1号に乗車。
 もとは青函連絡に使われていた電車です。

 相変わらず朝早い旅です。

[2017/09/02 / 07:14]
 函館本線・茶志内駅(通過)

←奈井江  美唄→

 かつて「三菱鉱業茶志内炭礦専用鉄道」が分岐していました。茶志内炭鉱は、写真の左奥の方角にあったようです。

 かなりの速度で通過しましたが、見事にピントが合っていました。


 ■ JR留萌本線 ■ (深川⇒恵比島⇒深川)

 2001年6月以来、実に16年ぶり2度目となる留萌本線の乗車です。
 この間、2016年12月には末端区間の留萌〜増毛が廃止となりました。

 残った深川〜留萌間の先行きも明るくないため、今回乗っておこうと計画しました。
 全線は乗らず、深川駅から恵比島駅までの往復です。
 恵比島駅を見たかったのと、峠下以降は何となく景色の記憶があるため、割愛しました。

 増毛駅の廃止ブームは去ったようで、列車は空いていました。
 お陰でゆったりとした旅を満喫できました。

 もう留萌本線に乗れる機会はないかも知れないと思いながら、車窓を眺めていました。
 

[2017/09/02 / 08:15]
 留萌本線・秩父別駅

[2017/09/02 / 08:17]
 留萌本線・北秩父別駅

 仮乗降場タイプの板張り駅です。
 普通列車ですが通過しました。

[2017/09/02 / 08:27]
 留萌本線・恵比島(明日萌)駅

 NHK朝ドラ「すずらん」(1999年)の舞台となった駅です。木造駅舎はドラマ用に建てられました。

 実際の駅名は「恵比島」(えびしま)駅で、ドラマでは「明日萌」(あしもい)駅でした。

 かつては留萠鉄道の分岐駅として賑わったようですが、過疎化が進み、ひっそりとしていました。

[2017/09/02]

[動画]
 恵比島駅(明日萌駅)キハ54発車

[2017/09/02 / 08:38]
 留萌本線・恵比島(明日萌)駅
 
 
 1999年に幼少期の主人公を演じた柊瑠美さんは、2001年、映画「千と千尋の神隠し」の声優に。

[2017/09/02 / 08:39]
 留萌本線・恵比島駅
 
 こちらが“真の”恵比島駅です。
 貨車を流用した待合室です。
 倉庫風にカムフラージュされています。
 

[2017/09/02 / 08:41]
 恵比島
 
 寂しい駅前の向こうから、一人のおばあちゃんが歩いてきました。数少ない鉄道の乗客です。
 
 朝ドラ「すずらん」の観光客で賑わった恵比島駅ですが「SLすずらん号」は2006年に運行終了。
 
 恵比島から分岐していた炭鉱線「留萠鉄道」の幌新駅跡(ほろしん温泉)では、留萠鉄道で活躍した小型SL「クラウス15号」が保存・公開されているようです。別の機会に見てみたいです。

[2017/09/02 / 08:43]
 留萌本線・恵比島(明日萌)駅
 
 さらば明日萌。
 約20分の滞在を終えて帰路につきました。

[2017/09/02]

[動画]
 秘境駅「真布駅」停車(留萌本線)

[2017/09/02 / 08:53]
 留萌本線・石狩沼田駅

 列車の後方から撮影。
 かつて札沼線(学園都市線)の分岐駅でした。

 右側のホームは使われていないようです。

[2017/09/02 / 09:04]
 留萌本線・北一已駅

 難読駅名「きたいちやん」です。
 次が終点の深川駅です。

 2016年2月にJR北海道から発表された資料によると、北一已駅の2014年度の1日平均乗車人員は「1名以下」とのことです。

[2017/09/02 / 09:09]
 留萌本線・深川駅

 留萌本線の短い旅が終わりました。


 ■ JR函館本線A ■ (深川⇒岩見沢)

 深川⇒岩見沢

[2017/09/02 / 10:01]
 函館本線・岩見沢駅

 恵比島への遠征を終え、岩見沢に戻りました。


 ■ [廃線] 国鉄・南美唄支線 ■ (南美唄駅、三井美唄小学校跡)

 国鉄・函館本線 南美唄支線

 岩見沢でレンタカーを借り、最初に向かったのは南美唄駅跡でした。
 実に 7年ぶり の運転でしたので、とにかく安全運転に努めました。
 

[2017/09/02 / 11:18]
 国鉄 南美唄支線・南美唄駅(跡)

 この辺りに南美唄駅があったようです。

 後ほどコミュニティセンターの資料で見たところ「国鉄・南美唄支線」について「国鉄三井線」「国鉄三井鉄道本線」という記述もありました。地元ではそのように呼ばれていたのかも知れません。

[2017/09/02 / 11:21]
 国鉄 南美唄支線・南美唄駅(跡)

 コンクリートの壁がありました。

 この先、炭鉱方面まで、当時は貨物線が延びていたようです。近くには商店街だった場所も残っていました。炭鉱の事務所跡も現存するようです。

[2017/09/02 / 11:21]
 炭鉱町・三井美唄(南美唄)

 昔のままという感じがしました。
 炭鉱町の面影が良く残っています。

 まだ住民がそれなりに残っているのは、平地で美唄市街に出やすいからでしょうか?

 この日の午後に訪問した美唄鉄道跡(東美唄)とは明暗が分かれた印象です。

[2017/09/02 / 11:34]
 南美唄地区コミュニティセンター

 三井美唄小学校について尋ねたところ、スタッフの方が図書室を開けて下さり、地域資料を閲覧することができました。ありがとうございました。

 写真の右側が南美唄駅方面、左側が三井美唄小学校方面です。三井美唄小学校は炭鉱都市のマンモス校で、最盛期は3,000人を越える児童が通学していたそうです。昭和54(1979)年に閉校。

[2017/09/02 / 11:48]
 資料『美唄市全域ガイド 昭和三十四年版』

 図書室でお借りした地域資料の表紙です。炭鉱で発展した美唄は昭和25年(1950年)に市制施行し、人口は昭和31年(1956年)にピークの9万2千人に達しました。
 その3年後にあたる昭和34年(1959年)に作成された当ガイドは、市内各所に住宅や商店、炭鉱施設が建ち並ぶ様子が記録されており、当時の熱気が伝わってくるかのようでした。

※参考文献:
 そらち『炭鉱(やま)の記憶』ガイドマニュアル(美唄市版)
 資料編1 美唄市の歴史(PDF版)
 http://www.sorachi.pref.hokkaido.lg.jp/ts/tss/guidemanual-bibai.htm


 ■ [廃線] 三菱鉱業 美唄鉄道 ■ (東明駅、三菱美唄記念館、我路、常盤台)

 三菱鉱業 美唄鉄道
 

[2017/09/02 / 12:37]
 美唄鉄道・東明駅(跡)

↓盤の沢  美唄↑

 以前から来たいと思っていた場所です。
 当時の雰囲気が良く残っていると思います。
 美鉄で活躍したSLが保存されています。

 サイクリングロードになった美鉄跡は、老朽化のため休止になっていました。夕張市内の夕張鉄道跡と同じような運命をたどっているようです。

[2017/09/02 / 12:35]
 美唄鉄道・東明駅(跡)

↑盤の沢  美唄↓

 美唄鉄道・2号機関車(国鉄4110形)です。
 急勾配仕様の5軸が特色となっています。

 この後、車で美唄鉄道跡に沿って走りましたが、確かに勾配はきつかったです。

 奥の方に東明駅のホームがありました。

[2017/09/02 / 12:36]
 美唄鉄道・東明駅(跡)

↑盤の沢  美唄↓

 東明駅のホーム跡です。

 サイクリングロードは休止と書いてありますが、事実上、廃止に近い状態と思われます。

[2017/09/02 / 12:38]
 美唄鉄道・東明駅(跡)

←美唄  盤の沢→

 駅舎がきれいな姿で残されています。地元の「東明駅保存会」様が継続的に保存活動をされているようです。45年前の1972年に廃止された駅とは思えない良好な状態に見えました。

[2017/09/02 / 12:44]
 盤の沢商店街(跡)

 突然、無人の地区に現れた商店跡に驚いて、車を止めました。道路に沿って数軒が残るのみですが、帰宅して調べた所、ここが「盤の沢商店街」のようです。

 少し先には美唄鉄道の盤の沢駅があったはずですが、今回は調査を見送っています。

[2017/09/02 / 12:53]
 美唄鉄道・我路〜美唄炭山

↑美唄炭山  我路↓

 誰もいなかった「我路ファミリー公園」の片隅に「三菱美唄記念館」(左の建物)があります。

 美鉄の線路跡は道路に取り込まれたそうです。
 
 写真の左奥の方向に「美唄炭山駅」があったようです。右側は「沼東中学校」の体育館を再利用したスキー場のレストハウスです。

[2017/09/02 / 13:07]
 三菱美唄記念館

 右側の斜面は「美唄国設スキー場」です。

 円形校舎で知られる「沼東小学校」は、手前の山の中にあったようです。

[2017/09/02 / 13:21]
 炭鉱メモリアル森林公園 (常盤台)

 美唄鉄道の終着駅・常盤台。
 唯一の住民はキタキツネでした。

 右側は炭鉱時代の遺構でしょうか?
 もしかしたら通洞坑かも知れません。

 キツネ君、教えてくれてありがとう。

[2017/09/02 / 13:21]
 炭鉱メモリアル森林公園 (常盤台)

 原炭ポケットは、産出した石炭を一時的に保管しておくための施設だったようです。

[2017/09/02 / 13:33]
 炭鉱メモリアル森林公園 (常盤台)

 立坑櫓・原炭ポケット・開閉所が残っています。この辺りは山の斜面で、美唄鉄道の常盤台駅はもう少し低い場所にあったようです。

 何かの工事中で、どこから入ればよいのか分からず、少し離れたところに車を停めました。釣りを楽しんだ様子の人たちが何人かいました。

[2017/09/02 / 13:31]
 炭鉱メモリアル森林公園 (常盤台)

 立坑櫓(巻揚げ機)は錆びないように朱色で塗ったと、三菱美唄記念館の方に聞きました。

 東美唄は、私には寂しすぎました。

 午前中に行った南美唄(三井美唄)と比べると、ほとんど人が住んでいません。キタキツネは問題ないですが、ヒグマが出そうだと思いました。

[2017/09/02 / 13:40]
 炭鉱メモリアル森林公園 (常盤台)

 左の施設が「開閉所」(電源を管理)

[2017/09/02 / 13:59]
 我路(一条通?)

 美唄鉄道沿線で特に栄えたという我路(ガロ)の町に立ち寄りました。廃屋が目立ちました。

 出会ったのは、真っ白の猫ちゃん1匹でした。

[2017/09/02 / 13:56]
 我路(二条通?)

 帰宅後、ネットで調べると「やきとりガロ」さんの建物だったようです。数年前までは営業していたようですが、今は看板がありません――。

 最盛期、我路は100軒以上の商店がひしめき、映画館もあったようです。全ては時のかなたに。

[2017/09/02 / 14:00]
 我路(三条通?)

 道路の反対側、どうやらこちらが我路の中心部だったようです。

 美唄鉄道の我路駅のホーム跡が残っているようですが、今回は深入りせずに立ち去りました。

 我路郵便局跡は見てみたかったです。帰宅後に調べたところ、もう少し奥に位置するようですが、今でも建物は残っているのでしょうか。

[2017/09/02 / 14:01]
 我路

←美唄炭山  盤の沢→

 最後に三条通から二条通(道道)の方を見下ろしました。美唄駅から我路まで、三菱鉱業バスが10分おきに走っていた時代もあったそうです。
 正面が「やきとりガロ」さん跡です。

 ここから車で一気に上砂川町まで移動します。
 途中、茶志内の炭鉱町(日東町住吉)を見るつもりでしたが、気づいたら通り過ぎていました。


 ■ [廃線] 国鉄(JR)・上砂川支線 ■ (鶉駅、上砂川駅(悲別駅))

 国鉄(JR)・函館本線 上砂川支線
 

[2017/09/02 / 14:51]
 国鉄 上砂川支線・鶉駅(跡)

←下鶉  東鶉→

 鶉(うずら)駅の跡です。
 道路を走っていて気づきました。

 改装され、喫茶店として活用されたようですが、現在営業している雰囲気はなかったです。

[2017/09/02 / 14:47]
 国鉄 上砂川支線・鶉駅(跡)

↓下鶉  東鶉↑

 駅の裏側には広い鉄道スペースがありました。

 JR化後の1994年5月に廃止されています。
 私が初めて北海道に渡ったのは同年7月でしたので、ギリギリ間に合わなかった路線です。

[2017/09/02 / 15:01]
 国鉄 上砂川支線・上砂川駅(跡)

 ドラマで「悲別駅」として登場したようです。

 移築したため、場所と向きが変わっています。
 数名のライダーの方々が駅の前で休憩し、写真を撮っていました。

[2017/09/02 / 15:03]
 国鉄 上砂川支線・上砂川駅(跡)

 JR形式の駅名標がありました。
 

[2017/09/02 / 15:07]
 三井砂川炭鉱中央立坑櫓

 炭鉱都市の証が残っています。


 ■ [廃線] 国鉄(JR)・歌志内線 ■ (歌志内駅(ゆめつむぎ))

 国鉄(JR)・歌志内線
 

[2017/09/02 / 15:28]
 歌志内線・歌志内駅(跡)

↑歌神

 かつての駅前通りは閑散としていました。

 左手前に駅跡の「ゆめつむぎ」があります。

[2017/09/02 / 15:30]
 歌志内市郷土館ゆめつむぎ

 入口の駅名標を見た瞬間、この施設に入ろうと思いました。手書きの文字に味があります。

[2017/09/02 / 15:43]
 歌志内市郷土館ゆめつむぎ

 国鉄 歌志内線・歌志内駅(跡)に建てられた郷土資料館「ゆめつむぎ」の中には、歌志内線に関連する資料が保管されていました。
 営業時間内に間に合ってラッキーでした。

 歌志内市の人口:約3,500人(2017年3月)


 ■ 歌志内市・上歌地区 ■ (悲別ロマン座)

 歌志内市・上歌地区
 

[2017/09/02 / 15:57]
 悲別ロマン座

 炭鉱町の「旧上歌会館」です。1984年のドラマ「昨日、悲別で」にて使用されたようですが、私は残念ながら見た記憶がありません。

 さらに1977年の映画「幸福の黄色いハンカチ」でも登場しており、そちらは見ました。統一劇場のメンバーが「銀座のカンカン娘」を歌っていました。

[2017/09/02 / 15:58]
 悲別ロマン座


 ■ 赤平市 ■ (住友赤平立坑「TANtanまつり」、坑口浴場、赤平駅)

 空知の炭鉱町の一つである赤平市を初めて訪問しました。
 

[2017/09/02 / 16:17]
 第7回 TANtanまつり/住友赤平立坑

 岩見沢「そらち炭鉱の記憶マネジメントセンター」様のブログで「TANtanまつり」の記事を見ましたが、この日に開催とは認識していませんでした。

 時間が余ったため、ついでに寄ってみた赤平市で、結果的に大変貴重な経験をしました。

[2017/09/02]

[動画]
 住友赤平炭鉱立坑櫓(外観)

 この日の13:00に集合すれば立坑の内部を見学できたようです。いつか機会がありましたら見てみたいと思います。

 BGMの唄(「Hello,Again 〜昔からある場所〜」)が印象に残りました。90年代J-POPは青春です。

[2017/09/02 / 16:27]
 住友赤平炭鉱・坑口浴場

 着替えをしたスペースのようです。

[2017/09/02 / 16:27]
 住友赤平炭鉱・坑口浴場

[2017/09/02 / 16:32]
 住友赤平炭鉱・坑口浴場

 ここで多くの方が働いていたのだなぁ……。

 この「場所」が帯びたエネルギーを感じました。

 幻想的に灯るランプは、ここで働き、汗を流した多くの人たちの「思い」の残像でしょうか――。

[2017/09/02]

[動画]
 住友赤平炭鉱坑口浴場2017
 (空知の炭鉱遺産・産業遺産)

 リアルな「空間」の持つ力が、時を越えた幻想的な雰囲気をまとって、バランスとアンバランスの狭間の《奇妙な四次元》を形成していました。

[2017/09/02 / 16:38]
 住友赤平炭鉱立坑櫓

 最近、赤平市に所有権が移ったそうです。
 炭鉱遺産としての活用が期待されます。

 この付近で、3年前に旧栗沢町の朝日炭鉱についてご説明頂いた教授に、偶然再会しました。
(3年前は 国鉄万字線・朝日駅跡 にて)

 突然のことで呆然としましたが、何とか歩きながら話しかけて、お礼を伝えることができました。好意的に捉えて下さっていたようで恐縮しました。

[2017/09/02 / 16:53]
 根室本線・赤平駅

↑茂尻  東滝川↓


 ■ 芦別市@ ■ (芦別駅)

 芦別市

[2017/09/02 / 17:46]
 根室本線・芦別駅前

 9/2・9/3は芦別市に連泊しました。レンタカーの本日の運転が無事に終了し、ほっとしました。

 芦別も、夕張や美唄と並ぶ炭鉱都市でした。
 閉山後は「星の降る里」というキャッチフレーズで観光面に力を入れているようですが、なかなか厳しいと思われ、第三セクターの「(株)星の降る里芦別」は2007年8月に経営破綻しています。ここで詳しくは論じませんが、気になる所です。

[2017/09/02 / 17:48]
 根室本線・芦別駅

 島式ホームの手前側3番線が「三井芦別鉄道」のホームでした。

《三井芦別鉄道》
 1972年:旅客営業廃止(以後は貨物専用)
 1989年:全線廃止

[2017/09/02 / 17:52]
 根室本線・芦別駅

 芦別駅と五重塔

[2017/09/02 / 18:44]
 芦別名物「ガタタン」

 ガタタン(含多湯)のラーメンを食べました。
 野菜たっぷりで、身体があったまりました。
 美味しかったです!

(※この日、朝はコンビニ弁当、昼食は無し)

[2017/09/03 / 06:24]
 翌朝の芦別は、霧につつまれていました。


 ■ [廃線] 三井芦別鉄道 ■ (三井芦別駅、緑泉駅、芦の湯駅、頼城仲町商店街)

 三井芦別鉄道
 

[2017/09/03 / 07:29]
 三井芦別鉄道・三井芦別駅(跡)

←頼城方面  芦別方面→

 ホームの跡と思われます。

[2017/09/03 / 07:31]
 三井芦別鉄道・三井芦別駅(跡)

←頼城方面  芦別方面→

 かつて大いに栄えた三井芦別駅。

 今は会社の事務所として利用されています。

[2017/09/03 / 07:41]
 西芦別(三井芦別)

 圧巻です。
 炭鉱住宅が整然と立ち並ぶ西芦別。
 三井芦別地区の炭鉱町だったようです。

 散歩中のおばちゃんと話をして、炭山川橋梁の情報を確認しました。夕張方面に行くと伝えた所、途中の「三段滝」がお薦めとの事でした。

[2017/09/03 / 07:53]
 三井芦別鉄道・炭山川橋梁

←頼城方面  芦別方面→

 橋梁の上に機関車が保存されている珍しい場所です。現役路線のようなリアリティがあります。

 国道452号線の橋から撮影しましたが、かなり高い所ですので、高所恐怖症の方にはお薦めできません。機関車の後ろには石炭貨車が繋がっているはずですが、木々で見えづらかったです。

[2017/09/03 / 08:04]
 三井芦別鉄道・緑泉駅(跡)

←西町アパート前  幸町→

 緑泉(ろくせん)駅です。
 木造の駅舎が残っています。
 なかなか良い雰囲気でした。

 現在は個人所有となっているようです。

[2017/09/03 / 08:07]
 三井芦別鉄道・緑泉駅(跡)

↑西町アパート前  幸町↓

 駅前の様子です。

[2017/09/03 / 08:12]
 三井芦別鉄道・緑泉〜西町アパート前

←西町アパート前  緑泉→

 踏切の跡が明瞭でした。
 しばらく無人の地区を走りますが、炭鉱が栄えた時代は多くの住宅が建っていたようです。

 正直、かなり不気味でした。

[2017/09/03 / 08:19]
 三井芦別鉄道・芦の湯駅(跡)

←頼城  西町アパート前→

 共同浴場「芦の湯」の後ろに「芦の湯停留所」があり、線路は左右の方向に走っていたようです。

 かつての「芦の湯」とほぼ同じ場所に「頼城共同浴場」(写真の建物)があります。

[2017/09/03 / 08:26]
 頼城仲町商店街

 三井芦別鉄道「芦の湯駅」の近くにあった「頼城仲町商店街」です。往時の繁栄が偲ばれますが、ただ衰退したという暗い印象は薄かったです。

 ここは朝から人や車の出入りがあり、今を生き続けている炭鉱町の姿でした。人の温もりがまだ残っている商店街と感じました。
 マーケットのアーケードが印象に残りました。

[2017/09/03 / 08:29]
 三井芦別鉄道・芦の湯〜頼城

↑頼城  芦の湯→

 頼城仲町公園より、頼城駅があった方面を望みました。頼城の雰囲気はとても気に入りました。

 炭鉱時代からの住宅も、結構残っています。

 昔は奥の方に炭鉱の立坑が見えたはずです。

[2017/09/03]

[動画]
 芦別市・頼城(炭鉱町)2017年

 頼城仲町公園より


 ■ 三段滝 ■ (芦別市)

 三段滝

[2017/09/03 / 09:01]
 国道452号線の芦別市の山奥に「三段滝」があります。釣りをしている人たちがいました。

 西芦別で会ったおばちゃんのお薦めポイント。
 ちょうど良い小休止になりました。

 ここからしばらくの間、峠道の運転に専念。


 ■ [廃線] 国鉄(JR)・幌内線 ■ (幾春別駅、住友奔別炭鉱立坑櫓、唐松駅)

 国鉄(JR)・幌内線
 

[2017/09/03 / 09:42]
 国鉄 幌内線・幾春別駅(跡)

 幌内線の終着駅で、炭鉱町でした。
 駅跡はバスターミナルになっています。

 2001年9月以来、16年ぶりの幾春別です。
 前回は岩見沢から自転車で来ました。
(おそらく道道116号線を経由したため、唐松駅には気づかなかった)
 今回は車で、桂沢湖経由で来ましたが、峠道の運転に苦労しました。幾春別が三笠市の最奥の集落であることが良く分かりました。

[2017/09/03 / 09:48]
 住友奔別炭鉱立坑櫓

 圧倒的な存在感です。
 竣工当時は「東洋一」と呼ばれたそうです。

 幾春別駅(跡)から徒歩で数分の立地です。

[2017/09/03 / 10:10]
 国鉄 幌内線・唐松駅(跡)

 初訪問の唐松(とうまつ)駅です。
 当時の駅舎とホームの跡が残っています。

 昭文社刊の「ツーリングマップル 北海道 2017」の表紙に採用され、ライダーさんの訪問が増えているそうです。

 前夜に上記の情報を知り、追加で訪問を決めましたが、ここを訪れて良かったです。青空の下、清々しい駅でした。

 ちなみに私は鉄道派ですが、以前から「ツーリングマップル」を活用しており、今回の旅では2000年4月版を持参しました。鉄道の車窓をより楽しむため、線路のどちら側に海・山・川があるかを知るために重宝しています。

[2017/09/03 / 10:14]
 国鉄 幌内線・唐松駅(跡)

 とても地元の皆さんから愛されている駅です。

 1987年の幌内線の廃止から30年が経過しても、これだけ美しい状態を保っているのは、地元の方々が長年に渡って維持してきた結果です。

 今では産業遺産として、観光資源として、非常に価値の高い場所になっていると感じました。

[2017/09/03 / 10:17]
 国鉄 幌内線・唐松駅(跡)

 正面から。
 屋根が特徴的な形をしています。

[2017/09/03 / 10:18]
 国鉄 幌内線・唐松駅(跡)

 この後、駅の保存活動に関わっている地元の方から、少しお話を伺うことが出来ました。

 その方は「遠くから見に来てくれる人がいると、やり甲斐を感じる」と仰っていました。

 道央から富良野方面に抜ける途中の三笠市にあり、観光客も寄りやすい立地です。私も機会があれば、またいつか訪れてみたいです。

[2017/09/03 / 10:30]
 国鉄 幌内線・唐松駅(跡)

↑弥生  三笠↓

 ここから大夕張(鹿島)まで1時間、ノンストップで運転です。幾春別・桂沢湖経由で国道452号線に戻りました。


 ■ [廃線] 三菱鉱業 大夕張鉄道 ■ (鹿島小学校跡、旭沢橋梁)

 三菱鉱業 大夕張鉄道
 
 3年ぶり2度目の訪問です。
 前回は徒歩メイン、今回はレンタカーで来ました。
 
 ⇒別ページ《2014年の大夕張》
 

[2017/09/03 / 11:27]
 大夕張・鹿島小学校跡

 前岳を望む(左側の▲の山)

[2017/09/03 / 11:33]
 大夕張・鹿島小学校跡

 鹿島小学校の校舎とグランドがあった広い敷地です。最盛期は2,000人以上の児童が通いましたが、炭鉱の閉山後は激減したそうです。

 写真の左側に進むと大夕張の行政・商業の中心部でした。大夕張鉄道の大夕張駅もその辺りにあったようですが、立入禁止になっていました。

↑千年町  大夕張炭山↓

[2017/09/03 / 11:34]
 大夕張・鹿島小学校跡

 約束の、イタヤカエデの樹の下で――。
 黄色いハンカチにはこう書いてありました。

 
おかえりなさい
幸福の街
大夕張

 ただいま!
 3年ぶりに戻ってきました。

[2017/09/03 / 11:34]
 大夕張・鹿島小学校跡

↑大夕張炭山  千年町↓

[2017/09/03 / 11:54]
 大夕張鉄道・旭沢橋梁

←千年町  明石町→

 シューパロ湖の水位の変化によって、沈んだり現れたりの旭沢橋梁です。やはり負荷が大きいのか、茶色の錆が目立つようになっていました。
 右側は夕張岳登山道の付け替え道路です。

 3年前の5月よりも湖の水位が低いのでは?
 最初にそう思ったのは、この場所でした。

[2017/09/03 / 11:54]
 大夕張鉄道・旭沢橋梁

←千年町  明石町→

 並んでいるのは旧国道の「明石橋」です。

[2017/09/03 / 11:58]
 大夕張眺望公園

 3年前は鹿島小学校跡にあった大夕張の碑が、眺望公園(夕張東高跡)に移設されていました。

 背景には夕張岳と前岳が望めました。

[2014/05/04]

[動画]
 2014年(3年前)の大夕張(参考)

[2017/09/03 / 12:07]
 大夕張鉄道、旧国道の跡

←明石町  南大夕張→

 新国道の「シューパロトンネル」の出口付近に、小さな展望台があります。シューパロ湖の水位が低く、大夕張鉄道と旧国道の跡が見えました。

[2014/05/04 / 13:03]
 3年前(2014年)の、ほぼ同地点

 ・この日のシューパロ湖の水位:標高284m


 ■ 汽車フェスタ2017@ ■ (南大夕張駅跡)

 南大夕張駅跡(三菱鉱業 大夕張鉄道)のイベント「汽車フェスタ2017」を訪問しました。
(主催:三菱大夕張鉄道保存会 様)

 このイベントを訪問するため、今回の旅は2月までにスケジュールを検討し、3月に飛行機を押さえました。
 例年と違う日に開催されたらどうしようという心配はありましたが、結果的には例年通りに開催されました。
 

[2017/09/03 / 12:28]
 大夕張鉄道・南大夕張駅跡
 
↑明石町  遠幌↓
 
 白樺の樹の下で、演奏が行われていました。
 人の姿が多く、活気のある会場でした。

[2017/09/03]

[動画]
 三菱大夕張鉄道に乗車体験(モーターカー)

[2017/09/03 / 12:37]
 大夕張鉄道・南大夕張駅跡
 
 ラッセル車「キ1」号
 ウイングを広げて頂きました。
 
 今でも稼働するのが素晴らしいです。保存会様による整備・維持活動の苦労を想像しました。

[2017/09/03]

[動画]
 ラッセル車「キ1」ウイング開閉(南大夕張駅)

 汽笛も鳴らして頂きました。

[2017/09/03 / 12:39]
 大夕張鉄道・南大夕張駅跡
 
 ラッセル車「キ1」号

[2017/09/03 / 12:56]
 大夕張鉄道・南大夕張駅跡

 3年前、車に乗せて大夕張を案内して下さった旦那さんに、会場でお声掛け頂き、再会を果たすことが出来ました。3年前は、お互いに連絡先や名前の交換をしませんでしたが、人のネットワークに頼って連絡先がつかめました。
 その後、お葉書のやりとりのみで、この日に私がイベントに行くことをお伝えした所、おいで下さってお声がけを頂きました。
 山あり谷ありの3年が過ぎ、こうして再びお目にかかれたことに、改めて感謝を深めました。

[2017/09/03 / 12:57]
 大夕張鉄道・南大夕張駅跡

 ダルマストーブや、当時の大夕張鉄道の様子について、色々な思い出話を伺うことができました。ありがとうございました。

 夏の間はダルマストーブを取り外して座席を設置していたそうです。鉄製の枠も、最初は無く、後から作られたとのことです。


 ■ [廃線] 下夕張森林鉄道・夕張岳線 ■ (三弦橋、シューパロ湖)

 下夕張森林鉄道・夕張岳線
 

[2017/09/03 / 13:22]
 夕張シューパロダムへの道

 南大夕張駅の「汽車フェスタ」の会場で話が盛り上がった夕張市のマダムのご厚意で、シューパロダムまで車に乗せて頂けることになりました。

 3年前は徒歩で登りました。きつい勾配と、砂埃(当時は未舗装)に苦しみましたが、いつしか立派に舗装されたようです。

 正面に見えるトンネルは未成道路(道道136号・夕張新得線のダム付け替え道路)です。

[2017/09/03 / 13:35]
 三弦橋(跡)
(下夕張森林鉄道・夕張岳線 第一号橋梁)

 心のきれいな人(!)には見えるそうです。
 黄色で囲った楕円の内側をご覧下さい。

 この場所に「三弦橋」が眠っているのが目に見えたのは大きな経験でした。あと少し水位が下がれば姿を現しそうですが、今回はお預けです。
 三弦橋の頭頂部は海抜278m、3年前に訪れた時のシューパロ湖の水位は海抜284mで全く見えませんでした。今回水位は279m位でしょうか?

[2017/09/03 / 13:38]
 シューパロ湖 上流方面

←南大夕張  明石町↑

 サーチャージ水位(標高301.5m)に比べて、水位はかなり下がっていますが、大夕張ダム・旧国道452号線・大夕張鉄道の跡は水没したままです。

 ここでは、何度かメールだけでやりとりしていた北海道の炭鉱鉄道研究の大先輩の方に、偶然、お会いする機会を得ました。一人旅ながら、人の縁に恵まれた旅でした。


 ■ 汽車フェスタ2017A ■ (南大夕張駅跡)

 南大夕張駅跡(三菱鉱業 大夕張鉄道)
 

[2017/09/03 / 14:35]
 大夕張鉄道・南大夕張駅跡

↑遠幌  明石町↓

 三弦橋から帰ってきて、もう少し南大夕張駅跡を見ました。地域を支えた石炭貨物車のセキです。


 ■ JR石勝線・夕張支線 ■ (鹿ノ谷駅)

 JR石勝線・夕張支線
 

[2017/09/03 / 15:14]
 石勝線 夕張支線・鹿ノ谷駅

 かつて国鉄夕張線と夕張鉄道の乗り換え客で賑わったといわれる鹿ノ谷駅です。炭鉱の時代には高級住宅街として知られていたようです。
 手前側が夕張鉄道跡ですが跡形もありません。駅の乗客数は10名/1日を下回り、夕張支線では利用客の最も少ない駅です。とはいえ並行のバス路線が存在し、鉄道よりもはるかに本数があり、利便性はバスに軍配が上がります。
 国鉄と夕鉄をまたぐ長い跨線橋から俯瞰。

[2017/09/03 / 15:14]
 石勝線 夕張支線・鹿ノ谷駅

↑清水沢  夕張↓
↑営林署前(廃)  末広(廃)↓

 3年前の夕張旅行では、鹿ノ谷駅で乗車も下車もしなかったので、今回改めて来ました。この夕張支線は2019年頃の廃線が濃厚となっています。

「JTB小さな時刻表 2016年04月号」の表紙の写真の撮影ポイントは、この辺りだと思われます。


 ■ [廃線] 夕張鉄道 ■ (新二岐駅、継立駅)

 夕張鉄道
 

[2017/09/03 / 15:32]
 夕張鉄道・新二岐駅(跡)

←錦沢  継立→

 道道3号線(札幌夕張線)沿いにあります。
 顔のような、愛嬌のある形をしていました。

 かつて「角田炭鉱専用鉄道」が分岐し、一時期「路面電車」が走っていた先進的な地区でした。

[2017/09/03 / 15:51]
 夕張鉄道・継立駅(跡)

←新二岐  角田→

 交通の要衝にある継立駅跡です。

 近くのコンビニで買い物をし、駐車して、その足で見に来ました。会社の工場として使われているようですが、形としては良く残っています。


 ■ [廃線] 国鉄・万字線 ■ (上志文駅)

 国鉄・万字線
 

[2017/09/03 / 16:23]
 万字線・上志文駅(跡)

 ついでに寄ってみたのですが、3年前には無かったはずの駅名板が――。嬉しい変化でした。
 
 

[2014/05/06 / 12:09]
 万字線・上志文駅(跡)

 3年前(2014年)の上志文駅

 上の写真とアングルは異なりますが、3年前は確かに駅名板は無かったようです。

 ⇒別ページ《万字線 廃線跡》


 ■ そらち炭鉱の記憶マネジメントセンター ■ (岩見沢)

 そらち 炭鉱(ヤマ)の記憶マネジメントセンター様
 

[2017/09/03 / 17:20]
 そらち 炭鉱の記憶マネジメントセンター

 岩見沢市内でレンタカーを無事に返却した後、徒歩で向かったのは、岩見沢駅前にある「そらち炭鉱の記憶マネジメントセンター」様でした。

 着いた時間が遅かったのですが、ギリギリまでご厚意で居させて頂けることになりました。
 炭鉱や鉄道資料を拝読し、情報交換しました。
 ドイツのルール工業地帯では、炭鉱鉄道の保存運転に関して、産業遺産として大きな価値が認められているそうです。

[2017/09/03 / 18:09]
 そらち 炭鉱の記憶マネジメントセンター(裏側)

 寄贈した自著『夕張の炭鉱町を歩く』の書籍が、蔵書として管理されていることも確認できました。

 寄贈エピソードについては 《こちら》 を参照
(「そらち★ヤマの記憶だより」2016/06/11号)

 突然の訪問でしたが温かく迎えて頂きました。
 ありがとうございました。


 ■ JR函館本線B ■ (岩見沢⇒滝川)

 JR函館本線
 

[2017/09/03 / 18:16]
 特急フラノラベンダーエクスプレス4号@岩見沢
 クリスタルエクスプレスの一部車輌の窓ガラスに傷が入った影響で、9/2・9/3は急遽、キハ183系「旭山動物園号」を使用したようです。
 
 今回の旅で、スラントノーズのキハ183系0番台を見たのは、この時だけだと思います。

[2017/09/03]

[動画]
 【代走】旭山動物園号で
 特急フラノラベンダーエクスプレス(キハ183系)

[2017/09/03 / 18:24]
 函館本線・岩見沢駅

 特急を見送り、滝川ゆきに乗車しました。


 ■ 芦別市A ■ (芦別駅)

 芦別市

[2017/09/03 / 19:58]
 昨夜、芦別名物の「ガタタン」を食べたお店で、今夜は普通のチャーハンを注文しました。
 時間的に、駅周辺で開いている飲食店が飲み屋やスナックばかりでしたので助かりました。

 この後、宿に戻って風呂に入り、早めに就寝。

(※朝食はコンビニおにぎり、昼食は無し)

[2017/09/04 / 06:25]
 根室本線・芦別駅

 翌朝、徒歩で芦別駅に到着しました。


 ■ JR根室本線@ ■ (芦別⇒富良野⇒東鹿越⇒幾寅)

 JR根室本線
 

[2017/09/04 / 06:28]
 根室本線・芦別駅

 連泊した芦別を発ちました。
 滝川発、東鹿越ゆきの始発列車です。

 良く晴れた朝でした。
 台風が東の方に逸れて良かったです。

[2017/09/04 / 06:45]
 根室本線・上芦別駅

←芦別  野花南→

 油谷炭鉱方面への「三菱芦別専用鉄道」が分岐していた上芦別駅です。芦別市内の主要な町の一つとなっています。

 空いているスペースは石炭列車が停まっていた場所だと推定します。

[2017/09/04 / 07:39]
 根室本線・山部駅

[2017/09/04 / 08:00]
 根室本線・金山⇒東鹿越

 ダム付け替えルートの「空知トンネル」を抜けると、左側にダム湖「かなやま湖」が広がりました。

 水位は低いように見えました。

[2017/09/04 / 08:05]
 根室本線・東鹿越駅

 ここから新得方面・上落合信号場までの根室本線は、2016年台風10号の災害で不通となっており、東鹿越駅が終着駅の状態でした。新得ゆきの列車代行バスに乗り換えて先に進みます。

 1日の平均乗客が1名以下で、廃止される予定だった東鹿越駅は、災害の影響で生き延びるという数奇な運命をたどっています。しかし赤字のため富良野〜新得間の路線自体が廃止に至る可能性があり、予断を許さない状況です。

[2017/09/04]

[動画]
 東鹿越駅 発車/列車代行バス車窓

 新得ゆきの列車代行バスの車窓です。


 ■ JR幾寅駅 ■ (幌舞駅)

 根室本線・幾寅駅(幌舞駅)
 

[2017/09/04 / 08:17]
 根室本線・幾寅駅(災害休止中)

 南富良野町の中心地である幾寅駅で下車。
 列車代行バスは新得に向かいました。

 高倉健さん主演の映画「鉄道員(ぽっぽや)」の「幌舞駅」として撮影が行われました。

(※以下、作成中)

[2017/09/04 / 08:21]
 根室本線・幾寅駅

↑東鹿越  落合↓

 映画「鉄道員」では廃止対象路線として登場した「幌舞駅」でしたが、2016年台風10号の影響で、本当に列車の来ない駅になりました。

 2008年にレンタカーで訪問した時は、この駅に停まった列車を見たのですが……。
 赤く錆びたレールに心が痛みました。

[2017/09/04 / 08:29]
 幌舞駅(幾寅駅)


 ■ JR東鹿越駅 ■ (幾寅⇒東鹿越)

 JR根室本線・東鹿越駅
 

[2017/09/04 / 08:53]
 根室本線・幾寅駅(災害休止中)

 新得から来た列車代行バスに乗車しました。

 後ろの白い大型バスが列車代行の東鹿越ゆきで、前の中型バスは占冠村営バスです。幾寅から占冠までは、バスで1時間のようです。

[2017/09/04 / 08:57]
 幾寅⇒東鹿越(列車代行バス)

↑東鹿越  幾寅↓

 列車が運行休止となり、レールは赤錆びて。
 廃線のような情景になっていました。

 バスの乗車中、踏切付近で撮影しました。

[2017/09/04 / 09:04]
 根室本線・東鹿越駅

↑金山  幾寅↓

 列車代行バスから、再び列車に乗り換えです。

 

[2017/09/04 / 09:06]
 根室本線・東鹿越駅

[2017/09/04 / 09:07]
 根室本線・東鹿越駅

↑幾寅  金山↓

 周囲に人家はなく、石灰石の東鹿越鉱山(日鉄鉱業・東鹿越鉱業所?)だけが目立っていました。日鉄鉱業は、昔行った青森県下北半島の尻屋崎付近で巨大鉱山を経営している会社なのですね。

[2017/09/04 / 09:09]
 根室本線・東鹿越駅

←金山  幾寅→

 滝川ゆきの車内から撮影。

 東鹿越駅を見るのは2度目となります。1994年以来、23年ぶりです。間が空きすぎました。
 駅前から「かなやま湖」は見えません。

[1994/07/25]
 根室本線・東鹿越駅

 1994年 の東鹿越駅

 当時は駅前から「かなやま湖」が見えていたようです。新得から滝川間で撮影した写真はこの1枚だけなので、印象に残ったようです。
 デジカメは無く、フィルムカメラで撮影しました。

[2017/09/04 / 08:05]
 根室本線・東鹿越駅

 2017年 の東鹿越駅(比較用)

 駅の外観は変わっていません。
 きちんと維持されてきた事が分かります。


 ■ JR根室本線A ■ (東鹿越⇒富良野⇒滝川)

 JR根室本線
 

[2017/09/04 / 09:47]
 根室本線・布部駅

←富良野  山部→

 ドラマ「北の国から」の始まりとなった布部駅。

 ここから麓郷(ろくごう)までは10km以上。
 さすがに歩くには遠いですね。

[2017/09/04 / 09:58]
 富良野駅(根室本線/富良野線)

 JR富良野駅の電光掲示板です。

 東鹿越から先は復旧されるのか、
 それとも永遠の終着駅となるのか――。

[2017/09/04 / 09:59]
 富良野駅(根室本線/富良野線)

←野花南、島ノ下(信)  布部→

 ドラマ「北の国から」の影響で、とても知名度の高い富良野です。私は今回で16回目の北海道ですが、富良野を観光したことがありません……。

[2017/09/04 / 11:03]
 根室本線・東滝川駅

←赤平  滝川→

 次が終点の滝川です。


 ■ JR石北本線@ ■ (旭川⇒上川⇒遠軽⇒留辺蘂)

 JR石北本線
 

[2017/09/04 / 12:29]
 旭川駅・大雪1号

 特急「大雪1号」網走ゆきに乗り換えました。
 

 高架化されてから初めて旭川駅に来ました。

[2017/09/04 / 13:01]
 石北本線・将軍山駅(通過)

 普通列車でも通過する便があります。

[2017/09/04 / 13:28]
 石北本線・上川駅

 層雲峡の最寄り駅、上川に到着しました。
 ほとんど乗降はありませんでした。

 旭川からの48.6kmに45分ほどかかり、北海道の特急としては、かなり鈍足に感じました。

[2017/09/04 / 13:34]
 石北本線・天幕駅(跡)

↑中越(信)  上川↓

 上川駅を発車し、しばらく走ると、線路の奇妙なカーブが2箇所連続しました。この地が2001年に廃止された「天幕駅」の跡と推定します。

 辺りは鬱蒼とした森が続きます。駅の利用者がいたことを想像できませんでした。

[2017/09/04 / 14:34]
 石北本線・瀬戸瀬駅

 上り特急「大雪4号」との列車交換です。

 民家は僅少で、山が迫っていました。

[2017/09/04 / 14:48]
 石北本線・遠軽駅

 名寄本線の分岐駅でした。

 ここで進行方向が変わります。

[2017/09/04 / 14:56]
 石北本線・安国駅(通過)

←遠軽  生野→

 駅には「木のおもちゃ王国」と題した展示があるようです。

[2017/09/04 / 15:31]
 石北本線・留辺蘂駅

 駅員が無配置となり、空虚な雰囲気でした。


 ■ 金華信号場 ■ (旧・金華駅)

 JR石北本線・金華信号場(旧・金華駅)
 

[2017/09/04 / 15:52]
 石北本線・金華信号場

←生田原、常紋(信)  西留辺蘂→

 留辺蕊駅からタクシーで来ました。

 2016年3月までは「金華(かねはな)駅」でした。
 駅舎が残っています。


 ■ JR石北本線A ■ (西留辺蘂⇒北見⇒網走)

 JR石北本線
 

[2017/09/04 / 16:13]
 石北本線・西留辺蘂駅

 地元では「ニシルベ」と呼ばれているようです。

[2017/09/04 / 17:10]
 石北本線・東相内駅

 北見近郊になってきました。

 きっと愛は有ります。(^^;

[2017/09/04 / 17:26]
 石北本線・北見駅

↑西北見  柏陽↓

 ふるさと銀河線の“思い出お〜い”北見駅です。

 高校生や買い物客で混み合いました。

[2017/09/04 / 17:49]
 石北本線・愛し野駅

 もっと愛は有ります(^^)/

[2017/09/04 / 18:49]
 石北本線・網走駅

 この夜は網走に泊まりました。


 ■ 網走市 ■ (網走駅)

 網走の夜

[2017/09/04 / 19:00]
 北見運転所網走詰所・留置線

[2017/09/04 / 19:23]
 網走産生ウニとイバラ蟹のパスタ


 ■ JR釧網本線 ■ (網走⇒釧路)

 JR釧網本線
 

[2017/09/05 / 06:29]
 網走駅(釧網本線・石北本線)

 旅の最終日も良く晴れた朝でした。

[2017/09/05 / 07:00]
 小清水原生花園

←(臨)原生花園  北浜→

[2017/09/05 / 07:24]
 釧網本線・知床斜里駅

[2017/09/05 / 07:35]
 釧網本線・南斜里駅

←清里町  中斜里→

 停車する列車の本数が極端に少ない南斜里駅です。(釧路方面4本、網走方面は2本)

 JRの発表した「極端にご利用の少ない駅」でもあります。乗車人員は1日平均1名以下です。

 根北線(1970年廃止)の以久科駅や下越川駅もこんな雰囲気だったのかな、と思いました。

[2017/09/05]

[動画]
 秘境駅「南斜里駅」発車(釧網本線)

[2017/09/05 / 07:58]
 釧網本線・緑駅

 何かと気になる緑駅です。
 利用客は少ないですが、釧網本線の運行上は主要駅になっています。

 青緑色の「神の子池」に近いです。

 駅の近くにある「緑の湯」で、2001年にコンタクトレンズを流してしまい、自転車での旅を断念したという思い出も――。

[2017/09/05 / 08:27]
 釧網本線・美留和(びるわ)駅

←摩周  川湯温泉→

 いわゆる「貨車駅」です。

[2017/09/05 / 09:18]
 釧網本線・茅沼⇒塘路

 これぞ釧路湿原!

[2017/09/05 / 09:23]
 釧網本線・塘路(とうろ)駅

←細岡  茅沼→

[2017/09/05]

[動画]
 車窓の釧路湿原 (塘路⇒細岡) (JR釧網本線)

 塘路駅を発車すると、釧路川に寄り添います。

 車窓には釧路湿原の大自然が広がりました。

[2017/09/05 / 10:00]
 JR釧路駅

 釧路駅に到着しました。


 ■ 太平洋石炭販売輸送・臨港線 ■ (春採駅)

 太平洋石炭販売輸送・臨港線(旧・釧路臨港鉄道)
 

[2017/09/05 / 10:14]
 太平洋石炭販売輸送・春採駅

※許可を得て、安全な場所から望遠で撮影

 釧路駅からタクシーで来ました。2017年現在、国内で唯一残っている坑内堀りの炭鉱「釧路コールマイン(旧・太平洋炭礦)」の炭鉱鉄道です。
 春採駅にいたのは10分足らずでしたが、その間に石炭列車(石炭を積みに行く空の列車)が動いているシーンを見ることができて幸運でした。
 かつては各地の炭鉱で見られた景色だったのでしょう――過ぎた時代に思いを馳せました。

[2017/09/05]

[動画]
 釧路の炭鉱鉄道「春採駅」
 (太平洋石炭販売輸送臨港線)

 炭鉱「釧路コールマイン」に石炭を積みに向かうため、石炭列車はからっぽです。それでも約20両の黒い「セキ」(石炭列車)は迫力がありました。

 先頭のD801号機は 雄別鉄道 からの移籍組。


 ■ JR釧路駅 ■

 JR釧路駅
 

[2017/09/05 / 10:36]
 高速軌道試験車「マヤ34 2008」(釧路駅)

 鉄道の軌道計測のために臨時で走る「マヤ検」と呼ばれる特殊な列車を、偶然見かけました。

 この車輌は今年度限りで引退予定とのことで、貴重なシーンを見ることができました。

[2017/09/05]

[動画]
 【マヤ検】マヤ34 2008 高速軌道試験車


 ■ JR花咲線(根室本線) ■ (釧路⇒根室⇒釧路)

 JR花咲線(根室本線)
 

[2017/09/05 / 12:26]
 花咲線・浜中駅

 ルパンさん!

 モンキー・パンチ氏の出身地という縁で、ルパン3世が浜中町の観光に一役買っているようです。

[2017/09/05 / 13:04]
 花咲線・落石駅

 落石(おちいし)岬は良い所と聞きましたが、行く機会がないまま、時だけが過ぎています。

[2017/09/05 / 13:18]
 花咲線・東根室駅(通過)

 日本最東端の駅は住宅地の中にあります。
 快速「ノサップ」号は通過しました。

 2年前に行った長崎県の「たびら平戸口駅」は、東経129度。この東根室駅は東経145度なので、およそ1時間の時差があることになります。

[2017/09/05 / 13:24]
 花咲線・根室駅

 終着駅の根室に着きました。
 時間的な都合から、この日はすぐに折り返しの列車に乗りました。

 納沙布岬 までは20km強あります。
 2005年9月に一度だけ車で行きました。

[2017/09/05 / 13:35]
 花咲線・東根室駅

 根室からの復路は各駅停車。1駅目の東根室は「日本最東端の駅」として知られています。

 かつては根室駅から、国鉄の東根室駅よりさらに東に位置する歯舞駅まで「根室拓殖鉄道(根室拓殖軌道)」が営業されていたそうです。

[2017/09/05 / 13:49]
 花咲線・昆布盛(こんぶもり)駅

 秘境感たっぷりです。

 2005年に車で訪問したことが有ります。

[2017/09/05 / 13:57]
 花咲線・落石⇒別当賀

 あの先端が「落石岬」です。

 日本の鉄道車窓の中でも、これほどダイナミックに「日本離れした」車窓は稀だと思います。

[2017/09/05 / 14:13]
 花咲線・初田牛(はったうし)駅

 お爺さんが一人、下車しました。(黄色の丸)

 この駅の利用客は、JR北海道の統計では「1日平均1名以下」なので、かなりレアな瞬間だったのでしょうか……?

[2017/09/05 / 14:20]
 花咲線・厚床(あっとこ)駅

 かつて標津線が分岐していました。
奥行臼、別海、中標津方面)

 花咲線(根室本線)でも運転上、重要な駅でしたが、2016年3月のダイヤ改正に伴う列車の削減で列車交換がなくなりました。

[2017/09/05 / 14:43]
 花咲線・茶内(ちゃない)駅

←糸魚沢  浜中→

 銭形のとっつぁん!

 1972年まで、最後の簡易軌道である「浜中町営簡易軌道」が分岐していた駅です。

 今度は簡易軌道の跡を訪ねてみたい――。

[2017/09/05 / 15:54]
 釧路駅

 今回のJR北海道の旅は、これにて終了です。


 ■ [廃線] 雄別炭礦鉄道 ■ (釧路駅、8700形蒸気機関車・8722号、雄鉄線通)

 雄別炭礦鉄道(雄別鉄道)
 

[2017/09/05 / 10:41]
 雄別炭礦鉄道・釧路駅(跡)

 午前中に訪れたJR釧路駅の片隅に、雄別炭礦鉄道のホームに登る階段が残されていました。
 

[2017/09/05 / 16:19]
 8700形蒸気機関車・8722号

※株式会社 釧路製作所様の本社敷地内にて、
 許可を得て撮影

※詳しくは、釧路製作所様のホームページ
 「SL8722号」をご覧下さい。

 雄鉄の石炭輸送に活躍しました。国鉄、北海道拓殖鉄道を経て、雄別炭礦鉄道に来たようです。

[2017/09/05 / 16:47]
 雄鉄線通(釧路環状線)

←中園  新釧路→

 雄別炭礦鉄道の跡地が道路になっています。

 当時の面影は無いようですが「雄鉄線通」という通りの名前に残されています。阿寒町を経由して雄別炭山駅までの雄別本線44.1kmと、いくつかの支線を持つ長い炭鉱鉄道でした。1970年廃止。

[2017/09/05 / 10:14]
 太平洋石炭販売輸送・D801ディーゼル機関車

※許可を得て、安全な場所から望遠で撮影

 太平洋石炭販売輸送の春採駅で石炭貨物列車を牽引していた青い「D801ディーゼル機関車」は、雄別鉄道・埠頭線の「YD1301」だったようです。

 雄鉄の貴重な生き残りとの遭遇でした。


 ■ 釧路市〜釧路空港 ■

 釧路市〜釧路空港
 

[2017/09/05 / 16:53]
 「釧路・根室の簡易軌道」記録集

 偶然、インターネットで知って、欲しいと思った記録集でした。
 株式会社 釧路製作所様にて購入する事が出来ました。

 出遅れたため、発行元の釧路市立博物館様では通販が終了していました。博物館に行けば入手できると分かったため、旅行に合わせて博物館に寄ることを計画しました。(もともと釧路駅には立ち寄るスケジュールだったため)
 前週の水曜時点で、電話にて在庫を問い合わせたところ、残数は4部。週末には無くなってしまうかも知れないとの事でした。

 そして迎えた9月5日(火)。釧路駅に着いて博物館に電話すると「売り切れました」とのこと。諦めかけたものの、釧路製作所様でも取り扱っており、入手できました。こちらも残数は3部程度で、数日後に完売したようですので、ぎりぎり間に合いました。

[2017/09/05 / 17:37]
 釧路空港ゆきバス

 釧路駅前17:40発のバスに乗車。
 空港に向かいました。

[2017/09/05 / 18:20]
 たんちょう釧路空港


 《旅程》
 
■ 9月1日(金)
 ・羽田空港 18:50 → 新千歳空港 20:20 (ADO 035便)
 ・新千歳空港 20:30 → 白石 21:03 (快速エアポート205号/JR千歳線)
 ・白石 21:11 → 岩見沢 21:47 (JR函館本線)
 <岩見沢(泊)>

■ 9月2日(土)
 ・岩見沢 07:00 → 深川 07:40 (特急ライラック1号/JR函館本線)
 ・深川 08:05 → 恵比島 08:27 (JR留萌本線)
 ・恵比島 08:45 → 深川 09:09 (JR留萌本線)
 ・深川 09:19 → 岩見沢 09:59 (特急ライラック14号/JR函館本線)
 ・岩見沢 10:30頃
 ↓
 (レンタカー)
 ↓
 ・芦別 17:20頃
 <芦別(泊)>

■ 9月3日(日)
 ・芦別 07:10頃
 ↓
 (レンタカー)
 ↓
 ・岩見沢 16:45頃
 ・岩見沢 18:28 → 滝川 19:07 (JR函館本線)
 ・滝川 19:12 → 芦別 19:45 (JR根室本線)
 <芦別(泊)>

■ 9月4日(月)
 ・芦別 06:40 → 東鹿越 08:04 (JR根室本線)
 ・東鹿越 08:09 → 幾寅 08:17 (列車代行バス)
 ・幾寅 08:52 → 東鹿越 09:02 (列車代行バス)
 ・東鹿越 09:12 → 滝川 11:12 (JR根室本線)
 ・滝川 11:52 → 旭川 12:25 (特急ライラック13号/JR函館本線)
 ・旭川 12:41 → 留辺蘂 15:26 (特急大雪1号/JR石北本線)
 ・西留辺蘂 16:51 → 網走 18:47 (JR石北本線)
 <網走(泊)>

■ 9月5日(火)
 ・網走 06:41 → 釧路 09:58 (JR釧網本線)
 ・釧路 11:12 → 根室 13:22 (JR花咲線(根室本線))
 ・根室 13:33 → 釧路 15:51 (JR花咲線(根室本線))
 ・釧路駅 17:40 → 釧路空港 18:25 (空港連絡バス)
 ・釧路空港 19:10 → 羽田空港 20:55 (ADO 074便)