■ 北の大地紀行2020 道北特別 ■

  - 目次 -

 ・旅の概要

 ・10月17日(土) (旭川⇒名寄⇒音威子府)

 ・10月18日(日) (音威子府⇒稚内⇒猿払⇒名寄)

 ・10月19日(月) (名寄⇒羽幌⇒留萌⇒旭川)

 ・旅程(作成中)
 


 ■ 旅の概要 ■

 新型コロナウイルスの第2波が下火となり、政府の「Go To トラベル事業」で東京都発着のプランが解放された2020年10月。ようやく取得できた「夏休み」(10/19の1日のみ)を土日に付加し、2泊3日で道北をめぐりました。

 本来は5月に友人と行く予定だった計画(緊急事態宣言により断念)のアレンジ版で、1人で行きました。

 北海道のIN/OUTは旭川空港で、道内では鉄道とレンタカーを組み合わせた形の旅程でした。
 車を運転するのは実に3年ぶりで、安全運転を最優先とし、できるだけ交通量の少ない道を選びました。

 北海道に行くとなると、気合を入れて半年前から準備するのもザラなのですが、今回は休暇が取れると決まったのが直前だったので、実質1週間ですべての計画・手配をしました。それでも飛行機や宿泊場所を安価で予約できたのが、コロナ禍の状況を示していました。
 交通機関や建物内では、個人で出来る感染対策(マスク・手指の消毒等)を徹底しての旅でした。


 ■ 10月17日(土) ■ (旭川⇒名寄⇒音威子府)

 10月17日(土)

[2020/10/17 / 10:02]
 羽田空港

 東京は雨でした。
 ゆっくり目のスタートです。

[2020/10/17 / 10:02]
 羽田空港

 コロナ禍での欠航が多発。

[2020/10/17 / 10:47]
 羽田空港

 手荷物検査、検温も無事に通過。

[2020/10/17 / 12:24]
 (空撮)むかわ町〜日高町・門別地区

 日高地方の上空に来ました。手前が「むかわ町」(鵡川)、奥が日高町(門別)となります。
 
 中央少し上に見えるのは門別競馬場です。

[2020/10/17 / 12:25]
 (空撮)厚幌ダム

 2018年9月発生の「平成30年北海道胆振東部地震」(最大震度7)で、この付近の厚真町では大きな被害があったようです。左下で山の地肌が見えている部分は土砂崩れ箇所の模様です――。

[2020/10/17 / 12:27]
 (空撮)夕張市・楓

↑占冠  新夕張↓

《2014年の訪問記録 「楓」》

 道東道と国道274号、JR石勝線が交錯します。

[2020/10/17 / 12:28]
 (空撮)夕張シューパロダム

《2014年の訪問記録 「大夕張」》

 かつての炭鉱町「南大夕張」付近です。

 この場所を空から見られるとは――。
 予想外の事に、車窓に釘付けになりました。

 空から見てもダムの堤高がすごいです。

[2020/10/17]

[動画]
 大夕張 飛行機からの空撮

[詳細記事は別ページにて]
《大夕張2020 空撮》

[2020/10/17 / 12:52]
 旭川空港

 無事、到着しました。

[2020/10/17 / 13:00]
 [F35] 富良野線・千代ヶ岡駅

 旭川空港からタクシーで移動。

 約7分、料金は約1,600円でした。

[2020/10/17 / 13:05]
 [F35] 富良野線・千代ヶ岡駅

↑西聖和  北美瑛↓

[2020/10/17 / 13:08]
 [F35] 富良野線・千代ヶ岡駅

 ここから始まる、最北端への片道切符の旅!

 千代ヶ岡 13:19発の旭川ゆきに乗車。

[2020/10/17 / 13:24]
 [F34] 富良野線・西聖和駅

 長い間、ご無沙汰していた富良野線。

 私は美瑛や美馬牛の風景も好きですが、最後に美瑛を廻ったのは2008年。いつか〈青い池〉を見てみたいです。

[2020/10/17 / 13:31]
 [F32] 富良野線・西瑞穂駅

↑西神楽  西御料↓

 不思議と「西」の付く駅名が続きます。

[2020/10/17 / 13:42]
 旭川駅・キハ40

 電化で高架の路線をゆく1両のキハ40に、都会と地方が交錯したような趣を感じます。

[2020/10/17 / 13:44]
 [A28] 富良野線・旭川駅

 富良野線から宗谷本線に乗り換えました。

[2020/10/17 / 13:46]
 [A28] 宗谷本線・旭川駅

・13:59 宗谷本線「音威子府」(おといねっぷ)
・14:40 石北本線「北見」
・15:14 留萌本線「留萌」
 と、行先はバラエティ豊かですが、列車の本数は少ないです。

[2020/10/17 / 13:48]
 [A28] 宗谷本線・旭川駅

 音威子府ゆきのキハ54に乗車しました。

 別ページ⇒ 《宗谷本線 全駅 2020秋》

[2020/10/17 / 15:11]
 [W41] 宗谷本線・北剣淵駅

↑剣淵  士別↓

 板張りのホームが印象的。

 国鉄時代、北海道のローカル線には、こんな雰囲気の「仮乗降場」が数多く存在したそうです。JRになると「駅」に昇格しました。

 ここも仮乗降場からの昇格駅で、長らく利用者僅少だったようですが、2021年3月に廃駅となる見込みです。
 長らくのお勤め、お疲れ様でした――。

[2020/10/17 / 15:58]
 [W48] 宗谷本線・名寄駅

 道北の要衝です。
 かつて名寄本線と深名線が分岐していました。

 屋根がエンジ色に塗り替えられたようです。

[2020/10/17 / 16:02]
 名寄市

 「寄ってって!! 名よせ通り。」
 ゆるキャラ「なよろう」可愛いですね。

 この町で食料の調達に繰り出しました。

[2020/10/17 / 16:19]
 西條 名寄店

 西條さんがあって助かった♪

 地場の大型スーパーです。
 ここで今宵の夕食とお酒を確保しました。

 雨が降った跡がありました。

[2020/10/17 / 17:47]
 [W61] 宗谷本線・音威子府駅

 とっぷりと日が暮れました。
 今日はここで途中下車します。

 音威子府村:人口 約700人

[2020/10/17 / 17:49]
 [W61] 宗谷本線・音威子府駅

 黒そば「常盤軒」応援メッセージ

 名物の駅そば屋さんは、新型コロナウイルス感染拡大防止の観点から、当面「臨時休業」でした。

 今度来る時は、コロナがすっかり終息していて、またあの美味しいそばを食べられたらいいなぁ。

[2020/10/17 / 17:50]
 音威子府の名物「黒そば」常盤軒

(2021. 2. 8.補記)多くの旅人に愛された味でした。
 有難うございました。(↓2009年撮影)

[2020/10/17 / 17:54]
 [W61] 宗谷本線・音威子府駅

↑筬島・上音威子府(廃)  咲来↓

 乗ってきたキハ54が名寄方面に折り返し。

 1989年まで天北線の分岐駅でした。

[2020/10/17 / 21:48]
 [W61] 宗谷本線・音威子府駅

↑筬島・上音威子府(廃)  咲来↓

 特急サロベツ3号(稚内ゆき)

 かつては夜行特急「利尻」が毎晩運行されていました。東京での仕事を夕方に切り上げて羽田から飛行機に乗り、札幌23時頃の「利尻」に乗り継ぐと、早朝に稚内に着けたのは便利でした。
 今はもう、遠い想い出のかなたです。


 ■ 10月18日(日) ■ (音威子府⇒稚内⇒猿払⇒名寄)

 10月18日(日)

[2020/10/18 / 05:21]
 [W61] 宗谷本線・音威子府駅

←筬島・上音威子府(廃)  咲来→

 おはようございます!
 嵐の後の晴天に恵まれました。

 音威子府の始発列車に乗ります。
 個人的には、最高の贅沢です。

[2020/10/18 / 05:26]
 [W61] 宗谷本線・音威子府駅

[2020/10/18]

[動画]
 抜海→南稚内 海側の車窓
 (JR宗谷本線)キハ54

 利尻富士はお預け気味だったものの、鉄道から見えるのは珍しい「北海道の日本海」と、雨上がりの秋晴れ、クマザサの丘を楽しめました。

[2020/10/18 / 08:16]
 [W80] 宗谷本線・稚内駅

 日本最北端の駅です。(北緯45度25分)

 以前は島式ホームで2番線まで有りましたが、単式ホームに変わっていました。

[2020/10/18 / 08:18]
 [W80] 宗谷本線・稚内駅

 スタンプ押しました。

[2020/10/18 / 08:23]
 稚内市

 意を決してレンタカー屋さんへ。
 3年ぶりの運転です。

 今回は、宗谷岬も、ノシャップ岬も、氷雪の門も、北防波堤ドームも、フェリーターミナルも、すべてスルーして【天北線の廃線跡】をたどります。
 二十年来の希望がやっと達成できる日です。

[2020/10/18 / 09:09]
 天北線・恵北駅 (跡)

←声問  樺岡→

 ひとつ前の声問は市街地で場所を特定できず、そもそも運転で手一杯だったので通過しました。

 恵北は小さな集落でした。駅跡がどこなのか迷いましたが、純白の駅名標に助けられました。

[2020/10/18 / 09:09]
 天北線・恵北駅 (跡)

←声問  樺岡→

 この大きな樹は、駅の盛衰をずっと見守ってきたのでしょうね。

[2020/10/18 / 09:10]
 恵北集落

 集落の電信柱に、駅名の札?

[2020/10/18 / 09:27]
 天北線・樺岡駅 (跡)

←沼川  恵北→

 なんかもう、背景が雄大で惚れました。

 鉄道の車窓から見てみたかったです。

[2020/10/18 / 09:28]
 天北線・樺岡駅 (跡)

↑沼川  恵北↓

 線路跡が良く分かりました。

[2020/10/18 / 09:43]
 天北線・沼川駅 (跡)

←曲淵  樺岡→

 割と大きな集落の沼川に来ました。天北線から名前を取った「天北小中学校」が存在します。

 駅跡には、いくつか碑がありました。
 当時の駅舎の写真は嬉しかったです。

[2020/10/18 / 09:44]
 天北線・沼川駅 (跡)

↑曲淵  樺岡↓

 そういえば、1934年〜戦後すぐ位まで「植民軌道 幌沼線」(のちに短縮されて「簡易軌道 沼川線」)が、天北線(当時は北見線)沼川駅と、宗谷本線の幌延駅を結んでいたそうです。
 音威子府から南稚内まで全く別経路だった天北線と宗谷本線が、ここで短絡されていた時期があったのは興味深いです。(しかも途中で日曹炭鉱天塩鉱業所専用鉄道と平面交差?)

[2020/10/18 / 09:56]
 天北線・曲淵駅 (跡)

↓沼川  小石↑

 集落は「曲渕」ですが、駅は「曲淵」でした。

 かつては炭鉱で栄えた時期もあったようですが、今はささやかな集落でした。

 稚内市で最後の駅となります。

[2020/10/18 / 09:56]
 天北線・曲淵駅 (跡)

←沼川  小石→

 ここから稚内の市街地まで、およそ43kmの距離があるようです。
 次に目指す小石駅跡は、天北線の線路では17.7kmも離れており、曲淵〜小石間は日本一の駅間距離となっていたようです。

 天候が不安定で、時折、通り雨が降りました。

[2020/10/18 / 10:36]
 天北線・小石駅 (跡)

←鬼志別  曲淵→

 下調べが足りなかった為、駅の跡は集落の中心部にあったのかと勘違い……。近くにいた村人様(工場の従業員様?)にお訊ねしたところ、こちらの「小石交流センター」を教えて頂きました。

 小さな駅ではありますが、高校生の通学時間帯に小石を始終点とする列車が運行されていた頃もあり、運行上は重要な駅だったと思われます。

[2020/10/18 / 10:53]
 鬼志別ターミナル(バス停)

 ここの展示室の資料の充実ぶりが凄いです。
 猿払村の、天北線への敬意が感じられました。

 猿払村には、北から小石・鬼志別・芦野・猿払・浅茅野・飛行場前(注:浜頓別町との境界付近)の各駅がありました。

[2020/10/18 / 11:37]
 天北線・浅茅野駅 (跡)

←飛行場前  猿払→

 芦野と猿払は通過して浅茅野へ。
 ホームがしっかりと残っていました。

[2020/10/18 / 11:58]
 天北線・飛行場前駅 (跡)

↓安別  浅茅野↑

 ついに来ました、飛行場前!
 残念ながら飛行機には乗れません。

 1955年に仮乗降場としてデビュー。何の飛行場かというと、戦争中に作られた陸軍の飛行場という事ですから驚きです(この駅ができた時は、既に飛行場は「飛行場跡」)。そして鉄道の廃止により「飛行場跡の飛行場前駅の跡」という状況に。

[2020/10/18 / 11:59]
 天北線・飛行場前駅 (跡)

↓安別  浅茅野↑

 板張りのホームには穴ぼこが。

 土台にはレールっぽいのが見えました。
 まさか天北線の古レールでしょうか?

[2020/10/18 / 12:00]
 天北線・飛行場前駅 (跡)

↑安別  浅茅野↓

 浜頓別方面を向くと、こんな感じです。
 こうして列車を待っていたのですね。

 線路跡を転用したサイクリングロードは、クマ出没などの影響により、使用中止となっています。

[2020/10/18 / 12:39]
 天北線・下頓別駅 (跡)

↑新弥生  浜頓別↓

 できるだけ交通量の少ない道を選び、浜頓別町の市街地は通らずに下頓別駅跡へ。
 駅名標がきれいで、ホームや線路跡の草も丁寧に刈られており、非常によい状態でした。
 自転車で訪問した2001年以来、19年ぶりです。

[2020/10/18 / 13:06]
 天北線・松音知駅 (跡)

←周磨  上駒→

 ここも19年ぶりに来ました。
 立入禁止の札が出ていたので、少し離れた場所から眺めました。左奥の信号機も健在でした。

 寿駅や中頓別駅跡は、今回は通過しました。

[2020/10/18 / 13:32]
 天北線・敏音知駅 (跡)

←上頓別  周磨→

 道の駅「ピンネシリ」にて

[2020/10/18 / 13:51]
 天北線・小頓別駅 (跡)

 バス停に駅名の看板が。

 枝幸・歌登方面への交通の要衝で、鉄道時代は急行「天北」の停車駅でしたが、平成の30年間にとても過疎化が進んでしまったようです。

 かつては「歌登町営軌道」が分岐していました。

[2020/10/18 / 14:10]
 天北線・上音威子府駅 (跡)

↓音威子府  天北栄(仮)・小頓別↑

 後から考えると、自動車のナビは変な所を案内していたのですが、自分の直感が当たりました。

 出発前にGoogleマップで「予習」していた経験により「ここか?」と思える小道を即断即決で左折、そこがまさに上音威子府駅跡で、今回の旅で最大の成功だったと言えるかもしれません。

[2020/10/18 / 14:22]
 [W61] 宗谷本線・音威子府駅

←筬島・上音威子府(廃)  咲来→

 早朝に出発した音威子府駅に凱旋。

 別ページ⇒ 《宗谷本線 全駅 2020秋》

[2020/10/18 / 15:09]
 [W58] 宗谷本線・豊清水駅

 特急の列車交換

[2020/10/18 / 18:04]
 名寄市

 今日は名寄に泊まります。
 何とか完全に暗くなる前に着きました。

 GSでガソリンを入れましたが「どこをどうやるのか分からないので教えてください」と素直に店員さんに相談。丁寧に対応してくれました。助かった。

 コロナ感染予防の観点で、1人とはいえ、飲食店に行くのは控えました。近くにスーパーあるかな?

[2020/10/18 / 18:19]
 西條 名寄店

 西條さんがあって助かった♪

 地場の大型スーパーです。
 ここで今宵の夕食とお酒を確保しました。


 ……あれっ、もしかして昨日も?

 ……気のせいですよね。たぶん。

[2020/10/18 / 18:34]
 名寄市

 今日はもう運転しないので飲めます。


 ■ 10月19日(月) ■ (名寄⇒羽幌⇒留萌⇒旭川)

 10月19日(月)

[2020/10/19 / 06:18]
 深名線・天塩弥生駅 (廃)

←西名寄  北母子里→

 私有地ですので、ここから撮影。
 鉄道の営業当時からこの駅舎があったわけではなく、国鉄の駅舎っぽい建物を、旅人宿として数年前に「新築」したそうです。すごい!

 開業時は初茶志内駅でしたが、1951年に(人名のようにも見える)「天塩弥生駅」に改称。一時期は名寄から当駅折り返しの列車もありました。

[2020/10/19 / 06:52]
 朱鞠内湖

 人造湖では日本一の面積です。

[2020/10/19 / 07:00]
 深名線・朱鞠内駅 (廃)

←湖畔  共栄→

 ちょうど深名線代替バスが発車しました。

 予定よりも早めに出発したので、かなり前倒しで到着しました。

[2020/10/19 / 07:23]
 深名線・添牛内駅 (廃)

←新富  共栄→

 澄み切った秋の朝、青空の下で――。

 深名線は1995年に廃線となり、それから四半世紀が経過しましたが、この添牛内(そえうしない)駅には、今でも良い雰囲気の駅舎が残ります。
 駅舎には駅名表示が復活していました。

 ここから「R239 霧立峠」に挑みました。

[2020/10/19 / 08:57]
 羽幌炭礦鉄道 第一築別川橋梁

 羽幌炭礦鉄道は1941年開業、1970年廃止。
 ここまでの廃線跡は良く分かりませんでした(注:水路や未舗装の道路に転用?)が、曙光駅から先の築別川を渡る橋梁はしっかり残っています。

 あの橋を国鉄のキハ22気動車に準じた「キハ222」(茨城県「ひたちなか海浜鉄道」阿字ヶ浦駅に留置/2020年現在)が走っていたのですね。

[2020/10/19 / 09:06]
 羽幌炭礦鉄道 第二築別川橋梁

←曙  曙光→

 橋脚に段差が……。

[2020/10/19 / 09:15]
 羽幌炭礦鉄道 第三築別川橋梁

←曙  曙光→

 戦時中の突貫工事で作られた為、橋桁を寄せ集めで調達したようです。現地で実際に見てみると、写真で見る以上に違和感がすごかったのですが、そこまでしても何とか開通させたかったという関係者の執念を感じました。

 道路側が工事中だったので、許可を得て撮影。

[2020/10/19 / 09:17]
 羽幌炭礦鉄道 第三築別川橋梁

←曙  曙光→

 調達した橋桁に合わせて橋脚を設計した印象で、橋脚の高さも間隔も全てバラバラなのは珍しいです。良く今まで残っていたと感慨深いです。

 ここに鉄道が走っていた証ですね。

[2020/10/19 / 09:35]
 羽幌炭礦鉄道・曙駅 (跡)

↓桜ケ丘・三毛別  曙光↑

 右側にホームの段差が見えます。

 駅の場所が特定できず、軽トラのおじいちゃんを捕まえて教えを乞いました。すると「曙駅を見に来るなんて珍しいな」と喜んで下さり、この場所まで、わざわざ案内して下さいました。
 お陰様で鉄道の痕跡を見ることができました。
 羽幌町のお爺さん、ありがとうございました。

[2020/10/19 / 09:53]
 羽幌炭鉱 築別坑 ホッパー

 羽幌炭礦鉄道・築別炭砿駅付近

[2020/10/19 / 10:01]
 築別炭鉱(跡) 付近

 煙突がぽつんと残っています。
 火力発電所の跡のようです。

[2020/10/19 / 10:03]
 築別炭鉱(跡) 付近

 川を挟んだ対岸には、無人の廃墟となった団地風の「炭砿アパート」が見えましたが、そこに入る道路は立入禁止で封鎖。
 色々な意味で怖いですし、あまり時間的な余裕もないので、案内看板を撮影して満足しました。

[2020/10/19 / 10:04]
 羽幌炭礦鉄道病院跡

 忘れられた街です。
 ここには大きな炭鉱町がありましたが、1970年に閉山し、人は離れました。
 羽幌町はあと一歩で市に昇格できたらしく、人口水増しの事件まで起きたそうですが、残念ながらその一歩前に石炭産業が衰退しました。

[2020/10/19 / 10:15]
 羽幌炭鉱 築別坑 ホッパー

 大きいなぁ。

 安全な状態で停車して撮影。

[2020/10/19 / 10:17]
 羽幌炭鉱 築別坑(跡) 付近

 この先、橋の向こうに「太陽小学校」跡があるはずです。美麗な「円形体育館」がありましたが、2018年3月頃、雪の重みで潰れたようです。
 2年半ほど間に合いませんでした。

 校舎と体育館の跡を見てみたいと思っていましたが、こちらも立入禁止の措置。一目見たい気持ちもありましたが、明日から仕事、今夜は無事に東京に帰らないといけないので諦めました。

[2020/10/19 / 10:40]
 名羽線・三毛別駅 (跡)

 炭鉱的に言うと「羽幌炭鉱 羽幌本坑(跡) 付近」となります。本日2台目の大型ホッパーです。

 羽幌炭礦鉄道の曙駅から、朱鞠内駅に向かう国鉄の「名羽(めいう)線」が建設されていました。羽幌炭鉱の羽幌本坑・上羽幌坑を経由し、白地畝山付近の無人地帯を苫竜トンネル(未建設?)で貫くという壮大な計画で、かなり建設が進みましたが、国鉄赤字等の影響で未成線に終わりました。

[2020/10/19 / 10:33]
 名羽線・三毛別駅 (跡)

←上流(上羽幌坑)  曙→

 ただし、その内、曙からこの「三毛別」(羽幌本坑)まではレールが敷かれて「曙駅に付随する貨物側線的存在」「国鉄線でも私鉄線でもない、非営業路線」(参考:森口誠之氏『鉄道未成線を歩く<国鉄編>』2002年)という謎の位置づけで運炭が行われていました。未成線とされる名羽線ですが、曙からここまでは貨物列車が走りました。

[2020/10/19 / 10:35]
 名羽線・三毛別駅 (跡)

 横から見ると幻想的な感じがしました。

 上から石炭を落として、列車に積んだと思われます。昔はレールが敷かれていたのでしょう。

 なお、この三毛別駅は、いわゆる「三毛別ヒグマ事件」の発生した苫前町三毛別(三渓)とは場所が異なります。

[2020/10/19 / 10:34]
 羽幌炭鉱 羽幌本坑(跡) 付近

 ここも相当に大きな炭鉱町だったのですね。

 今はほとんど人が住んでおらず、当時の隆盛を想像するのは難しい状態です。

[2020/10/19 / 10:50]
 名羽線・上流駅 予定地付近

←三毛別(羽幌本坑)  白地畝(信)・朱鞠内↑
 
 炭鉱的に言うと「羽幌炭鉱 上羽幌坑(跡) 付近」です。見ての通り、ほとんど何もありません。
 地元の会社が名羽線の路盤を使って砂利運搬をした時期もありましたが、倒産した模様。この先、運転の不慣れな者(私)が単独行で深入りするのはリスクがあるので、ここで引き返しました。
 最奥に計画された幻の苫竜トンネル……もしかして苫前郡と雨竜郡を結ぶので苫竜ですかね?

[2020/10/19 / 11:45]
 国道239号線

 霧立峠の手前のパーキングエリアで小休止。

 できるだけ交通量の少なさそうな道を選択。
 道道437号から古丹別経由、国道239号⇒道道742号という裏道のようなルートで、小平町の奥にある炭鉱町「達布」を目指しました。

 古丹別は、海沿いの国道232号を走っていると経由しない内陸ですが、国鉄の羽幌線の駅があった地区で、それなりの規模の集落がありました。

[2020/10/19 / 12:32]
 おびらしべ湖

[2020/10/19 / 12:46]
 達布炭鉱(天塩炭鉱)ホッパー

 本日3台目となる巨大ホッパーです。

[2020/10/19 / 12:54]
 炭鉱町 達布(たっぷ)

 留萌からの「天塩炭礦鉄道」(通称:てんてつ)の終着駅が達布でした。左側は郵便局です。

 かつては建物が密集していたのでしょうが、現在は歯抜けの状態で、とても静かな集落でした。

[2020/10/19 / 13:06]
 天塩炭礦鉄道・達布駅 (跡)

 この辺りが駅の敷地跡のようです。

 写真の建物の右側に「てんてつバス達布営業所」として、鉄道時代からの事務所が残っていたのですが、4年ほど前に解体されたようです。

 あまり細かい情報を調べずに現地へ行きましたが、この周囲のだだっ広い空間が駅跡というのは直感で分かりました。

[2020/10/19 / 13:28]
 天塩炭礦鉄道・沖内駅 (跡)

↑寧楽(ねいらく)  天塩本郷↓

 ここは鉄道跡の雰囲気がありました。
 右側の道路が線路跡です。

[2020/10/19 / 13:54]
 吉住炭鉱

 道道867号という、またまた交通量の少ない道を選択。達布(天塩炭礦鉄道)から幌新温泉(留萠鉄道)に向かうルートの途中で、突如「吉住炭鉱」の文字が目に入って、思わず車を止めました。
 もう、ものすごい山の中の、何もない所です。

 私有地なので、車の左側の窓を開けて、入口のみ撮影。こちらでは小規模の露天掘りをしているようです。今日見てきた炭鉱跡と同じ「留萌炭田」に属するようで、何だか感慨深かったです。

[2020/10/19 / 14:26]
 クラウス15号蒸気機関車

 沼田町の幌新(ほろしん)温泉で、留萠鉄道で使用された「クラウス15号蒸気機関車」が保存・公開されています。きれいな状態でした。
 バスで行こうと計画したこともありますが、本数が少なく、今回レンタカーで初訪問となりました。

 行きたかった「羽幌炭礦鉄道」「天塩炭礦鉄道」「留萠鉄道」の関連した場所を廻ることができて、運転は疲れましたが達成感が高かったです。

[2020/10/19 / 14:27]
 クラウス15号蒸気機関車

 朝から頑張って運転して「羽幌炭礦鉄道」から「留萠鉄道」跡に接続した私ですが――。

 茨城県の阿字ヶ浦駅では、この距離感が一気に縮まっています(^^)

[2020/10/19 / 14:28]
 クラウス15号蒸気機関車

 ここに来る途中、静謐さに満ちた「ホロピリ湖」の湖畔を経由しました。(運転のため写真は無し)
 留萠鉄道の沿線だった「浅野雨竜炭鉱」付近の炭鉱町や鉄道跡は湖底に沈んだようです。
 その先には太刀別炭鉱・昭和炭鉱跡もあるようですが、今回は立ち寄っていません。鉄道の終点だった昭和炭鉱跡には「隧道マーケット」が残っているそうですが、一人では怖くて行けません。

[2020/10/19 / 15:09]
 留萌本線・峠下駅

↑恵比島  幌糠↓

 車で、ちょっと寄り道。
 留萌本線で唯一の列車交換可能駅です。

[2020/10/19 / 15:42]
 留萌市

 正面の奥が留萌駅です。

 レンタカーは無事に返却しました!

[2020/10/19 / 16:15]
 留萌本線・留萌駅

←瀬越 (廃)  大和田→

 留萌駅で列車に乗るのは19年ぶりです。
 留萌〜増毛間は2016年に廃線。

[2020/10/19]

[動画]
 【車窓】JR留萌本線 留萌⇒大和田

 キハ54、夕方の留萌本線の車窓です。

[2020/10/19 / 16:29]
 留萌本線・藤山駅

←大和田  幌糠→

 年季の入った木造駅舎でした。

[2020/10/19 / 16:36]
 留萌本線・幌糠駅

←藤山  峠下→

 清く正しい貨車駅、幌糠駅。

 綺麗な状態でした。
 近年、ペンキを塗り替えたのでしょうね。

[2020/10/19 / 17:03]
 留萌本線・北秩父別駅

←秩父別  石狩沼田→

 校長先生が長話をしてくれそうな駅。
(朝礼台的な板張りホーム)

[2020/10/19 / 17:12]
 留萌本線・北一已駅

←深川  秩父別→

 難読駅名「きたいちやん」

 この駅舎は深名線の宇津内仮乗降場を移築したのではないか、という話があります。

[2020/10/19 / 18:02]
 旭川駅

[2020/10/19 / 19:17]
 旭川空港