白銀と黄金 〜
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秋月 涼 |
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屋敷の長い廊下に開いている窓から、いささか古い形の深い蒼い色のドレスに身を固めた小柄な少女が外を見ていた。その少し後ろには、帯刀していないものの鎖の鎧と兜を着用した二人の騎士が、少女を守るようにして辺りに注意を配っている。 静かな廊下の向こうから、突然、慌ただしい足音が響いてきた。それは走りたいのに何らかの事情で走れず、やむなく早歩きしているように思えた。騎士たちががそちらに目を向ける。 「もー、めんどくさいったらありゃしないわ!」 不満を叫びつつ前傾姿勢で歩いてきたのは、長い金の髪を後ろで結わえ、綺麗に編み込まれたズボンを履いた少女だった。 窓際のドレスの少女は振り返った。二人の視線が交錯する。 ズボンの少女はふと足を止め、妙な言葉遣いで尋ねた。 「何してんの……ですか?」 「ララシャ王女」 ドレスの少女は相手の名を呟き、何か答えようとした――が、その前にララシャ王女は素早く動き、彼女のすぐ横に立った。 「リリア皇女。なんか面白いもの、あるわけ?」 ララシャ王女は、一言目よりもずっと砕けた調子で訊いた。 〜 ・ 〜 ・ 〜 ・ 〜 ・ 〜 ・ 〜 マホジール帝国の属領であるリース公国を舞台に〈四ヶ国会議〉が始まっていた。斜陽の国家を何とか維持していこうとしているマホジール帝国のリリア皇女、十五歳。南国ミザリアからやってきた、おてんばで名を馳せるララシャ王女、十六歳。 ひっそりと月夜の野に咲く白銀(しろがね)の花を想起させるリリア皇女と、まぶしい太陽の下で輝く黄金(こがね)の大輪の花がふさわしいララシャ王女、という風に二人の印象は対照的だったが、二人の瞳に宿る意志の光はそれぞれ清く、強かった。 「何よ、町が見下ろせるだけじゃないの」 空やら大地やらを見ていたララシャ王女が不満そうに言い放ち、硝子のない窓から首を引っ込めた。少し驚いていた様子のリリア皇女だったが、落ち着きを取り戻して微笑むのだった。 「左様でございます」 「はぁ?」 一瞬、ララシャ王女は今まで見たことのない動物を見るかのように目を見開いたが、すぐに腕組みして短い考えに耽った。やがて過去の記憶の中から、今と同様の経験を拾い上げた。 「あんた……じゃないや、リリア皇女って、レイナに似てる」 「レイナさん、ですか。存じませんが、外交官の方でしょうか」 リリア皇女の疑問に、おてんば王女はけろりとして答えた。 「あたしの友達!」 〜 ・ 〜 ・ 〜 ・ 〜 ・ 〜 ・ 〜 「友達……」 リリア皇女は相手の言葉を繰り返し、しばし呆然とした。 会った瞬間からからララシャ王女の動作と言葉に振り回されてきた深窓の姫君は、まるで初めて呟いた単語であるかのように、その〈友達〉という言葉の響きを噛みしめているようだった。 長い時間のような数秒が経過した後、瞳は現実に戻り始め、焦点が合ってくる。すると皇女は少し視線を提げてうつむいた。 屋敷の長い廊下を日陰の涼しい風が駈け抜けてゆく。リリア皇女のドレスの裾が揺れ動き、ララシャ王女の髪がなびいた。 「あたし、友達なんていなかった。王宮には」 薄雲から太陽が顔を出すかのように、ララシャ王女の口調が若干柔らかくなった。それを感じたのか、相手は顔を上げた。 「そうなんですか」 「そうそう。あたし、町で仲良くなったから」 おてんばな南の王女はやや声量を落とし、いたずらっぽい笑顔で相手に語りかけた。自慢するわけでもなく、強制するわけでもなく、謙遜するわけでもなく、自然な言い方と微笑みで。 それは〈友達〉という言葉を口にするだけで恥ずかしがったり照れ隠しをしたりした以前のララシャ王女とはまるで違っていた。この間、格闘好きのわがまま王女は、同年代の〈町で仲良くなった〉友人たちとともにリューベル町まで航海をしてきた。 今やララシャ王女の横顔は、強く静かな自信と、以前では考えられなかった彼女なりの落ち着きとに満ちあふれていた。 「あんたも……じゃない、リリア皇女も」 南の姫は言い直し、そこで息を飲み込んで相手の目を見た。 「町に出れば、新しい友達が見つかる。あたし保証するから」 ララシャ王女はうっすらと額に汗をかいていた。傍目には感情に任せて言っているように見えつつも、実際は慎重に言葉を選んでいるようだ。おてんば姫は相手の左肩に右手を重ねた。 「そうすりゃ、きっと、もっと楽になるわよ。絶対!」 他国の王女から突然の激励を受けたリリア皇女だったが、心打たれた様子で立ち尽くし、素直な瞳をうっすらと潤わせた。 「はい」 皇女が震える声でうなずくと、髪の銀の輝きが揺れ動いた。 少女たちの様子を、やや離れたところで二人のマホジール帝国の騎士が見守っている。微動だにしない騎士たちは、まるで古の時代に取り残された灰色の二体の石像のようだった。 次の刹那、ララシャ王女が武術で鍛え抜かれた身体を素早く動かしてリリア皇女に近づき、小柄な相手の耳に口を寄せた。 「じゃ、会議で。シルリナの奴に負けんじゃないわよ!」 遅れて、一陣の爽やかな風が生まれた。 因みにシルリナ嬢とは、北の大国メラロールの王女である。 「ええ」 いくぶん頬を紅潮させてリリア皇女がうなずいた時には、ズボン姿のララシャ王女は早くもその場を去って、歩き始めていた。 「じゃね!」 ちらちらと舞い降りる陽射しの欠片に、王女の髪が金に輝く。 遠ざかっていく南国の王女の後ろ姿を見つめながら、斜陽ながら伝統ある国家の次代を担うリリア皇女は目を細めていた。 「生気がほとばしっている方」 そして溜め息混じりに、こう呟くのだった。 「なんて我が国とは異質の方なのでしょう」 当代随一の野心家である南ルデリア共和国代表のズィートスン氏や、本格的な外交デビューながら清楚さと頭の回転で群を抜いているシルリナ王女たちと会議でやり合って行く重責を担ったリリア皇女にとって、ある意味では性格の最も異なるララシャ王女との個人的な接触は鮮烈な印象を残したようであった。 「他国には様々な個性の方がいますね」 リリア皇女は傍らの騎士に語りかけたが、返事はなかった。 すると彼女の瞳の輝きは急速に薄れてゆくのだった。 「行きましょう」 やや早口に、自らに語りかけるように言ってから十五歳の皇女は歩き出した。その後ろ姿は小さく儚げに見えるのだった。 | ||
(了) | ||
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