青空を仕入れちゃう?

 〜森大陸(しんたいりく)ルデリア・幻想結晶〜

 

秋月 涼 


(一)

〜 ・ 〜 ・ 〜 ・ 〜 ・ 〜 ・ 〜

「あの青空みたいに素敵な売り物があれば、きっと買うよぉ」
「へっ? 青空を仕入れちゃう……ってこと?」

〜 ・ 〜 ・ 〜 ・ 〜 ・ 〜 ・ 〜

「ねむ。これから、空いてる?」
 学院の帰り道、十五歳のサホ・オッグレイムは、同級生の〈ねむ〉ことリュナン・ユネールに訊ねた。ルデリア大陸の中では南西部に当たるズィートオーブ市の午後の陽射しは夏の厳しさを残して縦に降りそそぐけれど、空の天井は日ごとに高くなり、夕暮れは明らかに早まっている。海も遠くない旧市街ロンゼの整備されたレンガ作りの環状道路には、爽やかな風が通り抜け、サホが着ている七分袖の赤いシャツの袖口をはためかすのだった。時折、おなかの布も舞い上がり、白くて長いズボンを止める洒落た茶色のベルトと、可愛らしいおへそが覗くのだった。

「うん。何もないよぉ」
 応えたリュナンの方はやや色の白い痩せ気味の少女で、物の良い薄紫色のブラウスに、微かな桃色のロングスカートを合わせている。身体が弱く居眠りの多い彼女は、いつしか〈ねむ〉と呼ばれるに至った。自分自身も〈ねむちゃん〉と言っている。
 二人とも妖精の血が幾星霜を経て人間に深く混じったウエスタル族である。この民族に特徴的なのは、身体の造りが華奢で比較的運動には不向き、魔法が得意、それから髪の色がバラバラだということである。リュナンはむしろこの国では珍しく普通の金髪だが、後ろで束ねたサホの髪は赤っぽい色をしている。
 彼女たちが通っている学院に指定の制服はない。それぞれ革の手提げ鞄を持っているが、必要のない書物は校舎に置きっぱなしにしてあるのだろう、少なくとも重たそうではなかった。

 目の前を何かが横切り、サホは素早く身をかがめる。飛び去る姿を追えば、それは今年一番早く見かけたトンボであった。
 少し微笑んで、何事もなかったかのように体勢を立て直したサホは、建物の日陰を選びつつ隣を歩く親友に呼びかけた。
「ならさー、ちょっと付き合わない? あたい、これから、うちの商品の仕入れに行こうと思ってるんだけど。何軒か回るんサ」
 サホの実家は〈オッグレイム骨董店〉という商店を経営している。父が亡き後、母が切り盛りしているが、放課後や学院が休みの日は長女のサホも手伝っている。店番や倉庫の片づけにとどまらず、仕入れや情報収集、果ては幼い弟や妹の面倒を見るのも大事な仕事だ。リュナンは興味津々そうに問い返す。
「面白そうだね……。ねむちゃんも行っていいの?」
「もちろん!」
 
 
(二)

「骨董品なんて、なかなか無いでしょ? 売りに来る人もいるけどサ、待ってても埒があかないから、こっちから捜しに行くの」
 サホは右手に鞄を持ったまま、しなやかな腕を大げさに広げて、空に突き出した。中型の馬車が行き違える程度の幅がある旧市街の街路は、大勢の人が行き交っていた。特に八百屋や肉屋、魚屋には多くの婦人がたむろし、夕食のおかずを考えながら店主との値引き交渉を楽しんでいる。どこもかしこも色々な種類の商店で賑わっており、この町で揃わない物はまずない。西廻り航路の重要な中継点に位置しているため、南からの香辛料もあれば、北国の毛織物もある。西海は近いし河も流れ、郊外の広い農村からは新鮮な旬の野菜や果物が届けられる。
「サホっちらしいね」
 うなずいたリュナンに、骨董屋のしっかり娘は格闘家の真似をして片目をつぶり、左右の拳を順ぐりに鋭く差し出すのだった。
「先手必勝だわなぁ。ほっ、ほっ」
「違うぜー、こうだぞ!」
 通りの反対からやって来た数人の七、八歳くらいの男児たちがサホの動きに反応し、てんでに格好をつけて拳で空を切る。
「だっさいわねー。こうよ!」
 サホはさも楽しそうに笑いながら、立ち止まって腰を低く構え、豪快に蹴りをかます。しばらくの後、熱い拍手が起こった。
「すげぇすげぇ」
「姉ちゃん、かっこいいなー」
 足の長いサホが白いズボンで蹴り上げると、素人ながら様になっていた。中にはさっそく〈教えてくれよ〉と駆け寄ってくる子供もいる。よもやま話をしていた商店街のおやじや、下町のおばさんたちはサホに注目する。日傘の中で顔をしかめた通りがかりの大商人の婦人だけが、その場に不釣り合いであった。
「今日は無理、忙しいんだからサ。さーあ、行った、行った!」
 サホは子供たちを適当にあしらった。その人気ぶりを、リュナンは嬉しそうに、そして少しだけ羨ましそうに眺めるのだった。

「商品の値段なんて、要はみんなが欲しがる度合で決まるんよね。特に骨董品なんてのは、結局ガラクタなんだからサ、どれだけ〈いわくつき〉か、貴重かってのを多少誇張しつつ、嘘にならない程度に客に説明できる話術が何よりも大事なのよねー」
 自分の家の商いについて、それから自分の役割について良く理解しているサホだった。彼女は学院で劣等生扱いされていたが、遅刻や居眠りが多いのは仕事の忙しさで多少はやむを得ない面があったし、そもそも学院での勉強全般にあまり興味を持てず、やる気が出ないのだった。時には赤っぽい髪の色まで陰口を叩かれることもあるが、地毛だし、サホは無視している。
 居眠りが縁で翻意になったリュナンはおっとりした性格で、いっしょにいると心が安まる。決して外見で人を判断せず、相手の話を良く聞くところもサホは好きである。趣味も性格もまるきり違う二人だが、学院にいまいち適応できていない点など、ひそかな共通点は多い。今ではお互い全幅の信頼を置ける〈かけがえのない親友〉であり、一生の付き合いになる確信がある。
 
 
(三)

「サホっちは、何でも良く分かってるよねぇ」
 リュナンはとても感心していた。サホの説明は続いている。
「遠くから来る行商の人は、たいてい重い荷物を嫌うからさぁ、相手の日程とか繁盛の状況にもよるけど、交渉次第ではいい品がかなり安く買えたりするんよね。まあ野菜売りとか薬売りとかに比べると、雑貨も扱う行商なんて、あんまりいないけどサ」
「でも、中にはそういう人もいるんだよね?」
 リュナンが訊くと、生粋の商売人の娘ははつらつと応えた。
「そうそう。例えばさ、少し田舎の土地で、古い雑貨を売ろうとするじゃない。でも、なかなか地方では買い手が見つからなくて、都市に出てくる行商人にお願いする……ってことはあるわけ」
「うん、うん」
 自分の知らない世界に触れることが出来たリュナンの方は、青い瞳を輝かせて相手の話に聞き入っている。道行く人も、周りの景色も目に入らず、ひたすら親友の語りに没頭していた。

 腕を振り上げ、赤い前髪を揺らして威勢良く歩いていたサホは、ふと立ち止まる。それから親友の顔を覗き込むのだった。
「ねむは、どんな商品だったら買う? 仕入れの参考にするよ」
「えっ? ……そうだね、うーん」
 リュナンは立ち止まり、ほっそりとした腕を組み合わせて知恵を絞った。その瞳の行き先は、ふとした瞬間、自然と上の方に向かってしまう――幼い頃より体が弱く、しばしば風邪をこじらせて喘息になり寝込んでしまう彼女は、光や海、天や雲といった開放的で広く自由なものに、生来憧れ続けているのだった。
(大空みたいに、なれたらいいな)
 訳の分からない答えかも知れないと躊躇したが、他でもないサホならばきっと〈想い〉は伝わると信じて――リュナンはまぶしそうに顔をもたげ、素直な気持ちを微風に乗せて表現する。

「あの青空みたいに素敵な売り物があれば、きっと買うよぉ」
「へっ? 青空を仕入れちゃう……ってこと?」

 サホはさすがに目を見開いて、親友の突拍子もない答えを吟味していた。低いうなり声を上げ、首をかしげて、言葉の裏側に見え隠れする友人の真意を汲み取ろうとした。青空、青空、どうすれば仕入れられるんだろう――と頭の中で呪文のように繰り返し、その夢想的な要望を具体的な形にするため知恵を絞る。
 やがてサホは白い歯を見せて、右手の指をぱちんと鳴らす。
「さすがねむ、いいこと言うねえ! 今日はその方針で行こう」
「え?」
 むしろ驚いて、あっけにとられたのはリュナンの方だった。

 その疑問を置いてけぼりにしたまま、骨董屋の娘は何やら鞄を開けて、初秋の空を仰ぎ、手探りでゴソゴソと検分し始める。
「これこれ。ちょっと違うかも知れないけどサ、こんなのどう?」
 サホが取り出したのは、身だしなみの確認に用いる茶色の枠が付いた小さな丸い手鏡だった。長い間、愛情を持って大切にされた品物に特有の、主人を慕う温かな雰囲気が漂っている。
 彼女が手首を動かすと、光の筋道が移動して、店の壁やレンガの路に明るい円の模様を刻みつける。一通り色々な方に向けてから、地面と水平に持ち、ゆっくりと親友の方に差し出す。
「さあ、覗いてみて」
 サホが促すと、リュナンの胸はいくぶん鼓動を速めた。何が起こるんだろう、という期待と畏れを抱きつつ、軽く身を乗り出す。

「あっ」
 見る角度によって強い閃光が現れ、リュナンの眼はやられてしまう。鏡の中は眩しい輝きが満ちあふれている世界だった。
 そして、しだいに目が慣れてくると――もう、はっきり見える。

 確かに映るのは、心に沁みる澄みきった青空と、白き綿雲。蒼天は遙かにして高く、時に寄せて風流れ、緩やかに色彩を変ずる。東方の紫雲は玲瓏たる趣を誇り、柔和に横臥していた。

「どんな宝石にも負けない、青玉(サファイヤ)の鏡じゃない?」
 いたずらっぽく語った友の声が、手鏡に見とれていたリュナンを夢から醒ます。彼女は少しずつ腕を上げ、空を指し示した。
「うん……特にあの辺なんて、最高の商品になりそうだよねぇ」
「うわ、ほんッとすごい色! あっという間に吸い込まれそう」
 サホも天を仰いで、前髪を掻き上げ、しばらく見とれていた。
「なんか見えるんかい?」
 不思議に思った八百屋の親父が出てきて、少女らに訊ねる。サホの答えは明快で、全く一点の曇りも淀みも無しに響いた。
「ほら。いつもは忘れてた、あんなにきれいな空が見えるよ!」

「というわけで、とりあえず、うちの店に並べても問題ない古い鏡でも仕入れに行こっか。ガイレフのおっさんとこにするかな」
「うん!」
 仲良しの同級生は、陽の傾き始めたズィートオーブ市の通りを並んで歩いてゆく。まだ見ぬ素敵な鏡を思い浮かべて――。

(了)



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